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 2006/11/18 『きみのいもうと』 エマニュエル・ボーヴ 白水社

エマニュエル・ボーヴはかつて権威ある賞を取ったこともある作家だが、アンガージュマンの文学の隆盛に押され、イデオロギーのかけらもないその小説は世間から忘れ去られてしまっていた。ただ、その独特の作品世界を偏愛する人もいて後に復活、静かなブームを呼ぶことになる。『きみのいもうと』は、代表作『ぼくのともだち』に継ぐ長編第二作。パリを思わせる冬の街で再会した男二人と、その妹、そして愛人との些細な関係のもつれを描いている。

アルマンは、散歩の途中で旧友のリュシアンと再会する。今でこそ未亡人の若いツバメとして何不自由のない暮らしをしているアルマンだが、一年前は同じ界隈で暮らした仲である。うらぶれたかつての友の姿に負い目を感じたアルマンは、再び付き合いをはじめるが、そんなある日、リュシアンの家で妹マルグリットに出会う。内気でそばかすだらけの少女になぜか心惹かれたアルマンは、彼女を訪ねその唇を奪う。しかし、妹から話を聞いた兄はアルマンの二心をなじり、未亡人に告げ口する。アルマンは家を追われ、昔住んでいた安ホテルのある界隈に戻ってゆく。

ボーヴは淡々とした筆致で、主人公の内的独白を織り交ぜながら、周囲の人物の仕種や癖、わずかな身振りの中に揺れ動く心の動きを追って、せつないまでに赤裸な人間の姿に迫ろうとする。その人間洞察力の鋭さを、ある批評家は「貧乏人のプルースト」と呼んだそうだ。しかし、プルーストとちがい、ボーブの描き出す世界には一枚の絵があるわけでもなくサロンで奏でられる音楽もない。そこにあるのは、冬の日の寒々とした街の路地や広場。カフェや食堂での貧しい食事。夜の街を照らす月の光や店からこぼれる灯り。それに青空にかかった雲や窓硝子をうつ雨。

ボーヴの小説にはまともな社会人は登場しない。毎日ぶらぶらと暇を持て余すような人間でないと、周囲の人々や日々の風景についての微細な観察など期待できないからだろうか。かといって移民の息子に過ぎない作家には貴族やブルジョアの暮らしぶりには縁がなかった。となれば、誰かに頼って生きるしかないような甲斐性無しを主人公に据えるしかなかった。作品集にはありとあらゆる甲斐性無しが出揃っているという。

しかし、平凡な庶民の人生に、多くの小説が書き立てるロマン溢れる感動的な筋立てが用意されることはまずない。ときおり訪れる小さな幸福と日々の鬱屈やら不満の交代が多くの人の人生である。その市井に生きる人々の姿を、感傷に溺れず、不要な飾りを省き、それでいてひとつの美しい軌跡を描くことは、なまなかなことではないだろう。ボーヴが世間から忘れ去られていた時期、サミュエル・ベケットは、この小説の最終章をこつこつと英訳していたという。読後しみじみと残る余韻は、他のものをもって替えがたい味わいがある。

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