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 2006/8/19 『複眼の映像−私と黒澤明』 橋本 忍 文藝春秋

いい映画を作るには何が一番重要なのか。伊丹万作はこういう言葉を残している。
「良イシナリオカラ、悪イ映画ガ出来ルコトモアル。シカシ、イカナルコトガアッテモ、悪イシナリオカラ、良イ映画ガ出来ルコトハナイ」。

生涯弟子をとらなかった伊丹万作の唯一の弟子が橋本忍。その伊丹が「達磨寺のドイツ人」のシナリオを読んで「将来は日本映画を背負う大立者になる」と予言したのが、当時は一助監督に過ぎなかった黒澤明である。橋本の脚本「雌雄」を読んだ黒澤が映画にしたいと呼び、二人は出会う。その映画がヴェネチア映画祭金獅子賞に輝いた『羅生門』である。その後、小國英雄を加えた三人で『生きる』『七人の侍』の脚本を共同執筆することになる。

黒澤の映画はよく知られているが、その脚本作りについてはあまり語られることがなかった。黒澤映画の脚本は黒澤本人に複数の脚本家を加え共同で書かれる。テーマが決まると、まず第一稿をライター(橋本)が書く。それを黒澤が読んでダメを出し、再び打ち合わせをした後、ライターによって第二稿が書かれる。普通ならこれで完成だが、黒澤組の場合ここからが本番である。ライターが三人なら、三人が同じシーンを競作するのだ。そうして出来上がったものを突き合わせ、より良いものに練り上げられて決定稿が作られていく。「ライター先行形」と呼ばれるこの方法の場合、脚本の弱点は第二稿までにほとんど修正されてしまう。『羅生門』『生きる』『七人の侍』は、このやり方で作られた。

しかし、仕上げまでに三、四ヶ月から半年という「ライター先行形」は、時間と脚本料が普通の三倍はかかることになり、会社側はいい顔をしない。フリーの脚本家とちがって東宝の監督であった黒澤はこれ以降、複数のライターが討議を重ねながら一気に決定稿を書くという「いきなり決定稿」のやり方に変えている。『生きものの記録』『蜘蛛巣城』『隠し砦の三悪人』などがこの方法で書かれた。

しかし、一人のライターがテーマ、ストーリー、人物設定、さらに構成という脚本作りの準備作業を担当する「ライター先行形」とちがって、「いきなり決定稿」では、それらを誰がやるのかがはっきりしないままファーストシーンが決まると本文に入ってしまう。こうして出来た決定稿は実は共同で書いた「第一稿」に過ぎないのだが、名目上決定稿であるから撮影に回され、脚本としての弱点を抱えたまま映画は完成することになる。その結果、この時期の黒澤の映画はあまりパッとしない。

黒澤や橋本は力でぐいぐい突っ込んでいく脚本家である。それを小國が司令塔となってうまく水先案内をしていくことで『七人の侍』のような傑作が生まれた。司令塔を欠いた共同脚本が成功するには、別の個性を持つ脚本家が必要になる。『用心棒』『椿三十郎』『天国と地獄』という娯楽的な作品が興行的に成功を収めたのは菊島隆三という「前捌き」の巧い脚本家がついたからだ。しかし、『トラ・トラ・トラ』の降板騒ぎで菊島と絶縁してしまうと、黒澤の舵をとれる者が誰もいなくなる。

私が、黒澤映画をリアルタイムで見たのは『影武者』と、それに続く『乱』の二本だけだが、橋本によればこの二作品は失敗作。脚本の出来が悪すぎるというのだ。一応、井手雅人との共同脚本ということになっているが、司令塔の小國を欠いては黒澤の独り相撲となるのは仕方がない。作者が主人公に感情移入するのは当然だが、それが過ぎれば独りよがりなものとなって観客は受容できなくなる。黒澤はがむしゃらに突進する脚本家である。それをうまく捌いていたのが小國であり、菊島だった。若い井手には荷が勝ちすぎたのだ。

橋本はその後独立プロを作り『砂の器』や『八甲田山』を制作する。野村芳太郎は黒澤は橋本に出会わなかったら、ビリー・ワイルダーとウィリアム・ワイラーを足して二で割ったような世界の名監督になっていただろうという。誰が見ても面白い大作を作る職人監督という意味だろう。職人でなく芸術家を目指したのが黒澤の不幸だったかどうか、それは今は問わない。

良い映画が良いシナリオからしか生まれないというのが確かなら、黒澤組の追求した個性の異なる複数の脚本家による共同脚本作りは、これからも試されていい。『七人の侍』を超える映画を是非見たいものだ。

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 2006/8/18 『王になろうとした男ジョン・ヒューストン』 J・ヒューストン 清流出版

語るに値する男の人生があるとすれば、こういうものであろうか。『マルタの鷹』『黄金』『キー・ラーゴ』『アフリカの女王』『白鯨』『天地創造』と、多くの名画を監督した功績はあるものの、五度の結婚と離婚、借金してでも賭けずにいられない賭博癖、度を超した悪巫山戯と、あまり賞賛に値しない性癖を併せ持つ。しかし、どんな時も自分を見失わず、友人を信頼し、逃げずに立ち向かい危機的な状況にあっても余裕をもって事に当たる、その生き方を見ていると、見事な毛並みの虎や立派な牙を持った象を目の当たりにしたときのように、気持ちが晴れやかになり、楽しくなってくるのだ。

自分で計画を立てた針路に従って、地道に進んでいくというのも一つの生き方だが、出たとこ勝負、運が向いたときは大盤振る舞いで大散財、素寒貧の時は着た切り雀で何とかその日を食いつなぐというのもまた人生である。ジョン・ヒューストンの場合はまさしく後者。多くの友人に影響を受け、ある時はボクサーとしてリングに上がり、またあるときは未来派の影響を受けて画家修業という行き方。いつもその時は一生懸命だから周囲も協力を惜しまない。

ダリル・ザナックが「ヒューストンの成功や才能はうらやましくないが、友人の多さはねたましい」と語ったというが、登場する人物の顔ぶれが凄い。幼い頃体の弱かったジョン少年がチャーリー・チャップリンの見舞いを受けた話から始まって、映画関係を別にしても銃やボクシングの腕を競い合ったヘミングウェイ、アイルランドにあった館の常連だったスタインベック、脚本を共同で書いたトルーマン・カポーティー、それに何とあのサルトルまで、綺羅星のごとく並ぶ錚錚たる顔ぶれ。才能が人をひきつけるのか、人柄のせいか、自分で設計した山荘に、あのフランク・ロイド・ライトが見学に来て、素人にしては上出来と認め、自分の伝記が映画になるときはジョン・ヒューストンに監督を頼みたいと言ったとか。

人生の舞台となる場所のスケールが大きい。『アフリカの女王』を撮ったアフリカ各地。『黄金』のメキシコ、『王になろうとした男』のモロッコ、マラケシュ。ロケ地以外にも従軍監督として腕を振るったイタリア山岳地帯サン・ピエトロ、マハラジャに招待されて虎狩りをしたインド、と、この並外れた男には都会よりもサバンナやジャングルの方が似つかわしい。『アフリカの女王』のロケハンの時のエピソードが振るっている。食事調達に雇われたハンターがあるとき解雇された。どうやら彼が調達に歩いた辺りで行方不明者が後を絶たなかったらしい。この「長い豚」が供されたのが本隊が来る前でよかった、とヒューストンは語っている。

どんな苛酷な状況にあっても、自然が相手ならその危険な状況を楽しみながら対処するヒューストンだが、人間の悪意に対しては別だ。ハリウッドに吹き荒れた「赤狩り」の嵐に対しては、最後まで戦い抜いた一人として、当局に対しての怒りと仲間の監督たちの弱腰に対する落胆を隠さない。また撮影所システムが崩壊するにつれて、映画について何も知らないくせに金儲けのため干渉してくるエージェントが増えたことに業を煮やしている。

ただ、遅刻魔のマリリン・モンローや、薬物中毒のモンゴメリー・クリフト、脚本に口を出し勝手に科白を変えるポール・ムニなどの役者に対しては、その態度にはうんざりさせられながらも、才能は認めている。このあたりに、この人が友人に恵まれる秘密がありそうだ。ただ、何事にも例外はある。問題はあったが、いい映画になっていた『黒船』を勝手に編集し無惨な映画にしてしまったジョン・ウェインだけは許していない。

二度目の妻であったイブリンに、自分をとるかチンパンジーをとるかと迫られて、結局チンパンジーを棄てることができなかったというほどの無類の動物好きでありながら、アフリカでは象、インドでは虎、アイルランドではキツネを狩るというハンターでもある。一見矛盾しているようでいながら、動物に対する真剣な態度という点で通底しているような一途な性格は大きな子どものようで憎めない。

二段組み430頁という分量は半端ではない。しかし、まるで法螺話かと思うような奔放な語り口は、一度波に乗ると一気に読まされてしまう。奇しくもワイルダーと同年生まれのヒューストンは今年が生誕百年。ハリウッドの黄金期を駈け抜けた映画人として映画に掛ける思いが破天荒な人生の裏側に熱く脈打っている。1980年に出版された本がやっと邦訳されたわけだが、今読んでも抜群に面白い。映画好きなら見逃すことのできない一冊。

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 2006/8/12 『汽車旅放浪記』 関川夏央 新潮社

昭和30年代回顧が流行のようだが、半世紀ほど前、自家用車などなかった頃、人や荷物を大量輸送できたのは汽車だけだった。昧爽のピ−ンと張った空気を切り裂く汽笛、なだらかに広がる稲穂の波を縫って走る列車、闇の中に橙色の小さな窓灯りが連なる夜汽車。少年はいつかはあの汽車に乗って旅立つことを夢みていた。

関川は書いている。「私は幼い頃から汽車を見に行くのが好きだった。流れの速い用水沿いの小道で、汽車に手を振るのが好きな子だった。暮れなずむ山脈の向こう、東京の方へ、車窓に黄色い光を並べて走り去る列車は、希望の色調でえがかれた私の原風景である。」

著者はこの本を書くために、汽車に乗りはじめてから、「団塊の世代」に鉄道ファンが多いことに気づいた。誰が言いはじめたのかは知らないが鉄道マニアのことを今では「鉄ちゃん」と呼ぶそうだ。関川は、自分がそう思われるのを恥じている。しかし、あとがきではなかば開き直ってこう書く。「さびしい終着駅と線路のぺんぺん草と赤錆た車止めが好きなんだといいはりたくなる」と。

こういう風景を写真に撮るためにローカル線に乗る友人が私にもいる。「人は誰でも二十五歳までに過ごした文化から自由になれない。それは檻のごときものだ」と言う著者が考える「団塊の世代」がノスタルジックな風景に惹かれる理由は、1960年以降の時代潮流の激しさがそれ以前の牧歌的風景を圧倒し去ったからだ、というものだ。

今でも自衛隊といえば「税金ドロボー」という言葉を連想し、社会党の凋落に溜息して、日本の民族主義的傾向には「強い懸念」を感じるがコリアや中国のそれに意味なく寛大であるのは「団塊」の特徴である(私ではない)。五〇年代の戦艦大和や零戦のプラモデルへの愛着を「義によって」断ち切り、六〇年代には、「非武装中立論」にひかれたりもした(私である)。近年ようやく汽車への愛は回復したが、六〇年代の傷は乾かない。(「あとがきにかえて」)

「智に働いた末に無用の人。時代に棹さして流された。通す意地などもとよりない。なのに本人はそう思っていない。無用とも流されたとも思わず、通すべき意地を通しているのだと信じている。」漱石の『草枕』を借りながら、著者は「団塊の世代」をこうくくる。シニカルだが、自分も含めての感想だから傷ましさもまじる。こう感じる同世代は少なくないだろう。

その「団塊鉄ちゃん」を自認する著者が上越線を皮切りに、房総半島、九州、津軽、果ては樺太サハリンまで、詩人や作家の作品を片手に、作品に描かれた汽車の旅を追体験する文学紀行である。上越線なら朔太郎の『新前橋駅』、光太郎の『上州湯桧曽風景』、そして川端の『雪国』。九州では清張の『点と線』、林芙美子『放浪記』、太宰治で『津軽』、サハリンでは宮沢賢治の『オホーツク挽歌』を取り上げている。

宮脇俊三の『時刻表2万キロ』のいわゆる「乗りつぶし(全線完乗)」への共感が伝わってくるのが、「宮脇俊三の時間旅行」である。自己に課した一筆書きという決まりのために、どうしても乗れない部分が出てくる。乗り残した「盲腸線(そこから先どこにも繋がらない行き止まりの線)」に乗るというただそれだけの理由で、遠くまで出かけてゆく「児戯に等しい」所業への熱情は、分かる者にしか分からない。

集中、最も興味深かったのは、「『坊ちゃん』たちが乗った列車」である。当時の時刻表をもとに坊ちゃんや三四郎が乗った列車を特定するという試みも面白いが、汽車嫌いの漱石が作品には意外に汽車を登場させている理由を探る「二十世紀を代表するもの」は、単なる文学紀行を超え、優れた評論になっている。「日露戦争はロシアの鉄道による示威と日本側の強烈な危機意識からはじまった。同時にそれはロシア軌間と日本軌間の戦争でもあった」という指摘には、はたと膝を打った。日本の鉄道はなぜ狭軌なのかという長年の疑問がこの文章で氷解した。

世代論は嫌いだ。同世代というだけで括られてたまるかという考えをお持ちの「団塊の世代」にこそお薦めしたい。

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 2006/8/7 『ビリー・ワイルダー−生涯と作品』 C・チャンドラー アルファベータ

ビリー・ワイルダーの名前は聞いたことがなくても、地下鉄の通風孔の風がめくり上げるスカートを手で押さえるマリリン・モンローの写真は見たことがあるだろう。あの『七年目の浮気』を監督したのがビリー・ワイルダーその人である。

『サンセット大通り』『第十七捕虜収容所』『麗しのサブリナ』『七年目の浮気』『翼よ!あれが巴里の灯だ』『昼下りの情事』『情婦』『お熱いのがお好き』『アパートの鍵貸します』『フロントページ』等々。アカデミー賞ノミネート20回、受賞6回という錚々たるキャリアの持ち主。

ウィーン生まれのユダヤ人。ベルリンで新聞記者をやっていたが、ふとしたきっかけで映画の脚本を書くようになる。ヒトラーが政権を取ったのを機にアメリカ、ハリウッドへ。グルメでダンスの名手。冗談好きで、美術品収集家としても知られる。

原題は「完璧な人間なんて、ひとりもいない」。やはり、モンロー主演の映画『お熱いのがお好き』の最後の場面で使われるせりふだ。名せりふの多いワイルダー作品の中でもいちばん有名かもしれないこのせりふは共作だった。これに限らず、ニヤリとさせられたりホロリとさせられる名文句の多いワイルダー映画の脚本は意外なことにほとんどが共作である。完璧な人間などいないことをよく知っているからこその共作だったのだろう。

売り出し前のレイモンド・チャンドラーとも『深夜の告白』で共作している。ワイルダーは言う。「チャンドラーは才能豊かな男だったが、わたしとはそりが合わなかった。共作者というのは、結婚相手のようなものだ。仲よくやっていけなくても、何かを生みだすことはできる。『深夜の告白』の最終結果には満足しているよ。」

ヒッチコックは、「『深夜の告白』のあと、映画界でいちばん重要なふたつの言葉は“ビリー・ワイルダー”だ」と電報を打ったといわれている。

サイレントからトーキー、モノクロからカラーの時代へと映画の歴史そのものを体現したようなワイルダーだから、今までにも何冊もの評伝が書かれている。それらと比較して、この本のいちばんの特徴は、ワイルダーの映画人生を作品ごとにまとめていることだ。映画好きにはうれしい配慮である。お気に入りの作品がどうやってできたか、その裏話を知るのは何よりの楽しみだ。

仕事部屋に「ルビッチならどうする!」という言葉を掲げていたほど 尊敬するルビッチや、エーリヒ・フォン・シュトロハイムの逸話。主演女優や男優の撮影中の様子など、本人の言葉がかなり長く引用されている。『お熱いのがお好き』で抜擢されたトニー・カーティスが、もう一度一緒に仕事がしたかったと洩らしているのが印象的だ(共演のジャック・レモンは、その後何度も使ってもらっている)。ロング・インタビューならではの役者の肉声が伝わってくるのも特徴の一つ。

しかし何よりうれしいのは、ビリー・ワイルダーその人の名せりふが聞けることだ。この人は、たとえインタビューでも名せりふで締めくくらないと納得できないらしい。いくつか抜き出してみよう。ハリウッドではどんな名監督でも、編集で泣かされる。そのことに触れて、

「映画を作るのはハサミなんだよ。(略)だからわたしは、最小限しか撮らないんだ。映画が完成したとき、編集室の床には、チューインガムの包装紙と涙以外、何も落ちてないよ。」

「映画を牛耳っている連中は年々お粗末になってきているからね。今では“来年の連中”というものまでいる。」

今年(2006年)はワイルダー生誕百周年にあたるそうだ。この本を片手に数々の名作をもう一度見返してみるのもいいかも知れない。


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 2006/8/1 『ヨーロッパ文学講義』 ウラジーミル・ナボコフ TBSブリタニカ

ナボコフの小説の読み方はきわめて明快である。小説を読む目的は、作中人物に自分を投影していっしょに泣いたり笑ったりすることでもなければ、小説の中に生きる目的や人生の意味を求めたりすることでもない。無論、学者のように多くの小説の中から抽き出した一般論を語るためでもない。

どんなによくできた小説でも、それは一種のお伽噺。「文学は、狼がきた、狼がきたと叫びながら、少年が走ってきたが、そのうしろには狼なんかいなかったという、その日に生まれたのである」。だから、小説の背後に現実の社会を探しても得るものはなく、主人公の精神分析など試みるのは愚かなことだとナボコフは言う。

作家には三つの面がある。一つは物語の語り手、さらには人生について何かを教える教師、そして何もないところに様々なものを浮かび上がらせて見せる魔法使いの面だ。もちろん、ナボコフが最も注目するのは魔法使いとしての小説家である。牧師館の客間しかしらないオースティンが『マンスフィールド荘園』の美しい庭園や準男爵をはじめとする様々な階級の人々を描くその魔法。しかし、魔法使いの技術には差もある。ナボコフはディケンズが海を叙した部分を引用してその差を比べて見せる。

要は、これらの素晴らしい玩具、文学上の傑作の仕組みを明らかにすること、それがこの講義のねらいである。もともと大学での講義用に作られた草稿であって、作品として発表を想定したものではない。妻の手によってタイプ原稿にされているものあれば、走り書きのメモのようなものも混じっている。それを一冊の本にするために体裁を整えたのは編集者だが、学生を相手にしていることもあり、かなり大胆な小説論が展開されていて、作家や作品に対するナボコフの好悪がはっきり分かるのが愉しい。

豊富な引用をもとに、文学の魔法を成立させている仕掛け、仕組みを、文体、比喩、構造、主題といったニュークリティシズム風の観点で分析してみせるナボコフの手際は鮮やかで、批評家としてのナボコフの力量をうかがうことができる。

圧巻は『ボヴァリー夫人』執筆中のフロベールが知人に書いた手紙を引きながら、ナボコフがフロベールの「対位法的手法」と呼ぶ「二つ以上の会話なり思考を平行して挿入したりからませたりする方法」について解説しているところ。創作の機微に触れた分析は実作者ならではの説得力を感じさせる。

或いは、ジョイスの『ユリシーズ』。日本語訳でも本文より長い脚注がついているが、いちいちギリシァ神話他からの引用やもじりに義理立てして読む必要などないとばっさり切り捨てる。そんなことより、カチカチと音立てて時を刻むように叙述された小説の中、ダブリンの町を歩くブルームとディーダラスが同時刻、どこに誰といるのかに読者の注意をいざなう。そうすることによって、この作品独特の錯綜した時間と空間の構造が立体的に立ち上がってくるからだ。

ナボコフは、読書とは再読のことだという。プルーストの『スワン家のほうへ』もそうだが、ずい分前に読んだ時にはよく理解できなかった作品が、たっぷりの引用をもとにていねいに読みほぐしてもらうことで、もう一度手にとってみたくなる。未読のものならなおさらだ。エンマ・ボヴァリーの髪型がどのように訳されているか、髪から出ているのは耳の先か耳たぶか、確かめながら読むという愉しみもある。ナボコフのいう細部を大切にした読みは再読でこそ味わえる。読者を小説の読み巧者に育てるこんな授業なら、ぜひ受講したいところだが、『ロリータ』の好評でナボコフは二度と大学に戻ることはなかったという。


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