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 2006/7/27 『釜が崎と福音』 本田哲郎 岩波書店

著者はカトリックの神父。現在は釜ヶ崎で活動を続けている。そう書くと、いかにも善意の宗教家がホームレスのたむろする地に赴き、熱心に布教活動を行う図が目に浮かぶが、よくある宗教者像を想い描くとまちがう。

巻頭に一枚の絵が置かれている。炊き出しの列に並ぶイエスを描いたものだ。ふつう貧民救済活動は、恵まれた側がそうでない者に神を通じて与えられた喜びを分かち与えるという趣旨に基づいて行われている。もし、そうなら、神は与える側にいるはず。ところが、この絵では与えられる側にいる。施しを受けなければならぬほど、貧しく小さくされた者と共に、神はいられるのではないか、それが画家の直観であり、著者の思いでもある。

生まれた時からのクリスチャンで、よいことをして人にほめられるのがうれしくて努力を続けてきた。著者はそういう自分を「よい子症候群にかかっていた」と語る。しかし、神父になり、信者と接するようになると、こんな外づらばかりよい自分でいいのかという疑問を抱くようになった。いくら祈っても変わらない自分を変えてくれたのは、釜ヶ先での出会いだった。

路上生活者に毛布を配る活動をしていた時、こわごわ配った毛布に「にいちゃん、すまんな、おおきに」と言ってくれた人がいた。東京に帰ってしばらくすると、自分の中で何かが変わっていることに気づく。こだわりがとれ、軽くなっているのだ。ためしに今度は山谷に行ってみた。そこでも同じような経験をする。神は、与える側ではなく、貧しく小さくされた人々の中にいて、そこから私たちを解放してくれるのではないか。そう考えるようになったのだ。

これは今まで聖書を通じて教えられてきたこととは逆転している。しかし自分の体験は、これが真実であることを語っている。著者はヘブライ語やギリシァ語の辞書と首っ引きで聖書の原典にあたってみた。すると、イスラエルの民も、イエスも、その家族や仲間たちも皆、寄留者や罪びととされるような最下層の人々であった。

マリアは夫ヨセフのではない子を孕んだため共同体に受け入れられず家畜小屋でイエスを生まねばならなかった。その時祝ってくれたのは、卑しい職業とされていた羊飼いや、不毛と貧困のシンボルであった「東」から来た異教の占い師たちだけであった。ヘブライ語やギリシァ後の語義にこだわり、当時の状況というコンテキストを重視した聖書読解は、大胆な聖書の読み替えを迫るもので、生々しいイエス像の創出は、スリリングでさえある。

しかし、著者が世の一般の宗教者と一線を画すのは、ここからである。貧しく小さな者たちの中にこそ神がいるという考えは、宗教者にありがちな「弱者賛美」という倒錯に陥る危険がある。「貧しく小さくされた者」という著者の言葉には、何者かがそうしたのだという主張がこめられている。著者は、その原因を知り、そうしたものに対して怒りを持ち、闘えと説くのである。

「怒り」や「闘い」そのものが悪いのではない。虐げられている者に共感し、はらわたが突き動かされるような怒りを感じたとき、それをそらしてはならない、と著者は言う。ここには、時の権力者やそれにこびる者たち、或いは不正を知りながら他人事として見過ごす者たちへの「怒り」が溢れている。

イエスの生きた時代ばかりではない。現代にあっても富や権力の偏在が「貧しく小さくされた」人々を生み出す構造は変わらない。あなたは「貧しく小さくされた者」と連帯できるか、という厳しい問いかけが、読者に突きつけられている。安直な癒しなどを求めて手に取ると火傷をするかもしれない、熱い本である。


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 2006/7/17 『悪魔と博覧会』 エリック・ラーソン 文藝春秋

舞台は19世紀末シカゴ。躍進する新興商業都市には野心を抱いた者たちがひっきりなしに流れ込んでくる。混沌としたエネルギーが渦巻く欲望の大都会。田舎にいては手にすることのできない力や快楽を夢みて男も女も集まってくる。肩を聳やかす摩天楼のはるか下方、饐えた臭いの漂う運河には腐敗した馬の死体が浮かび、ウィンディシティと呼ばれるシカゴ名物の風に乗って大規模精肉加工場から絶えず流れてくる悪臭が街を覆っていたとしても。

1889年に開催されたパリ万博は大好評のうちに終わり、博覧会を象徴する鉄製の優美なエッフェル塔は、それまでいくつかの建築物により鉄と鋼鉄の分野における第一人者を誇っていたアメリカの自尊心をいたく傷つけた。この痛手から恢復するにはパリを超える博覧会を開き、エッフェル塔が霞んで見えるモニュメントを打ち立てるより外はない。コロンブスのアメリカ発見400年を記念して大博覧会を開くというアイデアが生まれた裏にはそんな理由があった。

ニューヨークを抑えて開催地に決まったのはアメリカ第二の大都市シカゴだった。常々ニューヨークに劣等感を抱いていたシカゴの名士達は、これを機会に食肉加工の街というイメージを払拭したいと考えた。その栄誉を担うことになったのが、バーナムだった。すでに盟友ルートと共に数々の建築をこなしてきたバーナムだったが、開催まで二年あまりしかない時間との闘いは、はじめから絶望的に見えた。

この物語は、バーナム達が次から次に襲いかかる数々の困難を乗り越え、後にシカゴ大博覧会と呼ばれる一大イベントを奇跡的な成功に導くまでの労苦と獅子奮迅の働きぶりを、バッファロー・ビルやドライサーなどの多彩な登場人物によって立体的に描いてみせたものである、と言いたいところだが、ちがう。この奇妙な小説はベンジャミンゴムの木のように、はじめから二本、或いは三本の幹が捩れて縺れ合うように仕立てられているのだ。

博覧会という植木鉢から生じた三本の芽の一つは、到底実現不可能に思える博覧会を可能にする魔術、今ひとつは殺人、そして狂気である。殺人者の名はホームズ。英国に登場した名探偵の名を借りた偽名である。青い瞳と物柔らかな会話、そしていかにも自然に触れてくる手が印象的なハンサムな青年医師。人心を籠絡させる天性の魔力は逮捕後、看守たちでさえその虜になったほど。

彼は、持ち味の人誑しの力を遺憾なく発揮し博覧会会場近くの一等地を手に入れると、ガス管を引き、窯を据えた。板ガラスを焼くのだと言っていたが、請け負った職人には火葬場の窯そっくりに見えた。博覧会開催が近づくにつれ多くの人が集まってきていたシカゴでは地方から出てきた女性が行方知れずになっても、騒がれることもなかった。

ホワイトシティと呼ばれることになる博覧会場がしだいに形を表してくるのと、呼応するように殺人犯は次々と女性を殺していく。その手口の巧妙さと、人の命など歯牙にも掛けない非情さは、奇妙なことに、次々に襲いかかる自然災害や人為的な災害に毅然として立ち向かうバーナムと重なって見える。成し遂げることの価値はともかく、その達成にかける熱意と、不可能を乗り越えてゆく手並みの鮮やかさ故に。

荒れ地に魔術のように現れたホワイトシティは、記録的な入場者数を誇り、閉会する。一人の狂人の手で暗殺された市長の葬儀という恰好の幕引きの場を得て。壮麗さを誇った建築群は、閉会後、職を失った労働者たちのねぐらとなって荒廃していく。アメリカを大恐慌が襲おうとしていたのだ。

タイタニック号の遭難現場に駆けつけるオリンピック号の船上から始まる小説は、読み始めると一気呵成に最後まで読まされてしまう。交互に展開される二つの物語のどちらも息をつかせぬ面白さでぐいぐいと読者を引っ張っていく。しかし、作者に言わせると、この小説はフィクションではない。登場人物の言葉や手紙の文面は、図書館や文献に残された資料から忠実に引用されているという。作者の構成力には舌を巻くしかない。

強風に砂埃が舞い、馬車に踏みしだかれる泥濘のシカゴの街がまた好きになった。


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 2006/7/10 『名画座時代−消えた映画館を探して』 阿奈井文彦 岩波書店

シネコンがにぎわっているらしい。今までそんなに映画、映画と騒がなかった人が、けっこう通っているようだ。その一方で、市内に昔からある映画館がどんどん消えている。郊外型の大規模小売店の隆盛で商店街にシャッターを下ろした店が目立つようになるのと同じで、大量仕入れで客を惹きつけるシネコンに単館は太刀打ちできない。そんな映画館が生き残るためにはシネコンのやらない映画を掛ける必要がある。

かつて名画座というものがあった。ロ−ドショウ専門の大きな映画館や、ロ−ドショウ専門館で封切られた後、流れてくる映画を二番目、三番目に掛ける番線館と呼ばれる小屋でもない。館主のセンスで選ばれた独自のプログラムで興行する小さくてもキラリと光る映画館である。どの映画とどの映画を組み合わせるかが館主の腕の見せ所。珈琲一杯程度の値段で観られる低料金も学生には有り難かった。

大学時代を過ごした京都は、映画産業とは切っても切れない街だったから映画館の数は数え切れなかった。ロードショウ専門館にはなかなか行けないので、映画を見るのは二番館、三番館が多かったが、名画座にもよく通った。新京極にあったATG専門の名画座や、下宿近くにあった低料金の西陣キネマ、中でも圧倒的にエネルギッシュだったのは、やくざ映画や日活ロマンポルノの連続オールナイト上映が売りだった京一会館だ。監督や俳優が来場して挨拶やトークがあるのもよかった。

その京一会館をはじめ、北は北海道から南は沖縄まで、今はなき名画座を訪ね、関係者の話を聞いてまとめたもの。古い映画ファンにはたまらなく懐かしい映画館の写真、看板、プログラム等々、当時を思い出しすことのできる貴重な資料満載である。著者はどこを訪ねても「あなたにとってのベスト3は何ですか」という質問は欠かさない。人によって選ぶ映画はさまざまだが、映画オタクや映画マニアと呼ばれる人たちが選ぶ映画とはひと味ちがって、誰もが観たことのある映画であることが共通する。映画通を気どらないところがいい。

映画と聞けば思い出すのがあの大看板。写真でなく、人が描いた看板の迫力につられてふらふらと入ってしまった人もいるだろう。あの絵は誰の手で、どうやって描かれていたのか。その秘密にも迫る。あるいは『ニュー・シネマ・パラダイス』よろしくフィルム缶を運ぶ人の苦労話とか、この本の特長は館主だけでなく、絵看板を描く職人さんや、映写技師はもちろんのこと、売店の売り子さんまで、映画館に携わるすべての人の声を聞こうとしていることである。

それぞれ個性的な名画座が揃っている中で、広島の「サロンシネマ1」には驚かされた。左右の幅75センチ、前席との間隔が1メートル10センチという「日本一の客席」。各席にはテーブルもついて100席。こんな映画館でゆっくり好きな映画が観てみたいものだと思うのは評者だけではないらしい。全国に先駆けて広島で公開された『父と暮らせば』は、同時公開されたシネコンより「サロンシネマ」の方が客の入りがよかったという。消えていく名画座の多い中でこういう名画座もあるという、ちょっといい話。

ひとつ残念なのは、少し遅すぎたということ。どの映画館でも最も映画館が輝いていた時代を知る人がすでに亡くなられていた。もう少し早くこの企画を立ち上げていれば、それらの生き証人からもっと面白い話が聞けたことだろうに、と著者ならずとも惜しまれてならない。各章の扉に置かれた、映画の名科白に導かれ、今はない各地の名画座への旅を愉しまれたい。

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 2006/7/8 『「正しい戦争」という思想』 山内進編 勁草書房

9.11の後、アフガニスタン、そしてそれに続くイラク侵攻を世界は認めた。テロとの関係が深いアフガンはともかく、その時点でイラクとテロとは直接の関係がなかったことは誰もが認めていた。それでも、米英を中心とする勢力はフセイン政権を打倒することに執着し続けた。それには、どうやら理由がある。石油の利権を含む政治家の思惑のことではない。ヨーロッパやアメリカには、キリスト教に由来する「正しい戦争」という思想があるということだ。

しかし、「ジハード」や「聖戦」という言葉が飛び交い、「正しい戦争」という思想とヨーロッパ由来の「正戦」が、混用され、本来の語義を離れて用いられることで無用な混乱も生じてきている。「正戦」と「正しい戦争」とは何がちがうのか、そして、「正しい戦争」という思想が、世界に果たしてきた役割とは何か。敗戦後、憲法九条の下で絶対的平和主義を標榜してきた日本人だが、このあたりで戦争というものについて一度整理しておいた方がいいかもしれない。

よく囁かれる「戦争とは最大の人権侵害である」という標語は、耳に心地よい言葉だが、現実に人権を侵されている他国民を知りながら、それに目を瞑っているのが果たして正しい態度か、という問いかけは切実である。ましてやそれが、民族浄化のための虐殺にまで進行していく可能性のある場合、他国の主権を侵しても人道的な介入がなされるべきではないのか。その場合の戦争は、人権侵害を止めるための戦争といえる。それでも「戦争は最大の人権侵害」なのか。

スーザン・ソンタグをはじめNATOによるコソボ空爆を支持した知識人たちの頭の中にあったのは、そうした考え方であったろう。戦争を全否定する絶対的平和主義はグローバル・スタンダードではない。当然、無条件に戦争を肯定する立場というのもごく少数にとどまる。「正しい戦争」だけは認めるという条件的肯定論というのが、大方のところだろう。

「正しい戦争」とは何かを明らかにしようとする、この本によれば「正しい戦争」には歴史的に見て「聖戦」「正戦」「合法戦争」という三つの類型がある。キリスト教、イスラム教を問わず十字軍のように神の名において行われる戦争が「聖戦」である。それに対して「正戦」とは、トマス・アクィナスに代表される中世スコラ学が法理論を戦わせて完成させたヨーロッパ流の「正しい戦争」思想である。そして「合法戦争」とは、二回にわたるハーグ平和会議で完成を見た戦争法規に則った戦争のことである。

ハーグ平和会議は、戦争のルールを定めたものであり、戦争の正、不正を判断したり、休戦をはかるものではなかった。戦争法規に則ってさえいれば、各国家は「各国家に対する絶対的かつ無制限の戦争の自由」を有する。これが、世界大戦の元凶だとして20世紀以降再び「正戦論」が浮上する。ヴァレンホーヴェンというオランダの国際法学者が、「独断的な戦争を行うことは『国際法上の犯罪』であり、そのような侵略行為を『諸国家の連合軍』または、『組織化された国際警察』によって撃破すべきだ」と主張したのである。

今回のイラク戦争を見ても強硬論を主張した米英二国にこの新しい「正戦論」が根強いことが見える。しかし、カール・シュミットは「人間性を口にする者は人を欺こうとする。」と言っている。つまり、「人権政策の追求は対立者を道徳的な敵と見なす『正戦』の概念に帰着する以上、戦争の全面拡大を引き起こし」、「敵に与える道徳的保護までも奪い去ってしまう」のだ。ことは、イラク戦争におけるイラク人民の被害や捕虜虐待の事実を見ても明らかである。

「正しい戦争」というのが本当にあるのかどうか、というのは、この本を読んだ読者が自分で答えを出すしかない。イラク戦争のその後を見る限り、シュミットの批判は正鵠を射ているようにも見える。が、そのシュミットの正戦論批判がナチス・ドイツのオーストリア併合と時を同じくして行われているのを考えるとき、全面的に評価するのも危ぶまれる。「正しい戦争」という思想の成り立ちから現代における問題まで、幅広い視野で問題を考えさせてくれる良い意味での教科書的な一冊である。


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