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 2006/6/25 『本の遠近法』 高階秀爾 新書館

丸谷才一によれば、よい書評にはいくつかの条件がある。まず、簡潔明瞭に内容を紹介しなければならない。次に、数多ある他の本の中からそれを選んだ理由を明らかにしつつ、でき得れば読者に新しい知見を持たせる。しかも、読者を愉しませる藝がなければならない。これだけの条件をクリアするのはさすがに難しい。だから、巷には書評は数あれど、はたと膝を打つものは少ない。しかし、ここにその条件を楽々とクリアした本がある。

物事がくっきり見えてくることを喩えて「目から鱗が落ちる」というが、『本の遠近法』こそ、まさにその言葉通りの印象を読む者に与えてくれる。書評といえば、書評なのだが、本そのものを紹介するというより、書かれていることから著者がインスパイアされた新しい着想について述べたものといった方がより正確かもしれない。一つ一つの章は独立しているのに、微妙に絡み合いながら進行する。喩えていえば、世界を渉猟して吟味された食材を、腕のいい料理人がフルコースに仕立ててみせたようなものである。

世の中には常識的に信じて疑わないものがある。しかし、普通の人には見ていても見えないものが、見る眼を持つ人には見えるものらしい。たとえば「伊勢神宮は本物か」などという問いかけをされれば、大方の人は何を今さらばかなことをと、問いそのものを一蹴するだろう。しかし、建築当時の部材が何パーセント以上残っているかによって、正当性が保証される世界遺産の選定基準によって眺めてみれば、遷宮行事により、二十年に一回建て替えられる伊勢神宮の場合、現在建っている神宮は本物のコピーということになる。

ふだん何の不思議も感じていないことが、新たな光を当てられることによって眼前に浮かび上がってくる。高階がここでやろうとしているのは、ロシア・フォルマリズムでいう「異化作用」なのだ。そして、そこで異化されているのは、日本文化というものである。日本人である限り、至極当然のこととして理解している日本文化を、該博な知識と精密な批評眼で選んだ書物によって照らしだし、その西欧世界にはない特質を明らかにしてみせる。

一例をあげよう。「てりむくり」という形がある。てりは「反り」ともいう。むくりはその反対。つまり、霊柩車や銭湯の屋根でよく見かける、あの形である。「唐破風」などと呼ばれもするのでてっきり中国伝来の形かと思っていたら、中国にも韓国、東南アジアにもない、日本のオリジナルなんだそうな。日本列島を太平洋岸を上にして置き直すと、てりむくりの形になる。網野善彦にも同じ向きにした地図の使用があったことから、網野史観に飛ぶ連想の鮮やかさ。

国号のなかった縄文時代には日本はなかったという網野史観に「ゲーテはドイツ人ではないのか」と啖呵を切り、丸谷の『日本文学史早わかり』を引きながら、東西二つの異なる文化を持つ王権が勢力を争った時代にあっても、「歌の道というただ一点において人々は共通の価値観で結ばれていた」と、日本という国の存続を、文化の力に置こうとする。

第一章で、木田元の「ハイデガー」本を紹介しつつ、人間は他の生物とちがい将来を先駆し、既往を反復する唯一の生物であるとし、その「世界内存在」の意味を、「人間は、時間の中に生きることによって、直接の『環境』を超えたより高次の『構造』のなかに存在することになる。それが『世界』というものである」と要約している。

高階は、木田がハイデガー解釈を通して西洋哲学史の相対化を試みているというが、そういう高階自身が、この本の中で、直線的な時間軸を生きる西欧的な世界観に対し、時間と空間に区別を立てず、型や儀式の持つ「反復」性を採用することで、西洋とは異なった独特の文化を持つに至った日本という国をあらためて想起させることで西洋的価値観の相対化を図ったように、評者には思われたのであった。


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 2006/6/17 『黒澤明VS.ハリウッド』 田草川 弘

映画『パール・ハーバー』を観ていたとき、日本軍の爆撃シーンに、観たことがあるな、と思わせるシーンがあった。それからしばらくして『トラ・トラ・トラ!』を見直して、やっぱりと思った。全くのフィクションではないから、事実に基づいた部分の演出はよく似たものになるのかもしれない。その『パール・ハーバー』が散々な悪評を得たものだから、逆に株が上がったのが同じ真珠湾攻撃を描いた1970年の日米合作映画『トラ・トラ・トラ!』である。

その『トラ・トラ・トラ!』だが、制作発表時には日本側の監督はあの黒澤明だった。それが、実際に上映された時点では、舛田利雄・深作欣二に替わっていた。そればかりではない。キャストにも大幅に変更があった。海軍軍人出身者の素人で固めた山本五十六をはじめとする連合艦隊総司令部も、プロの俳優陣に交代している。この交代劇の裏にいったい何があったのだろうか。その舞台裏の葛藤を、新しく発見された資料を駆使して、関係者が語る37年ぶりの真実とは。

一番の原因は、日本側の脚本・監督を引き受けた黒澤明の東映・太秦撮影所で行われる撮影が、いっこうにはかどらなかったことにある。ここで、疑問を感じた向きもあろう。なぜ東宝ではないのか、と。実は、その前年、黒澤は東宝を離れ、独立プロを興していた。その経緯もあり東宝で撮るわけにはいかなかった。おまけに同じ頃、東宝では『日本のいちばん長い日』の成功を受けて8.15をシリーズ化しようとしており、第二作『連合艦隊』を企画中であった。

黒澤はどこで撮るのも同じと考えていたらしいが、気心の知れた砧の黒澤組ではない。東映京都には太秦の気風というものがあった。完璧主義で知られる黒澤のやり方は組合意識の強いスタッフとの間に軋轢を生む。それに輪をかけたのが、素人俳優の演技であった。いくら相貌が似ていたとしてもプロの俳優に混じって満足のいく演技ができるわけがない。自分が決めたキャスティングである。引っ込みのつかない黒澤は激昂し、奇矯ともとれる行動を取るようになる。

アメリカ側の指揮を執っていたのがダリル・F・ザナック監督と『史上最大の作戦』を制作したエルモ・ウィリアムズ。映画化権を取ったダリルに黒澤を推薦したのがエルモであった。エルモは、ダリルと黒澤の間に立って、様々な障碍を乗り越えていく。映画制作の仕事というものがいかに大変なものか。この本を読んでいちばん伝わってくるのは、このエルモの私心を廃した働きぶりかもしれない。しかし、黒澤はそのエルモによって解雇を通知されてしまうのである。理由は「四週間の休暇治療が必要」という医師の診断であった。

黒澤に頼まれ、日本語の脚本を英文に翻訳する仕事をしていた筆者は、多くの場面に同席し、この間の事情に詳しい。事実上黒澤側に位置する筆者の目から見ても、当時の黒澤の取った行動は奇妙なものが多い。旗艦長門の長官公室の壁を一度撮影しているにもかかわらず塗り直しを命じる「壁塗り直し事件」を筆頭に、神棚事件、屏風事件と、異常なこだわりを見せる命令が次々と下され現場は混乱を極めている。

撮影クルーとの間を取り持つ人材の不足、総監督という肩書きに固執する黒澤に対して、あくまでも日本側監督であるという認識のエルモたちフォックス側、と契約にまつわる黒澤プロの代理人への不信も相俟って、食い違いが食い違いを生み、二進も三進もいかなくなっていたというのが真実のところ。黒澤は一睡もできず深酒の臭いを漂わせて撮影所入りを続けていたという。

芸術家肌の黒澤は撮影に入ると登場人物が乗り移るのだと常々語っていた。この頃の黒澤の背中には山本五十六が貼りつき、アメリカ側と戦っていたと思われるふしがある。勝てるはずもないが、負けるわけにはいかない絶望的な戦いである。黒澤が脚本を書き、撮ろうとしていた映画『虎・虎・虎』は、黒澤自身の言葉を借りれば「誤解の積み重ねによる、能力とエネルギーの浪費の記録」であり、運命的な「悲劇」である。黒澤がハリウッドとの戦いに敗れた映画『トラ・トラ・トラ!』監督降板の顛末こそ、まさにその言葉通りであった。

ついに撮られることのなかった黒澤の『虎・虎・虎』の中では、山本五十六は剽軽なところもある魅力的な人物として描かれるはずだったとか。黒澤の作品では『椿三十郎』がいちばん好きな者としては、いかにも司令長官然とした山村聡の山本でなく、人間的な山本が観てみたかった。黒澤得意の絵コンテや、当時の脚本が随所に引用され、幻の映画を立体的に再構成しようという試みも見える。黒澤ファンならずとも、映画好きには一読をお薦めしたい力作である。

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