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 2006/4/29 『一日 夢の柵』 黒井千次 講談社

医者への検診の行き帰りを題材にした作品が多い。六十代半ばから七十代半ばに書かれた短篇だから、当然といえば当然である。主人公はどれも老境を迎えた男性。連作ではないが、心理的には繋がりが感じられる。作家自身を反映していると考えて無理はないだろう。老夫婦が二人きりで暮らす何の変哲もない日常を淡々と描いた作品のようでいながら、ほのぼのとした味わいにはほど遠い。見なれた町で突然道を間違え、見知らぬ通りに出てしまったときのように不思議に覚束ない感覚を残す短編集である。

定年後の男性なら誰にも身に覚えのあるような、ごくごくありふれた日常生活の一コマを題材にしながら、そこは黒井千次である。端正な文体、精妙な観察眼と神経質とも思えるほど繊細な自意識で、ある日、ある時の小さな出来事とも言えぬほどの出来事の中に潜む老境を迎えた男の生理と心理を穿ってゆく。

歳月の波に晒され漂白されたような淡々とした老年男性の心や体の奥深くに埋み火のように残る生(性)に対する欲求を時にはエロティックに、時にはミステリアスに描き出す筆の冴えには心憎いものがある。健康診断の受診票の端にあった「目が覚めた後もはっきりと頭に残って忘れられないようなオカシナ夢を見た直後は危険ですので絶対に受診しないで下さい」という注意書きにはじまる、歳には似合わぬエロティックな夢に触発された一日の顛末を描いた「夢の柵」。

年をとり何かと口煩くなってきた老妻の「風邪をひきますよ」という言葉にいちいち逆らいながら、妻のすすめるコートではなく一張羅のツィードのジャケットに手を通すのは、冬日にはめずらしい暖かさに心弾むのを覚えたからだと思っていたが、ポケットの底に忘れていたメモに残された、今は誰のものであったか忘れた電話番号を回してみる好奇心には、体力の衰えとは逆に未だ衰えぬ性的な関心が仄見える。やがて声の主と思われる女と丸ビルのテラスで出会うのだが、夢うつつのような読後感を残す「丸の内」。

心身の弱まりからくる、自分より年若い男性への生理的な反撥や故知らぬ怖れが随所に挿入されることで、つまらぬ日常風景が異様な緊迫感を帯びて伝わってくる「電車の中で」、「要蔵の夜」。留守中の隣家に灯りがともるという不自然な出来事に老夫婦の疑念が高まってゆく「隣家」と、どれもどこにでもありそうな日常風景の底にぽっかりと口をあけた暗い穴を凝視するような底冷えのする後味を残す。

久々に大人の鑑賞に堪える短編集に出会った。十二篇のいずれも「文学界」「群像」「新潮」などの文芸誌の求めに応じて書かれたものである。純文学などという言葉は今では揶揄の対象とされているが、こういう作品がいまだに書き継がれているなら、まだまだ存在理由はあるのではないだろうか。そんな印象を受けた。


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 4/15 『三つの教会と三人のプリミティフ派画家』 ユイスマンス 国書刊行会

口絵を見ていて、おや、と思った。もう一枚のグリューネヴァルトのキリスト磔刑図は有名な作品だが、この女性の肖像画は普通の画集ではなかなかお目にかかれない。美人であることはまちがいないのだが、どことなく人を小馬鹿にしたような口許に浮かぶあるかなしかの微笑といい、真っ直ぐにこちらを見つめる眼の中にある、人の心の秘所を突くような辛辣な視線といい、この若い女性がただの美人ではないことをよく物語っている。

実は、学生時代に読んだ埴谷雄高の「ルクレティア・ボルジァ」という文章の中に作家本人が美術館で盗み撮りした写真として紹介されていた一枚なのだ。埴谷の文章ではヴェネティア派の画家、バルトロメオ・ヴェネトが描いたとされていた。モデルが、悪名高いチェザーレ・ボルジァと近親相姦の噂もあった妹のルクレティアその人である。真偽のほどは確かではない。ただ、そう思わせる何かがこの絵にはある。

ユイスマンスがフランクフルト・アム・マインにある小さな美術館でこの絵を見たときには、絵には15世紀フィレンツェ派(?)による「若い娘の胸像」というクレジットが付されていたようだ。ユイスマンスは、先のバルトロメオ説も考慮に入れながら、北方ルネサンスの巨匠アルブレヒト・デューラーとの類似点を探すなど大胆な推理を試みているが、この絵に関して言えば画家探しはどうでもよい。

問題は誰を描いた絵かという点である。ユイスマンスはルクレティア説を採らず、その父である教皇アレクサンデル三世が、60歳をこえてから見初めた15歳の金髪の美女ジュリアーノではないかと考えている。このジュリアーノという美女もまた、稀代の悪女ルクレティアに負けず劣らずの女性であったらしいことはユイスマンスの語る逸話からも分かる。

細く撚った金髪が波打ちながら肩口から胸元にかけて広がる様や、頭に被った純白のターバンの上にまとわりつく黄楊の葉でできた冠、堅く締まった乳房の間に下げられた司教型十字架のペンダントと、この謎の美女を飾る意匠には、どことなく芝居がかったものがある。両性具有者とも見紛う華奢な体つきからは、同じフィレンツェに咲いた名花で、ボッティチェッリのモデル兼愛人シモネッタ・ベスプッチにはない異端の官能美がある。

日本というカトリック神学からは遠く離れた地で、独り悪魔学に勤しんだ経験を持つ幻視の文学者と、世紀末デカダンスの聖書と呼ばれた『さかしま』を著しながら、後にカトリックに劇的な回心を遂げることになるユイスマンスが、偶然とはいえ、さほど有名でもない画家の一枚の絵に、魂を射抜かれるほどの関心を抱いたところが興味深い。おそらく、この絵には「美」だけではなく、その裏に「悪」が貼りついているにちがいない。

非合法政党の活動家として獄中生活を経験し、後に転向するという経歴をもつ埴谷と、世紀末美学の体現者として脚光を浴びながら、それに満たされないものを感じ、次作で黒ミサや幼児殺戮者ジル・ド・レエを描き大衆の反撥をかったことで、今度は一転して過激なカトリック者となるユイスマンス。善と悪、天国と地獄、美と醜、自然と人工という二項対立を通して世界を見ることを余儀なくされた二人が期せずして一人の美女に目を止めずにいられなかったことが、不思議でも何でもないような気がしてくる。

後になったが、ノートル・ダムを含む三つの教会から中世神学の象徴大系を読み取り、今は失われつつある古きパリを偲ぶ「三つの教会」は、今風の教会建築に対する激越な批判、辛辣な皮肉、悪意ある称揚の中から、静謐な祈りの空間を希求する作家の真摯な声が響く苦みを利かせた探訪記。挿入された銅版画風の挿絵が興趣を誘う。「三人のプリミティフ派画家」は三枚の絵についての批評。彫刻工の息子で、画家でもあったユイスマンスの怜悧な分析と作家ならではの大胆な想像力が相俟って、独自の鑑賞眼が光る。

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 2006/4/9 『ソロモンの歌/一本の木』 吉田秀和 講談社文藝文庫

明晰にして温雅。吉田秀和の文章を読んで受ける印象である。日本における音楽批評というジャンルを確立した吉田であるが、文学、美術にもその造詣は深い。その吉田の批評の核となる「自分」を創り上げてきた幼児期の記憶から、中原中也、吉田一穂という二人の先輩詩人との出会い等、すでに発表された単行本の中から音楽はもとより文学や美術を語った、これはという文章を選んで編まれた随想集である。

「批評するとは自己を語る事である。他人の作品をダシに使って自己を語る事である」というのは、小林秀雄の有名な文句であるが、その小林に近い位置にいて強い影響を受けながら、吉田秀和の批評は小林のそれとは対極に位置するように思える。小林の手にかかると、モオツァルトもゴッホもランボオも、すべて小林秀雄色に染まって見えてくる。それに比べ、吉田が読み解くセザンヌやマティス、クレーはそれぞれ異なった相貌を持った芸術として見る者に迫ってくる。ただ、そこに響いている声音は紛れもない吉田秀和のものなのだが。

それは二人の詩人、中原中也と吉田一穂の思い出を語った文章からもはっきりと分かる。どちらも詩人の中の詩人である。円のように完璧な詩を書きながら、純粋であるために夭折してしまう中原。一方、日本語による詩を突きつめることで、真っ白い原稿用紙を前に一字も書く事のできない一穂。若き吉田は真っ白な紙になって天才詩人の色を吸いとってしまう。遠い日の記憶を探り、そこに染みついた色を、親しげにしかし、近くにいた者だけが知る事のできる真正な詩人の姿を語るのは批評家である吉田だ。

あまり近くにいると、とかく身贔屓や甘え、あるいは逆に近親憎悪的な感情が生まれたりすることが多いものだが、吉田に限ってそれはない。この気持ちのよい透明性のようなものは、どこから来るのかと考えて、それが、彼が学んだ西洋の芸術・文化からであることに気がついた。ギリシア以来の西洋の知をわれわれ日本人は明治以来必死になって模倣し採り入れようとしてきた。しかし、それがどれほど成功したかは疑問である。

近頃の日本人の野卑な口吻からは、われわれが西洋から何も学んでこなかったことが嫌でも分かる。相撲の寄せ太鼓の記憶に始まる自分の生い立ちから西洋音楽受容についての考察に移る表題作「ソロモンの歌」。西洋をよく理解したことがかえって日本及び日本人に対する絶望を呼んでしまった荷風に託して、日本人というものを考えた「荷風を読んで」。この二篇を読めば、吉田秀和という批評家の中にある開かれた明るさのようなものがなぜ可能であったかが分かるだろう。

「私は、荷風が西洋体験でつかんだものは、個人主義であり、その個人主義を原理とする社会と芸術の相互関係だといった。近代の芸術は(中略)すべての面で、個人の自由ということと切り離せない」(「荷風を読んで」)。確立した個人の自由があればこそ、個性や独創というものが尊ばれる。知っての通り日本人は模倣によって国を創り上げてきた。そうせねばならぬ理由があってのことでそのことについて今是非は問うまい。要は模倣の是非ではなく仕方にある。

「日本人の最大の特徴は、外国の浅薄な模倣をよろこぶ気持ちと、深いところに潜在する排外思想との間の緊張ではあるまいか。その間に調和を求めるものは、どこかに逃避しなければならない」(「荷風を読んで」)。昭和45年に上梓された『ソロモンの歌』所収の文章が、いっこうに古びていないどころか、ますますその重みを増して感じられるように思うのは、ひとり吾人だけではあるまい。


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