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 2006/3/18 『中村屋のボース』 中島岳志 白水社

行ったことはないが、新宿中村屋の名前は知っていた。月餅の包装紙にあるロゴも見覚えがある。中村屋を開いた相馬愛蔵と黒光の名前は、安曇野にある碌山美術館を訪ねたときに眼にした。中村屋の敷地内には、碌山荻原守衛のアトリエがあった。碌山は黒光を愛していた。代表作「女」の像は、別の女性をモデルにして制作されたが、完成した作品を見た子どもたちは「カアさんだ!」と叫んだそうである。

まだ武蔵野の名残を残す内藤新宿にあって、中村屋は一つの文化的なサロンとしての役割を果たしていた。高村光太郎をはじめ、芸術家や文化人、政治家が出入りしては、交流の輪を広げる場となった理由の一つに、「中村屋のインドカリー」があった。そのインドカリーの生みの親こそが、本評伝の主人公、中村屋のボースこと、ラース・ビハーリー・ボースであった。

インド統治の責任者であったハーディング総督に爆弾テロを行ったR・B・ボースは、インドにいられなくなり、伝手を頼って日本に渡る。しかし、英国よりの態度をとる日本政府はボースに対し国外退去を命じる。政府の弱腰の態度に業を煮やしたのが頭山満、玄洋社の首魁であった。その頃、新聞でインド独立の闘士の窮地を知った相馬夫妻は、頭山を通じてボースを中村屋敷地内にあったアトリエに匿うことになる。一歩も外に出られないボースは、アトリエにあった炊事場でインドカリーを作って故国を偲んだ。その味が「中村屋のインドカリー」の原点である。

後に黒光の娘俊子を妻にしたボースは、日本に帰化し、日本にいながらインド独立のために奔走することになる。日本語を流暢に話し、独特の魅力を放つボースは、頭山満や大川周明という超国家主義者の領袖を筆頭に、犬養毅、東条英機、広田弘毅という名だたる顔ぶれを知人の列に加えることにより、日本の国策である大東亜共栄圏の宣伝に協力することになる。

ボースの頭にあったのは、ガンジーの非暴力主義では英国の支配からインド独立を勝ち取ることは難しい。だから日本の武力をもって英国を排し、インド独立を果たすというプラグマティックなものであった。だが、当初は日本の韓国、中国に対する差別意識を批判していたボースであったが、日本政府に重用されるうちに批判色を薄め、国策に絡め取られてしまう。

日本の心情的アジア主義者には思想がなかったと筆者はいう。インド独立を焦り、結果的に日本の超国家主義に協力することになってしまうボースもその点では同罪である。しかし、9.11以降、西欧的世界観にも限界があるのも明らかになりつつある。インドや中国というアジアの国々が台頭しはじめている今、アジア的な視座に立つことにより、西洋的世界を見直し、より普遍的な世界を目指す方法もあるのでは、という問いかけが生じる。そこにこそボースの希求した世界像がある。

新宿中村屋の名物「インドカリー」の陰に埋もれていた一人の男の人生を激動の昭和史を背景にくっきり浮かび上がらせて見せた功績が大きい。出生の地インドを訪ね、逃走ルートを実際に走り、体を張った調査で、過去を活き活きと甦らせる。アジトでの潜伏、繰り返される転居という逃走劇は映画を見るようで手に汗を握る。タゴールや、チャンドラ・ボース、『ドグラマグラ』の夢野久作の父親、杉山茂丸をはじめ記者時代の山中峯太郎等、登場人物の顔ぶれも凄い。文学・歴史好きにはこたえられない一作。

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