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 2006/2/19 『菊日和』 波乃久里子 雄山閣

筆者の波乃久里子は新派を代表する女優。昨年三月襲名した十八世勘三郎の姉、先代勘三郎の娘である。『菊日和』の「菊」とは、いうまでもなく、筆者にとっての祖父、六代目尾上菊五郎を指す。九代目といえば團十郎、六代目といえば菊五郎と言われるほどの名優である。筆者の母久枝は、その六代目菊五郎が新橋の芸者君太郎に生ませた子。平易にいえば妾腹の子である。ただ、本妻との間に子どもがなかったこともあり、麹町に別宅を構えた後も久枝たち兄妹は本妻を芝のお母様と呼ぶような関係の裡にあった。

この本は、娘である波乃久里子が、仏壇の陰から母久枝が東洋英和学校に通っていた頃の日記を発見したことから始まる。父からは、十五歳も年の離れた結婚で、勘三郎(当時もしほ)は変な小父さんと思われ嫌われていた、と聞かされていたのだが、日記を読んでみると、母は本当は父のことが好きだったことが分かる。しかも、宮廷官女の日記がそうであったように後に誰かの目にふれたときのことを考え清書さえされていた。

歌舞伎役者の妻は戦前までは芸妓あがりが多く、同じ役者仲間の娘をもらうことは先例になかったという。それ故の苦労もあり、会話入りで小説風に書かれた日記には、年の離れた歌舞伎役者との結婚が決まるまでの少女の揺れ動く心が、素直に書かれている。しかも、日記に書きとめられた菊五郎一家の生活からは、戦火の東京にありながら、映画見物、レストランでの食事と意外に平静な人々の暮らしぶりまでが読みとれる。

十八世勘三郎の襲名披露公演はテレビで見たが、ところどころに先代譲りの愛嬌を振りまきながらも、現代の歌舞伎界を背負って立つ心意気の感じられる見応えのあるものであった。それだけに、大阪の歌舞伎役者中村歌六の妾腹のしかも末子として生まれたため、名優吉右衛門の弟でありながら、役にも恵まれず、なかなか芽が出なかった頃の先代勘三郎の鬱屈した日々が、ひとしお胸に迫った。

菊五郎の薫陶を受けた十七世中村勘三郎は晩年でこそ名優の誉れ高い役者であったが、若い頃は、恵まれない境遇を恨んで大酒を飲み、役者仲間のつきあいも悪く、その評判はあまりいいものではなかったらしい。時には大向こうから「ダイコン!」のかけ声もとんだとか。日記の中で、もしほが巧い役者になれるよう久枝は一心に祈っている。

歌舞伎界には、吉右衛門と菊五郎が縁戚関係になることを喜ばぬ者もいて、もしほと久枝が結婚するまでにはいろいろ横槍や中傷もあり、菊五郎の気持ちも揺れたらしい。そこへもしほの評判がよくないときている。結婚にこぎ着けるまでの久枝の苦衷は日記の中によく現れている。久枝との結婚を機に、もしほは一大決心し役者修業に専心することになる。中村勘三郎という名跡も、中村座の座元兼役者という由緒のある名だが、ずっと途絶えていたのを先代が今のような大名跡にまで高めたのである。

今の團十郎の父、十一世團十郎は口跡もよく美男で知られるが、結婚前の久枝は実は團十郎に憧れていたらしい。菊五郎がライバルでもあり尊敬もしていた吉右衛門の弟もしほが気に入り、娘の相手にと考えたため、この話はなくなってしまった。十一世團十郎は、今の幸四郎の父、松本白鴎の兄であり、市川宗家に跡継ぎがなかったため養子として市川家の跡を継いだ。二人の結婚は充分「想定内」であったのだ。もし、二人が結ばれていたら現代の歌舞伎界の地図は大幅に塗り替えられていたことだろう。

役者という一般人の目からは見ることのできない異世界のしきたりや慣習の解説もまじえながら、名優の子として生まれ、役者に嫁ぎ、夫を父のような名優にしようと精一杯つとめた母の生涯を、娘の目から愛情細やかに綴ったもの。歌舞伎に関心がある人なら一読をお薦めする。

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 2006/2/18 『甦る昭和脇役名画館』 鹿島茂 講談社

1970年を間にはさんだ十年間というのは、東大安田講堂、三島事件を経て浅間山荘事件に至る熱い政治の季節でもあった。そんな時代を背に当時大学院受験に失敗した鹿島茂は、坂口安吾のいう「落魄」の思いを胸に、場末の映画館に通い詰めていたという。特別政治闘争に肩入れしていなくても、しだいに閉塞感を増しつつあった時代状況の中で自分の居場所を探しあぐね、映画館の暗闇の中をアジールにしていた若者は少なくなかったのではないだろうか。

当時の映画館にはどんな映画がかかっていたのだろう。量産した映画を系列館にかけるというシステムをとっていた邦画五社は、桁外れの制作費や宣伝費をかける洋画に押され、その力を失いつつあった。時代劇を得意としていた東映は任侠映画から実録路線に至るやくざ映画で食いつなぎ、アクションで売った日活は、制作費を切りつめたロマン・ポルノ路線でしのいでいた。鹿島茂が見つづけた当時のプログラム・ピクチャーというのは、ひとくちで言えばやくざ映画やロマン・ポルノであった。

月間何本の割合で量産される映画では、主役級の役者は交代するが、脇を固める役者は何度でも同じ顔が使い回しされる。そのうちに俳優の持つキャラクターと半ば固定化された役柄から第三の人格が生まれる、鹿島のいう「残像現象」である。主役の首はすげ替えることができても、この役はあの役者でないとという脇役ができてくる。そうした個性的な脇役役者ばかりを十二人揃えて、各々一人につき代表作を三本立てでヴァーチャル上演してみせようというのが『昭和脇役名画館』。ちょっと覗いてみたくなるではないか。

上映順に紹介しよう。荒木一郎、ジェリー藤尾、岸田森、佐々木高丸、伊藤雄之助、天知茂、吉澤健、三原葉子、川地民夫、芹明香、渡瀬恒彦、成田三樹夫という顔ぶれである。あとがきに、渡瀬恒彦以外は今の映画ファンにはなじみがないだろうと書かれているが、かなり渋い人選であることはまちがいない。しかし、鹿島氏の年代に少し遅れるものの、ほぼ同時代を生きてきた筆者にはピンク映画出身の吉澤健以外は見たことがある役者ばかりだ。

好みからいえば、まず成田三樹夫。工藤堅太郎を相棒に従えたTVドラマ『土曜日の虎』は毎週欠かさずチェックしたものだ。次に荒木一郎か。歌も好きだが、独特のキャラクターは他の役者にない個性があった。脇役というには重すぎるのが伊藤雄之助。『椿三十郎』の家老役をはじめ、ちょっと出ただけで他の役者を喰ってしまう存在感の強さでは群を抜く。佐々木高丸は、右翼の黒幕役で顔を売ってはいるが、フランス文学の翻訳者としても有名で、『赤と黒』などのスタンダール作品をはじめ、左翼活動の資金にと『ファニー・ヒル』のような軟文学も訳しているのは愛嬌。インターナショナルの日本語歌詞を書いたのも氏であるのは知る人ぞ知る事実。バリバリの左翼系役者が右翼の大物を演じるというところが皮肉である。

鹿島先生は新東宝映画のファンであり、グラマー女優に弱いことを告白しているが、残念なことに三原葉子という女優、年をとり太ってきてからの売り出し中の女優にからむ年増女役の記憶しかない。芹明香はよく知っている。ロマン・ポルノが映画賞に続々登場するようになってから見はじめたので、多くは見ていないが独特の乾いたエロスを感じさせる投げやりな役作りが印象的な女優であった。

お気に入りの役者がぴたりとはまった役どころを演じているのを語るのはファンにとっては何より楽しいものだが、さすがは鹿島茂、ただただファン心理に酔ってばかりはいない。見るべきところはしっかり見ている。先輩の裕次郎と比べて印象の薄い川地民夫のイメージについて論じているところなどがまさにそれだ。

長身のわりに童顔の裕次郎には肉体を持て余しているイメージがある。それを戦後のアッパー・ミドルに属する青年の「俺は今ここにいる俺ではない」という肥大した自我と現実の自分との遊離感、つまり「持て余し感」だと鹿島は喝破する。それが川地民夫には感じられない。自己実現の可能性以上に肥大しないローアー・ミドルの自我の「余りなし感」を川地は表現しているという、この指摘にはうなった。

とかく主役の陰で日の当たることの少ない脇役達にライトをあてる視点といい、量産の挙げく廃棄され、今では見ることもかなわなくなったフィルムに捧げるオマージュとしても、まことに時宜にかなった企画である。本を読んだ後は、ぜひ、ビデオやDVDで映画を愉しんでもらいたい。今の日本映画にはない、熱い息吹きのようなものが感じられるにちがいない。


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 2006/2/10 『アラン島』 J・M・シング みすず書房

とくにわけもないのにものさびしい日がある。何をする気もおきず、さりとて寝てしまうには眠気が訪れてこない。本でも読もうと思うのだが、そんな日に硬い読み物はご免こうむりたい。かといって娯楽読み物のわざとらしい刺激には食傷気味である。そういう日に読むのに紀行文というのはもってこいではないだろうか。

まず、読んでいて疲れないのがいい。理屈より先に事物があるから批判が先に立たない。はじめて出会うものごとに感動する筆者と清新な感情を共有すればいい。

次に、旅というのはいずれにせよ浮世離れしているので、日々の生活に倦じ果てている心に活気が戻る。絵空事でなく現実に存在しているというところに実感があるのもいい。

最後に、本当の旅は身体的にも精神的にも疲れるのが当然だが、本の中を旅する分には、その心配がいらない。何よりこれがありがたい。

アラン島は、アイルランド西部、大西洋上に浮かぶ島である。海面から断崖絶壁がそびえ立つ石灰岩質の島にはもともと土壌成分が貧弱で、それをたえず襲う大雨や嵐が奪ってしまう。島民は海藻をとってきては岩と岩の隙間にそれを干して土壌の足しにする。また、波が荒く深い港のない島では島カヌーと呼ばれる小舟の漁が中心で、時化の日など、漁に出るのも命がけだ。かつて見たロバート・フラハティ監督によるドキュメンタリータッチの映画ではそのように描かれていた。

シングは、少し前にアラン島を訪れた友人のW・B・イエーツに勧められ、島に渡った。島の人々の暮らしぶりや伝承に心奪われたシングはその後も何度も島に渡り、古老の昔語りを採集したり、ゲール語で詠われる詩を英語に翻訳したりしながら、何より島での暮らしを堪能している。

フラハティの映画がアラン島の自然環境の厳しさや残酷さを訴えているとしたら、シングの筆が描き出すそれは、本土の人々が失ってしまった、人の暮らしの中にある質朴な美しさやあたたかさ、また、いまだに妖精とともに生きているような浮世離れした感覚である。自然や暮らしぶりの厳しさも当然描かれているが、島が好きでならないといったシングの筆致が、苦しさよりは楽しさを強く印象づけている。

おじいと呼ばれる語り部の古老が紡ぎ出す昔話の中には、シェイクスピアもこれをもとにしたかと思われるような古い物語の断片が微妙に綯いあわされた奇譚もあり、島のあちこちに残る砦とともにかつて栄えた文化の古層を今に伝えている。

何よりすばらしいのは、アラン島を取り巻く自然描写である。嵐の日の海、月夜の砦の散策、晴れた日の戸外での昼寝と、島の暮らしを思う存分味わっている筆者の感情が直に伝わってくる。島自体は今も残るが、アラン島に暮らす人々の古き佳き日々を味わうことができるのはシング氏の筆の賜物である。大人の本棚に相応しい滋味あふれる一巻。

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