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 2006/1/22 『時代劇ここにあり』 川本三郎 平凡社

かなり偏った映画評論集。筆者の好みだけで選び抜かれた時代劇映画選集といった方がいいかも知れない。それでは、川本三郎がよしとする時代劇とは何か。それは「股旅もの」である。巻頭に「股旅もの映画の魅力−汚れちまった悲しみに」という一編が置かれている。

「時代劇には、剣豪もの、捕物帖、仇討ち、お家騒動など様々なジャンルがあるが、一番好きなのは、股旅ものだ。どの組織にも属さない一匹狼が、やくざ世界のしがらみのなかでがんじがらめになりながらもなお意地を貫き通して生きてゆく。決して颯爽としたヒーローではない。世間に逆らい、苦しみながらそれでも旅鴉の生き方をまっとうしようとする。その傷だらけの姿が胸を打つ。」

徹底的にセンチメンタル。弱者の怨念が裏返って牙を剥き、制度や強権に刃向かって壮絶に戦って後果てるというルサンチマンに凝り固まった時代劇観である。時代的制約というものがある。著者自身も言及しているが、既成政党から見放され、頼りにした市民との連帯を得ることもなく、60年安保に破れた世代の挫折感、敗北感をやくざ渡世の裏街道を生きる一匹狼の心情に仮託しているのだ。

それがいけないと言っているのではない。むしろこうまではっきり表明されると、意外な気がするくらいだ。長谷川伸の『瞼の母』や『沓掛時次郎』に代表される股旅ものは、旧世代の日本人によって愛され続けてきたジャンルであった。義理人情のしがらみ、世間というものの圧力、共同体の掟といった見えないもののたしかに存在する強制力の前に徹底して無力であり、無力である自分を肯定するために憾みをのみながら忍従する処世術をとる。それこそ、ニーチェがルサンチマンと呼んだ奴隷の道徳にほかならない。

股旅ものを嫌った大井広介が、股旅ものの主人公は正々堂々と戦わず逃げてばかりいるとけちをつけているのに対し、市川雷蔵主演の『大殺陣・雄呂血』の主人公の言葉を引いて川本は言う。「卑怯で隠れたのではない。追われる者の悲しい性(さが)だ。」「一匹狼たちは、逃げ続ける者、追われる者である。窮屈な世間をさらに狭くして裏街道を逃げのびている日陰者である。初めから剣豪や正統的な侍とは立場が違う。それを逃げ隠れするな、堂々と出て来て闘えというのは、しょせん「追われる者の悲しい性」を知らない強者の論理である」と。

自己自身を肯定できないルサンチマンの持ち主は相手に対する反抗をせめてもの創造的行為とすることで自己の肯定感を得ようとする。他者に対して否を唱えることではじめて自己が正となるからだ。彼らが絶望的な戦いに向かってゆくのはそうすることでしか自己を確認できないからだ。同じことは対女性関係でも言える。股旅もののヒーローは女に惚れても手を出さない、命がけで相手を守るだけだ。われらが国民的ヒーロー車寅次郎が同じ系譜に属することは言うまでもない。

大衆娯楽として発展してきた時代劇映画の中から徹底して弱者の視点にこだわった作品ばかり選び抜き、簡単なストーリーの紹介と見所を押さえた上、そのどこが胸を打つのかを熱っぽく語る。こうまで一つの主題を一貫して映画を語った評論集というのもめずらしい。巻末のDVD等で見られる作品紹介が親切。公開当時のポスター写真も多く、見ているだけでも楽しい。各章とも最後に女優についての一言があるのが川本三郎らしい。


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 2006/1/5 『悲劇週間』 矢作俊彦 文藝春秋

メキシコ革命の混乱を背景に、国と国との外交を、人と人との信義を、そして男と女の愛をこれでもかというまでに華麗にロマンティックに描いた矢作俊彦の新作。狂言回しをつとめるのが二十歳になったばかりの堀口大學。言わずと知れた『月下の一群』の詩人である。「夕暮れの時はよい時」の優しさ。エロティックな詩に見せる官能性と、同時代の日本詩人とはひと味ちがった作風を持つこの人の父は外交官であった。

大學の祖父は河井継之介の起こした戦で討ち死にする。遺された父は米百俵を金に換えての教育を受け、めきめき頭角を現し立志伝中の人物になる。しかし、外交官時代朝鮮王妃暗殺に関係した罪で投獄、後に放免され外交官に返り咲く。在外公館を渡り歩く父は滅多に帰らず、母に早く死なれた大學は祖母一人の手で育てられ、父の愛を知らずに育つ。

明治45年、若き大學は慶應在学中。秘かに敬愛する与謝野晶子と鉄幹主宰の新詩社同人となり、荷風の授業を受けるなど、父の願いに反して詩人への道を歩んでいた。大逆事件に連座した女流詩人が新詩社同人であったことから、与謝野夫妻の周囲にもきな臭い煙が立ち上る。そこにメキシコ公使として赴任中の父から渡航を求める便りが届く。ハワイで喀血し肺を病む身となった大學は公使の嫡男として公使館に身を落ち着ける。

折しも当地では、独裁政権が倒れ新政権が起こったばかり。独裁者ディアスを倒した新大統領は血を見るのが嫌いな義人であった。しかし、その温情が却って叛乱の芽を摘み残し、政情は不安であった。パンチョ・ビリャ、サパタと詩に謳われ、映画にもなった英雄達が革命の同士マデロとの確執の中で、敵味方になって相戦う。叛乱の最中、公使は大統領の家族を公使館にかくまうことになる。その中に、大統領の姪でコーヒー色の肌を持つ美少女フエセラがいた。一目で恋に落ちた大學は、どこか秘密の匂いのあるこの美女と逢瀬を重ねるのだったが。

アステカの遺跡、湖を埋め立てた上に造られた壮麗な都市、数多の骸骨が街に繰り出す「死者の日」の夜、異国情緒溢れる南国風景が眼前に展開される。男勝りの令嬢は馬にも乗れば車も運転する。しかもパリから送らせる衣裳は華麗この上もない。大學も暴れ馬に乗り、自転車で疾駆する。復活祭の夜は道化服の仮装と負けてはいない。二人の恋が成就するかどうかも気がかりだが、端正な街路はしだいに戦場と化す。暴動を恐れた日系人が公使館の守りにと馳せ参じる。その中には戊辰戦争の生き残りの野中老人、官軍の海江田武官、会津戦争で死にはぐれたマユズミさんと、明治維新の敵味方が呉越同舟。

堀口の家も今でこそ新政府の外交官であるが、もとは長岡藩士。大學のフランス語家庭教師ドン・ルイス・ペレンナは砲術士官としてパリ・コンミューン、五稜郭の戦いでいずれも敗軍と共に戦った経験を持っていた。いきおい歴史を裁く視点は破れた側から見られることになる。特にテキサス、カリフォルニアでは満足せず隙あらばメキシコを手中に収めたいと画策し、執拗に干渉を繰り返すアメリカに対する反感の表現は露骨でさえある。

ルサンチマンに溢れた書きぶりは文体にも影を落とし、倒置法を多用する美文調になる。そこにランボオやヴェルレーヌらの詩の引用が入る。ニザンや小林秀雄、その他人口に膾炙した名文のパスティシュがふんだんに織り込まれる。センチメンタルのどこがいけない。ロマンティケルで何が悪いという開き直ったような文体は堀口大學に仮構した作者その人の心情が却って顕わになったというところか。原稿用紙一千枚の大作だが卷置く能わず一気に読み通した。堀口大學という視点人物とメキシコ革命という背景を結びつけた作者の慧眼に快哉を叫ぶ。山田風太郎の開化ものに通じる、虚実綯い交ぜた歴史物語を読む愉しさに溢れた快作。

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