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 2005/12/18 『いろんな色のインクで』 丸谷才一 マガジンハウス

まず、最初に「書評のレッスン」というのが置いてある。何が書いてあるかといえば、書評は、藝と趣向と語り口だという、持論である。職業的作家として、新聞や雑誌に文章を載せているわけだから、いくらいいことを書いても読者に目を止めてもらわなければ何にもならない。そこのところが痛いほど分かっている。だから、この人の書くものはおもしろいし、ためになる。

丸谷の書評の原点はイギリスの書評である。高級紙にかなり長文のしかも抜群に面白い書評が載る。そういう書評を喜んで読む読者が多数いる、ということだ。書評からその国の文化程度が分かる。丸谷としては日本にもそういう読者が育ってほしい。そこで、イギリスのいいとこはまねをして、長くて趣向に富んだ藝のある書評を機会を求めてはせっせと書き続けてきた。

その珠玉の諸編が二章に集められた74の書評である。主として毎日新聞の書評欄に収められたものだが、掲載された時点で多くのものを読んでいるはずなのに、あらためて読んでもいっこうに面白さは減らないのは、こちらの記憶力が減退しているせいばかりではない。

それは、一つにその趣向にあるだろう。概して丸谷の書評には、それまでにない見方をあえて立てるというところがある。博識で好奇心旺盛な氏は洋の東西を渉猟し、時間を遡り、思ってもみなかった共通点を探り当てては読者を煙に巻く。ミシェル・パストゥローの『ヨーロッパの色彩』を論じ、著者が国旗は単独で存在せず他の国旗との比較で意味を持つと書いていることから、すぐに話を日本に転じてみせる。曰く、明治以来日の丸が定着したのは、まず英米仏欄の四国にない円という意匠であったこと、次に四国の国旗にある青色を排し、赤一色とした点、さらには家紋に近い意匠の形状と単色性にあったと。意表をつかれ、そして深く肯かされる。うまいものだ。

さらには、書き出しと結びの呼応、俗にくだけて品の落ちない語り口の巧さがある。世に達意の名文というのがある。意味が通じないでは名文も何もあったものではないが、そういう文章が少なくないことも事実だ。だからこそ、達意であることが称揚される事情がある。しかし、それだけでは寂しい。文章も美術や音楽のように体験して愉しむというところがないといけない。丸谷の文章には、サロンに飾られた絵を見たり、室内楽を聴くような知的で洗練され、それでいてどこかエロティックな香りがある。

書評には、世間に知られていない見方、考え方を紹介し、広めるという役割もある。書評家の藝の一つは、誉めることである。それもうまく誉めなければならない。読者が自分でも分かるような美点や長所を挙げてみても藝とは呼べない。丸谷はその点でも、余人の追随を許さない。誉めあげることもあれば、けなしているようでいてよく読むと誉めているのだな、と分かるような褒め方もある。実に藝が細かい。

手慣れて見える文章だが、その裏に、何度も書き直すという至極当たり前に見えて、実はかなり難儀な作業をいとわない資質がある。おそらく自分の文章もまた批評的に読むことができるのだろう。日を置いて読み直し、書き足りなかった点、読み落としていた視点を入れて再度、書き直す。「書評のレッスン」の中に、マンゾーニの『いいなづけ』の書き直し、カズオ・イシグロの『日の名残り』の書き足しの二篇がある。この手練れにして、この精進ぶり、畏れ入る。

丸谷は自分の原稿をまずは5Bか6Bの鉛筆で下書きし、その後いろんな色のインクで清書するという。書名は、そこからきている。その方が気分を替えることができていいらしい。解説、パンフレット、さらには帯まで、本に関する断簡零墨すべて見せますという気合いの入った一本。

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 2005/12/17 『さようなら、私の本よ!』 大江健三郎 講談社

ノーベル賞作家大江健三郎に限りなく近い作家、長江古義人(ちょうこうこぎと)を主人公にした『取り替え子』『憂い顔の童子』に続く三部作の完結編。映画監督伊丹十三の自殺を契機にして書きはじめられたこの連作は、学生時代からの友人であり、妻の兄でもある伊丹(作中では塙吾良)の死を正しく受けとめ、ジャーナリズムによってスキャンダル化された死を、まっとうな場所に位置づけることで、死者を鎮魂し、残された家族を癒すために書かれたものと考えられる。

しかし、大江の大江らしいところは、そのいわば「個人的な体験」をいかにも小説らしい小説として書いてしまうところにある。同世代の日本の作家、あるいは新しく登場してきた作家と比べても、大江ほど小説という表現形態に意識的である作家はいない。自分の思うところを無意識に文章化し、これが小説です、という顔をしてすませるには自意識が邪魔をする。その結果、表層的には卑俗なまでの現実を纏いながら、その裏で作家的真実に忠実であろうとする作品世界ができあがってしまうわけだ。

その結果、作品は私小説的な匂いを漂わせながら、どこまでが事実で、どこからが虚構か判別しようのない鵺のようなすっきりしないものにならざるを得ない。おまけに小説という形式についてはきわめて意識的で、どこまでも作品世界を統御しようとする作家大江の裏に、コンプレックスの固まりのような生活者大江が貼りついていて、批判に対する自己弁護や憤懣を小出しにするものだから、単純に感動できるような作品には仕上がるはずもない。

それでいて結構面白く読ませてしまうのは、この作家の見かけに寄らない老獪さの賜物だろう。事実、連作の掉尾を飾る今回の作品は、老いを迎えた者ならではの澄明さと寂しさも顕わに、これまでの自身の人生を総ざらいするように、創作についての悩みや、影響を受けた作家や作品を惜しげもなく披露して見せている。登場人物も、大江の家族は当然のこととして、師である渡辺一夫や小澤征爾をはじめとする友人たちが登場し、大江作品に馴染んできた読者には、懐かしさに満ちた世界が開かれている。

物語は、毎晩自室で吾良や篁(武満徹)という死者と語り合う父に不安を覚えた真木が古義人の幼馴染みで建築家の椿繁にEメールを送ったことから始まる。自殺を心配する真木に繁は北軽にある古義人の別荘で二人が同居するという提案をする。過去に仲違いをしたこともある「おかしな二人組」の共同生活がはじまるはずだったが、繁には別の目論見があった。9.11を目撃した繁は建築家ならではのビル爆破による効果的なテロのマニュアルをネット配信することを思いつく。繁は古義人の別荘をテロ連鎖の「根拠地」にと考えたのだ。

T・S・エリオットの詩(もう老人の知恵などは/聞きたくない、むしろ老人の愚行が聞きたい/不安と狂気に対する老人の恐怖心が)をエピグラフにして、小説は書かれている。作中には三島やドストエフスキーの『悪霊』についての言及もあり、ユマニストを自称する作家がテロとどう関わるか、が主題のひとつでもあることを暗示する。書く意欲が失せた老作家が、自身が事件に巻き込まれる形で小説を完成させるという着想といい、なかなか『さようなら、私の本よ!』というような境地ではないように思われる。

一時の晦澁な文体が影をひそめ、終始平明な文体で綴られている。限られた登場人物と場面展開は物語を追うのに苦労することがない。ブッキッシュな作家らしく、先行する文学作品からの引用と変奏に溢れた、その意味で読んでいて愉しい小説である。大江ファンならずとも、一度手にとってみられることをお薦めする。


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 2005/12/10 『マリア伝説とルネサンス』 岐阜県美術館

プラートは、イタリアはトスカーナ州、ルネッサンス美術の宝庫として有名なフィレンツェの北西15キロほどのところにある。聖母マリアが昇天する際、棺が空になっているのを確かめに来た使徒トマスに、自ら身に帯びていた腰帯を手渡したとされる「聖帯伝説」で知られる町である。

メディチ家の庇護下、芸術と文化の町として脚光を浴びる大都市フィレンツェに隣接するプラートは、つねにその勢力に脅かされ続けていた。そのプラートの人々が愛郷心の糧にしたのが聖帯だった。当時のイタリアの諸都市では、町のシンボルとしてキリストの聖遺物を掲げることがあった。戦いの際など城壁の上でそれをかざすことで、神の恩寵を賜ると考えられていたからだ。

偶像崇拝を禁じたキリスト教にあって、聖遺物の信仰は本来的なものではなかったが、東方で盛んであった地母神信仰に由来するマリア信仰と結びついた「聖帯伝説」は、弱小都市プラートに住む人々が結束するためのシンボルとして何よりも有効であったにちがいない。

毛織物の町として知られるプラートは商人たちの寄進によって、多くの美術品を所蔵してきた。なかでも町のシンボルでもある聖ステファノ大聖堂の壁画制作を依頼されたフィリポ・リッピとその弟子、愛息フィリッピーノ達ルネッサンス画家の作品が、今回の展覧会の中心をなす。

初期ルネッサンスを代表する画家として知られているフィリポ・リッピは、「ヴィーナスの誕生」で有名なボッティチェッリに影響を与えたことでも夙に有名である。たしかに優雅、典麗なその画風はボッティチェッリによく受け継がれている。特にこころもち首を傾げた天使の像や、S字型にしなやかな曲線を描いて立つ女性像は、今回展示されている作品の中にその原型を窺うことができる。

僧の立場でありながら、尼僧に恋をし、駆け落ちまでしたことでフィリポ・リッピには芳しからぬ噂がつきまとっているが、その相手の尼僧ルクレツィアの容貌もリッピとフラ・ディアマンテによる「身につけた聖帯を使徒トマスに授ける聖母」の中に見ることができる。画面左手に立つ女性がそれで、知的で聡明な面立ちがいかにもフィリポ好みである。

結局は還俗して、幸せな家庭を持つフィリポとルクレツィアの間にはフィリッピーノという男の子が生まれる。このフィリッピーノも父のあとを継ぎ、ルネッサンスを代表する画家となるが、彼を教えたのが、父の弟子にあたるボッティチェッリであった。

ルネッサンスからマニエリスム、カラヴァッジョ派とイタリア絵画史をさらうような展示内容だが、当時のならいとはいえ、模倣作や工房による制作の作品も数多く、オリジナルな作品に価値を置く現代の鑑賞態度からは物足りないものがあるかもしれない。そんな中で、澁澤龍彦の短篇にも顔を出している「鳥」とあだ名される遠近法の奇矯な画家ウッチェロの作品に出会えたのは収穫であった(12月25日まで)。


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 2005/12/4 『エドマンド・ウィルソン批評集2 文学』 みすず書房

骨太で、実務的、力でぐいぐい押しまくり、自説を主張して倦むことがない。裏表紙にある著者の写真(太い眉、ぎょろりとした眼、への字に固く結ばれた口許)から受ける印象そのままの文学批評集である。

もっと評価されてもいいはずだと思うのに他の批評家が評価しない作家(「プーシキン礼賛」「ディケンズ−二人のスクルージ」)やその傾向(「フローベールの政治観」)、逆にそれほどでもないと思うのに多大な評価がなされている作家(「カフカについての異議申し立て」)や作品(トールキンの『指輪物語』)傾向(「探偵小説なんかなぜ読むのだろう?」)について、自分の思うところを訴えようと力を入れて書いた文章が中心。そのため、文章が適度な熱を帯びている。そこらあたり、ジャーナリストをもって任じる著者が、学者上がりの批評家とちがうところ。その論に賛成するにせよ反対するにせよ、読む側としては引き込まれて読まされる仕組みだ。

専門的な文学愛好者向けに書くわけではなく、つねに雑誌という場に文章を発表してきたジャーナリストとして、ウィルソンの書くものは素人にも分かりやすい。ディケンズを例にとれば、その生い立ちから晩年にかけて、作品と実生活上のできごとを対比させながら、じっくりとその業績の全貌を明らかにしてゆく。読者としてはよくできた伝記でも読んでいるような軽い気分で、ウィルソンならではの視点で構成されたディケンズ論を読まされることになる。

ディケンズは幼少時に家が窮乏して靴墨工場に徒弟奉公にやられた経験がある。それまでの境遇とかけ離れた一年半にも及ぶ屈辱的な経験が、ディケンズの社会に対する〈反抗的〉な面を形成したというのが、ウィルソンの立論である。ここからも分かるように、ウィルソンの文学論は、あくまでも人間中心。テクスト論の出る幕はない。「カフカについての異議申し立て」などは、ほとんど、カフカに意気地がなさすぎる、もっと戦えと言っているようなもので、自分の性向に対する無意識さといい、その素朴な人間観には微笑ましさを覚えるほど。文学が世界や人間と今より直截に結びついていた時代の幸福な文学批評、とでも言えばいいだろうか。

いくつもの外国語が読め、特にロシアには滞在もしていたウィルソンである。ロシア文学に対する言及が多いのは当然かもしれない。「プーシキン礼賛」などは、『エウゲニー・オネーギン』一巻をまるで読み聞かされているような感銘を受ける。映画『オネーギンの恋文』で見たレイフ・ファインズの端正な面立ちを思い出した。しかし、いくらロシア語が堪能なウィルソンにしても、あのナボコフの『オネーギン』英訳を槍玉に挙げた(「プーシキンとナボコフの奇妙な事例」)のは勇み足だった。

ナボコフがアメリカの出版界に受け入れられるまでにウィルソンの果たした役割の大きさを考える時、この批判が引き起こした論争と、その後の二人の仲違いは本当に残念である。よく読めば、ナボコフの文学の持つ価値についてもかなりの部分が割かれているとはいえ、本質的には亡命ロシア人の英語力に対する揶揄と受けとめられても仕方のない調子の文章に、ナボコフから痛烈な批判が返されたことは言うまでもない。

どちらかといえば、ウィルソンの方に分が悪かったこの論争。文学の中にあくまでも人間を読み取ろうとするウィルソンが、文学を言語で構築されたゲームと考えていたナボコフの土俵にまちがってのってしまったというのがその敗因だろう。革命によって亡命を余儀なくされたリベラル派政治家の息子と、西欧におけるマルクス主義受容の跡を追った『フィンランド駅へ』の著者が友情を結べたこと自体、もともと奇蹟のようなものだったのかもしれない。


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