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 2005/5/29 『フューチャーマチック』 ウィリアム・ギブスン 角川書店

この小説の構造をロバート・アルトマンの映画に擬している批評があったが、たしかに、さまざまな登場人物が登場し、それぞれの場所でまったく違った複数のドラマが進行しているのかと思わせておいて、最後にはそれらがすべて一つの物語に収斂するという構成はアルトマンお得意の群像劇を思い出させる。ただ、映画の場合、カットごとに登場人物が替わっても観客はカメラの位置からそれを見ているわけで、さして違和感はないが、この小説は短い章立ての章が変わるたびに視点が替わる。読者はその度に新しい人物の視点で小説世界を見ていくことを要請されるので、慣れないうちはめまぐるしく感じられるかもしれない。

時代はほとんど現代と言っていいくらいの近未来。場所はサンフランシスコ、地震で壊れた後放置され、今やジャンクヤードと化したベイブリッジを中心に、新宿地下通路の段ボール街とネット上に構築された九龍の城砦都市という、ギブスンファンにはお馴染みの舞台設定である。特に橋梁のいたるところに廃物をエポキシ樹脂で接着して作られた店舗や住居からなる猥雑な街の描写がリアルで、想像力を刺激される。映画『ブレード・ランナー』を思い出す人も多いだろうが、こちらが本家である。先行する二作品『ヴァーチャル・ライト』、『あいどる』とともに三部作を構成する。無論、単独で読んでも充分面白い。

レイニーは、ネット・ランナー。連邦孤児養護センター時代に被験者として投与された薬品の影響で、ネットに流れる膨大なデータから時代の変化の予兆を読み取る特殊能力を持つが、事情があって今は新宿の段ボール街に身を潜めている。彼によれば、1911年以来の大きな時代の結節点(ノーダル・ポイント)が迫っている。世界最大の広告代理店の経営者ハーウッドは、変化の後も自分の力を維持するために、世界中に広がるコンビニ・ネットワークを使って何かを計画しているらしい。

自分は動けないレイニーは元警官のライデルを使ってそれを阻止しようとするが、ヤク中のカントリー・シンガーや、〈橋〉で古物商を営む老人と腕時計に異様に執着する驚異的な記憶力を持つ少年、バイク便のメッセンジャーでライデルの恋人、禅の境地で短刀を振るう教授風の殺し屋、それにヴァーチャル“あいどる”投影麗(レイ・トーエイ)、という個性際立つキャラクターが入り混じり、事態は錯綜するばかり。

コンビニ・チェーンを使った複製物質転送システムといういかにもSF的なアイデアはあるものの、凝った文体、武器や乗り物、それに題名にもある時計と、細部にこだわる描写、それに、叙情的な情景描写からスピーディなアクション・シーンの素早い転換は、むしろハード・ボイルド小説のタッチ。「依頼」と「探索」という物語の基本構造に忠実なストーリー展開は、短いカットの切り返しの効果もあってサスペンスを盛り上げる。散らばっていた人物がしだいに〈橋〉の磁力に引き寄せられるようにして輪が縮まり、橋の上で出会う。そして急激に訪れるクライマックス。『ニューロマンサー』以来の最高傑作という惹句に嘘はない。

原題の“ALL TOMORROW'S PARTIES”は伝説のバンド、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのために書かれたルー・リードの曲名。章の表題にもストーンズの曲の歌詞があったり、アウトロー・カントリーについての言及があったりとポップ・カルチャーからの引用が印象的である。邦題のフューチャーマチックはルクルト社製の世界最初の自動巻時計の名。ムーブメントを動かし続けるためには腕から離してはいけないが、ずっと動かしっ放しに出来るほどの耐久性はなかったという。ひねりの効いた題名ではないか。


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 2005/5/21 『埴谷雄高』 鶴見俊輔 講談社

『死霊』は、発表当時よく理解されたとは言えなかった。その難解さから友人の岡本太郎に「なにをいうたか」というあだ名を奉られたほどだ。ところが、学生運動が盛んになった時代、埴谷はがぜん脚光を浴びることになる。旧来の革新勢力の運動方針に不満を抱いていた学生に、埴谷の政治論文は新鮮に感じられ、カリスマ的な人気を博した。未完ながら、代表作『死霊』は、それまでの日本文学にはあまりなかった哲学小説として読む者を魅了した。

ドストエフスキーがネチャーエフ事件をもとに『悪霊』を書いたように、日本共産党のリンチ事件を背景に『悪霊』や『カラマーゾフの兄弟』を思わせる人物像を配置し、対話的な小説を描こうとしたのが『死霊』だった。ドストエフスキーの小説で登場人物たちがたたかわす神学論争のかわりに、政治哲学や存在論が、作家自身が「極端化、曖昧化、神秘化」と呼んだ手法で、極小から無限大宇宙まで敷衍される観念的な作風は、それまでの日本文学には見られないものであった。

鶴見がなぜ埴谷に興味を持ったのかといえば、埴谷の転向が他に見られない独自のスタイルをとっていたからだ。多くの転向体験者が、そのまっただなかにおいては、日本共産党や国際共産党の欠陥を見事に突いていながら、転向後は国家権力に身をすりよせ、かつて見せた直感的なひらめきを忘れてしまうのに対し、「埴谷の思想的生産性は、かれが転向から早く離脱しようと努力せず、転向過程のまっただなかにすわりこむことをとおして、転向以前の思想(共産主義)に対する批判を体系化するということにあった。」と、鶴見は指摘する。

党員として活動していた埴谷は、逮捕され、転向を強要される中で、自分の転向が調書を取る検事によってまったく別のものに作りかえられるという経験をする。それは共産党の機関紙の場合も同じである。いわば埴谷は、正史と党史という二つの政治の中で、政治的に抹殺されてしまったわけだ。以後、埴谷は自己を死者として想定し、生活者としての自分を幽霊に擬する。そして、自分しか知り得ない体験を、多くの推定でふくらませながら、文学として記述することで、そうした方法でしか語ることのできない真実というものがあることを明らかにしていく。

自分を死者と仮定し、その位置から現実の政治を批判してゆくという埴谷独特の方法論がここに生まれる。『死霊』は、その視点を小説に応用したものである。発表当時は、正当に理解されることの少なかった『死霊』だが「思想の科學」の発行者でもある鶴見俊輔は、象牙の塔に立てこもった学者とはひと味も二味も違う。埴谷の『死霊』を前にしても、その意匠に幻惑されたりはしない。初期の箴言集『不合理ゆえに吾信ず』を手がかりに、その骨組みを明らかにしてゆく。その論法は鮮やかにして懇切丁寧だ。

埴谷は植民地当時の台湾生まれである。その当時、自分の周りの日本人が、個人的には善人であるのに、台湾人に対しては差別的であったことに理不尽な思いを感じていたという。そういう日本人を憎む自分がまた日本人であるという矛盾。有名な「自同律の不快」は、ここから来ているという指摘には虚をつかれた思いがした。河合隼雄を交えた座談会で、鶴見の質問に応えて埴谷自身が語っている。すぐれた理解者でもあり、対話の名手としての鶴見を得て、自ら分裂気質と語る埴谷は一度語り出すと饒舌である。

この一冊の中には、1959年から2003年までの埴谷論、及び埴谷本人に河合隼雄を加えた座談会、高橋源一郎との対談も含め、鶴見がその最初期から晩年に至るまでずっと埴谷に注目していたことを示す論考が収められている。日本というシステムから意識的に距離を置いている点、精神的な病歴、学歴社会からの逸脱と、埴谷と鶴見には少なからぬ共通点がある。その意味でも鶴見は余人をもって代え難い論者だと言える。しかし、それだけではない。似た気質を持っているということは、それだけ差異も見える。哲学者鶴見俊輔ならではの視点が随所に光る画期的な埴谷雄高論である。

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 2005/5/8 『回転する世界の静止点』 パトリシア・ハイスミス 河出書房新社

ひとりの人間の中には善意もあれば悪意もある。悪人と呼ばれる人間の心の中は悪意ばかりが満ちているわけではないし、市井に住む普通の人々の心の中にだって、どす黒い悪意が潜んでいないわけがない。人は、普通自分の中にある悪意(それは嫉妬であったり、横恋慕であったり、稀に殺意であったりするが)を意識の上に長く止め置いたりはしない。もし、始終そうした悪意が意識の上に立ち上ってくるようなら、人は平静ではいられない。だから、こみ上がってくる悪意の塊を無理矢理呑み込み、無意識の奥底に送り込んで、素知らぬ顔で毎日を生きているのだ。

善意の人ばかりが行き交ったり、善人と悪人が二つに分かれて闘ったりする話も世の中には多いが、そんな話ばかり読まされていると、なんだか落ち着かなくなってくる。たぶん、無意識に送り込んだ自分の古ぼけた悪意の澱が微かに反応しているのだろう。「そんな風に生きていければ苦労はないよなあ」と、心のどこかで呟いている自分がいる。

ハイスミスは、ごくごく普通の人々の暮らす世界の中に突然訪れる戦慄のような瞬間を捉えるのが上手い。モノクロームの単調な色彩で描かれていた世界が、その瞬間だけ極彩色に彩られ、やがて、まるで何事もなかったかのようにもとの淡々とした無彩色の世界に戻ってゆく。人物たちは物語の中で相も変わらぬ日常を生きるのだが、その一瞬を垣間見た読者の方には、ざらっとした触感や苦い後味がいつまでも残る。世界の剥き出しの悪意の味だ。

ハイスミスの未発表作品を含む初期短編が14編。掌編と読んでもいい作品の中に、却って非日常の瞬間を剔り取ったような味わいの作品が多い。どこか『シベールの日曜日』を思わせる、男と少女の無垢な魂の触れ合いが周囲からの誤解によって潰えてゆく「素晴らしい朝」。その裏返しのような、行きずりの男にドライブに誘われた少女が、誘われなかった方の少女の告げ口で未然に家に戻るという「とってもいい人」。いずれもヒリヒリするような人間心理の洞察が光る。

長めの短篇というのも変だが、代表作『太陽がいっぱい』を髣髴させる美青年の野望と挫折を描いた「広場にて」も忘れがたい読後感を残す。持ち前の美貌と才気でのし上がってゆくメキシコ人青年のぎらぎらした欲望が、知的ではあるが人生を楽しむことを忘れた醜い富豪の女性に結婚を決意させるまでの顛末。映画にしたいようなメキシコの乾いた空気と空と海の色。眩しさの中に頽れてゆく美と愛がせつない。

極めつけは、贋作ばかりを蒐集するので有名なコレクターが、なぜか見誤ってジヨットの真作を競り落としてしまう「カードの館」。オークション会場で聴いた老嬢のピアノは優れた技量が人を魅了しながら、本人はピアノを憎んでいるのが、主人公には分かる。自然を憎み人工を称揚する彼には人の知らない秘密があった。その秘密が彼と老嬢の心を繋げたのだった。アイロニーに満ちた芸術観の裏から不幸な人間に寄せる愛情がのぞく、この作者にはめずらしい温かな読後感を残すメリメ風の短篇。極上の名品をどうぞ、ご賞味あれ。


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 2005/5/7 『シンポジウム』 ミュリエル・スパーク 筑摩書房

舞台はロンドン北部イズリントン。『アバウト・ア・ボーイ』でヒュー・グラントが住んでいるあの町だ。ヤッピーや若手アーティストの集まっている町。その家はキャンバーウェル・ニュー・ロードから入った静かな通りに面している。ヴィクトリア朝様式の三階建てで、アメリカ人の画家ハーリーと同棲相手のオーストラリア出身の裕福な未亡人クリスが住んでいる。折しも、そこではパーティーが始まっている。パーティー好きのホストが一週間も前から考えた選りぬきの料理が専属の料理人と執事によって手抜かりなく供されている。

よく太った雉と小さなソーセージのベーコン巻、それに小人参を載せた大皿を手伝いの給仕が、客の間を回って給仕していく。ボルドーの赤を持った執事がそれに続く。この日の客は十人。年齢こそ様々だが、男五人はよく似た人種で、それぞれが女性を同伴している。話題の中心になっているのは、ウィリアムの新妻マーガレット。燃えるような赤毛のロマン派風美人である。出席者の何人かは結婚前の姓であるマーチーという名に聞き覚えがあるらしいが、この時点でははっきりしない。

アッパー・ミドルらしく、互いの話に聞き耳は立てながらも会話はそつなく流れてゆく。どうやらスージー卿の家に強盗が入ったらしい。上で寝ていた夫妻に危害はなかったが、一階はめちゃくちゃに荒らされていた。銀器や鏡まで盗まれたのにフランシス・ベーコンの絵はそのままだったというから、強盗はベーコンを知らなかったのだろう。さりげなく語られる会話の端々から客のスノッブさが透けて見える仕組み。

章が変わるたび、客のこの日までの会話や行動がスケッチされ、ちょうど蜘蛛が巣を張る時のように少しずつ核心に向かって進んでゆく。放射状に張られた糸が集まるのはマーガレット。どうやら謎めいた美女はとんでもない食わせ物らしい。そのマーガレットは二年前、スコットランドはセント・アンドリューズの海岸近くに立つ小塔のついた父の家で、精神病院から日曜ごとに外出を許され弟の家にやってくるマグナス伯父に会っていた。精神を病んでいながらもこのマグナスがマーガレット一家の導師(グル)だというから、この家族の肖像には奇妙な歪みが見える。

都心の優雅なスノッブたちの集まりの中に、スコットランドから謎めいた風が吹き込んでくる。ラファエロ前派風の装いをした赤毛の美女の正体や如何に。洒落た会話の裏に隠された一見相手を思いやるように見えて、実は自分が他人からどう思われるかを気にする俗物心理が真実を暴くことを躊躇させ、サスペンスを高める。奇妙な味わいを持つ人物造型、張り巡らされた伏線、皮肉な結末と、上質の舞台かイギリス映画を思わせる巧みな展開に最後まで一気に読まされてしまう。現代イギリスを代表する作家の最近作。



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ポルシェ906

 2005/5/3 『鈴鹿や富士を翔けた名車たち』 四日市市立博物館

「エンジン」の木村拓哉が、いつもと違ってなんだか垢抜けない気がして、よくよく見ると、短めのトラウザーズの下から白いソックスがのぞいている。おまけに履いているのはチャッカーブーツではないか。上着の赤のスウィングトップといい、まるで60年代のファッションである。さすがに手に持ったバッグにマジソン・スクエア・ガーデンのロゴは入ってなかったが、見た感じはそっくり。落ち目のレーサーのイメージ作りにしては手が込んでいる。

自動車レースもすっかり定着したが、今では世界に冠たる有名自動車会社のチームが覇を競う場と化してしまって、レース好きの若者が腕一本を頼りにのし上がるといった夢物語を期待することはできない。海外のチームをクビになったキムタクも復帰するためにスポンサーや監督に頭を下げてばかりいる。しかし、60年代の日本では、生沢徹、式場壮吉といった車好きの連中が、自分の車を駆って、グランプリに挑戦することができたのだ。

四日市市立博物館で1960年代を回顧する「鈴鹿や富士を翔けた名車たち」という展覧会が開かれている。60年代といえば、東名・名神高速道路が開通し、日本のモータリゼーションが一気に開花した時代である。それまでは高嶺の花だった自家用車が、誰にでも手の届くところに降りてきて、子ども心にも大きくなったらあんな車に乗りたいという夢を抱いたものだった。その頃の名車、トヨタスポーツ800や、ライヴァルのホンダS800をはじめ、開催されたばかりの日本グランプリを走った往年の名車が会場の中に勢揃いして待っていた。

エントランスホールに並んでいたのは、羊の皮をかぶった狼と呼ばれたスカイラインGTB、国産初の量産型スポーツカー、ダットサン・フェアレディSP310といった顔なじみの外に、伝説の国産純レーシングカー、プリンスR380、トヨタ7、それに海外からやって来たポルシェ904、906、ジャガーEタイプといったいずれ劣らぬ強者ばかり。その洗練されたスタイルは今でも充分美しい。否、かえって美しさを増しているようにさえ思える。

4階の展示場には、市販車をベースにしたライトウェイトスポーツカーが集められていた。バグズアイとあだ名された丸い目玉のようなライトをつけたオースティン・ヒーリー・スプライト、MGミジェットといった英国車と並んで、ヨタハチ(トヨタスポーツ800)やエスハチ(ホンダS800)、それにスバル360や、マツダキャロルといった可愛い車まで、軽量スポーツカーが一堂に会していた。なぜ、テントウムシと呼ばれたスバル360が並んでいるのか、と今の人は疑問に思うかもしれない。この展覧会のポスターを見るとその理由は分かる。ポスターには第一回日本グランプリの写真が使われているが、その先頭を切って走るのは、何とスバル360なのだ。

この展覧会は「貧しかったけれど、活気に溢れ将来を夢みて信じていた60年代」から元気をもらおうというのがコンセプトらしい。もともとレースというのは、車好きが集まって始めたもの。草創期には、市販車に毛の生えたような車で競争を楽しんだのだ。世界は自分の手と繋がっていた。現代は世の中の仕組みが複雑になり、表層に現れたものの裏側がどんな仕組みになっているのか想像すらできない。

後から参入した人間は完成済みの世界から疎外されているように思える。それが現代人が元気をなくしてしまった原因だ、と言っては言い過ぎだろうか。「エンジン」の中で、施設の子どもが自信を取り戻すのは、油まみれのキムタクが中古のバスのエンジンを修理するのを見てからだ。どんなに複雑な機構であっても、所詮人間が作り出したものだ。人の手で動かせないはずがない。グランプリに出る車が町を走っていた時代があった。世界は自分の立っている場所と地続きだ。そんなことをこの展覧会はあらためて実感させてくれる。

車の外にもモデル・カーやペーパー・アート、カー・イラストと人間の手業を実感させてくれる展示に事欠かない。その他、週刊誌やポスター、レコード、それになつかしいVANの洋服と60年代の若者の風俗を活写する展示の数々。車好きはもとより、少し元気をなくしかけた世代にお薦めの展覧会(2005年4月23日−5月29日)である。

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