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 2013/9/5 『新編バベルの図書館6』 ボルヘス編 国書刊行会

『新編バベルの図書館』も、この巻をもって完結する。第六巻は、「ラテンアメリカ・中国・アラビア編」。ラテンアメリカ編にはルゴーネスにはじまる「ラプラタ幻想文学」派を網羅したアルゼンチン短篇集と、そのルゴーネスとボルヘスから数編の短篇を収める。中国編は蒲松齢作『聊斎志異』から十四篇、『紅楼夢』からの抜粋二編を収めている。そして、アラビア編には、なんとも贅沢なことに、『千夜一夜物語』をガラン版とバートン版から長短取り合わせて二編ずつを収録している。

また、各編に所収の作品についてボルヘスの解題を記した序文がつく。読み巧者ボルヘスが、選んだ作品をどう観ているかを知るだけでも興味深く、このシリーズのお楽しみになっている。因みに評者偏愛のコルタサルについては「フリオ・コルタサルの短篇は、彼の長篇小説ほど有名ではないが、おそらく長篇小説よりいい。『占拠された家』は、幻想の世界が、古めかしい慣例に従ってわれわれが現実の世界と呼んでいるこのもうひとつの世界に徐々に侵入してくるさまがテーマになっている。緩慢な文体が物語の次第に増大してくる恐怖によくマッチしている」と、評する。愛すべき佳篇。

さて、『千夜一夜物語』である。児童向きの読み物や映画その他で、「アリババと四十人の盗賊」、「船乗りシンドバッドの冒険」、「アラジンと魔法のランプ」と誰もがよく知っている話ながら、実は俗に『アラビアンナイト』と称されるこれらの話は、もともと『千夜一夜物語』の中には入っていなかった。ガラン版の訳者であるアントワーヌ・ガランが他の物語から借り入れて挿入したものだといわれている。

とはいえ、かのド・クインシーが最高傑作と認めた「アラジンと魔法のランプ」、子ども向けのテクストで読んだつもりになるのはちとさみしい。評者は、当時出版されて間もない大宅壮一が仲間を集めて完訳したバートン版を読んで、その物語世界の豊穣さに驚き呆れた覚えがあるが、その後、大学時代にはマルドリュス版が訳出され、昔読んだ文章との違いにまた驚いた記憶がある。もともとバートン版は英訳からの、マルドリュス版は仏訳からの重訳である。どちらも原訳者の手が入っていることは知られている。ここは、いくつもの翻訳のちがいを知った上でよみくらべるにしくはあるまい。

ガラン版は井上輝夫、バートン版は由良君美訳である。由良の『みみずく偏書記』に次のような文章がある。「わたしは何とかして、その全訳を読みたくなった。つまり児童用の再話や抄話でないものが欲しくなった。幸い日夏耿之介たちの全訳が当時あって、小学生には難しかったが、背のびをすれば読むことができた。この全訳(バートン版)が与えてくれた充実感と満足は忘れられない。以後児童用再話本や抄話本は駄目だと根深く信ずるようになった」。このときの感動が、この訳を生んだのだろう。是非、手元において賞玩されたい。自分の子が、「アラビアン・ナイト」を読みたいと言い出したとき、書棚から取り出し、手渡すことができる。子どものころ読書欲を満たせてもらった子どもは一生本を愛する子どもになるはずだ。なお、長いものでは、ガラン版から「アラジンと奇跡のランプ」が、バートン版からは「蛇の女王」が採られている。

『聊斎志異』は、漢文脈を生かした簡潔な訳ながら、他の国とは異なるいかにも中国ならではという稀譚が選ばれている。科挙の試験がいかに難しいものであったかを、その話題が頻出することからも窺うことができる。それと、俗に「地獄の沙汰も金次第」というが、獄卒から大王まで賄賂がはばを利かす閻魔の丁というのも畏れ入る。芥川や中島敦が好きな読者なら必読である。

ルゴーネスのほとんどSFと言ってもよい怪奇譚は、いずれも名編揃いだが、不思議なことにチンパンジーに言葉を教えようと試みた男の回想を語る「イスール」一篇は、短編集の中にも、ルゴーネス個人の選にも重ねて収録されている。ただ、訳が異なり、前者が内田吉彦氏。後者が牛島信明氏である。この企画はイタリアの出版社によるものであり、その場合、邦訳が異なることなど配慮の外である。なぜ、こんなことになったのか一言断り書きがあるとよかったのではないだろうか。

イタリア版編集者による序が付されたボルヘス本人の近作短篇が四編収録されているのもうれしい。いかにもボルヘス、といった分身譚の「一九八三年八月二十五日」、錬金術師の魔法を描く「パラケルススの薔薇」、理性を崩壊させる増殖する青い小石を描く「青い虎」、そしてボルヘス本人が「最良の一作」と手紙で知らせてきたという「疲れた男のユートピア」と、どれも期待にたがわぬ傑作である。巻末にマリア・エステル・バスケスによるボルヘスのインタビューを付す。お気に入りのモチーフについて気さくに語るボルヘスの肉声が聞こえてくる「等身大のボルヘス」。必読である。

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 2013/9/2 『本屋図鑑』 本屋図鑑編集部 夏葉社

五つの小説はいつも誰かの死を告げる知らせからはじまるのだろうか。本作では、友人ピエールの死を知らされたブルースが思い出の地アヴィニョンに向かう。ピエール・ド・ノガレは、ブルース・ドレクセルの無二の親友にして、妻のシルヴィーはピエールの妹であった。三人は古い城館ヴェルフイユに籠り、世間から隔絶した愛の三角関係を生きようとしていたのだ。

またしても、というか、こちらの方が先に書かれているのだから、こちらがオリジナルと言いたいところだが、小説の最後で、この三人は作家ブランフォードの創作した人物ということが知れるので、ややこしいのだが、兄妹と兄の親友による三角関係という主題はここにはじまっていた。

ピエール・ド・ノガレは、フィリップ端麗王の命を受け、テンプル騎士団に異端の汚名を着せた張本人ギヨーム・ド・ノガレの末裔に当たる。文書保管室に残された資料をもとにテンプル騎士団についての論文を書くため、ヴェルフイユには三人の友人トビーが度々訪れてもいた。

小説は、グノーシス主義を奉じたピエールの遺言により、名家の跡取りの葬儀とも思えぬ簡素な埋葬の儀式に違和感を覚えるブルースの目を通して描かれる。その侘びしげな葬列と対比して描かれるのは、かつてのクリスマス、城館の主人と客、そして使用人たちが一堂に会した晩餐の情景だ。南仏プロヴァンスの地味豊かな食材を生かした料理と酒のもてなし。紀行文にも才筆を振るったダレルの情景描写の冴えが見られるところだ。

あるいは、第二章「マカブル」。グノーシス主義オフィス派の祭司アッカドによって導かれるアレクサンドリア近郊の9オアシス、マカブルにおける秘密の儀式の情景。砂漠のオアシスに建てられたモスク内での秘儀参入の儀式に招かれた三人は、ひそかに投じられた麻薬のせいかオフィス派の守護神である大蛇に巻きつかれるという幻覚を見る。医師でもあり、懐疑的なブルースとはちがってピエールは、グノーシスに執心していた。実はテンプル騎士団の異端の汚名はグノーシス由来のものであったらしいことが分かっていたのだ。

この宇宙が偽の神によって創られた悪の世界であり、真の宇宙に到達するためには、現実世界を否認しなければならないという根本的に反世界的な教義を持つグノーシス主義の発生は古い。北部とは異なり、地中海に向かって開けた南仏にはもともと異教的な信仰が根深く残っていた。裏切り者の末裔として生まれた出自ゆえに、ピエールは反宇宙的二元論の思想を有するグノーシスに惹かれた。その行き着いたところが自らの生の放棄であった。

砂漠のオアシスに一夜だけ開かれる祭めあてのバザールの喧騒。それと対比される人気のない海岸に打ち寄せる波で水浴びをし、導師アッカドによる解義を受ける静謐な時間。『アレクサンドリア四重奏』を思い出させるエジプトの風景描写に見られるロレンス・ダレルの卓越した文章技術。本を読む、ということが単にストーリーを追うのではなく、本来はその文章を味わうことであったことを再確認させてくれる。

小説の最後は、ブランフォードの視点でつづられている。長年の友人である老公爵夫人に草稿を読ませる約束を果たすため、輿にのって向かう先はヴェネツィアにあるクアルティーラの地下室。トゥと呼ばれる公爵夫人は、『アヴィニョン五重奏Uリヴィア』に登場するコンスタンスその人であることが、ここで明らかにされる。このように、あらためて二冊を読み比べることで、ブランフォードにD老人と呼ばれる作家ダレルの目論見が少し分かる。それぞれ異名の登場人物を持つ複数の小説群が、全く別のものというわけではなく、尻尾をかみ合うウロボロスの蛇のように、TはUに最後尾で接続されている。

それだけではない。ブランフォードはD老人の被造物であり、ロブ・サトクリフはブランフォードの被造物。さらにはブロッシュフォードなるロブ・サトクリフの被造物までが登場する。すべて作家自身の複数の鏡像である。万華鏡の中に封じ込められたセルロイドの色板が、全く同じものであるjのに少し回転を加えると全く異なる図像を生じさせるのに似たロレンス・ダレルの詐術的文学技法。少しずつずれを含んだ繰り返しのもつボレロ効果。ピエールの死は自殺なのか他殺なのか。手を下したのは誰か、といったミステリ要素にテンプル騎士団、グノーシス主義といったオカルティズムの要素が塗され、謎解き興味も存分に味わうことができる。シェイクスピアや聖書をはじめとする文学的引用もふんだんに用意され、中には『ヴェニスに死す』のモデル「コルヴォー男爵」の名前まで見られるという文学好きには堪えられない出来となっている。


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 2013/9/1 『孤児の物語U』キャサリン・M・ヴァレンテ 東京創元社

本作「硬貨と香料の都にて」は、夜毎スルタンの庭園で女童が童子に語る『孤児の物語』二部作の後半、完結編にあたる。できるものなら第一巻から読まれることをお勧めする。未来のスルタンである童子は、姉の皇女ディナルザドの監視を逃れ、森に続く庭園で両目の周りが隈どられた女童(めわらわ)に出逢う。眼の周りの隈に見えたのは、微細な文字を彫り込んだ墨の痕で、数知れぬ物語が描かれていた。女童は自らの瞼に摺りこまれた物語を水鏡に映し童子に語って聞かせるのだった。

ここまで書けばお分かりのように、『孤児の物語』二巻は、シャーリアール王の求めに応え千と一夜語り続けたシェヘラザードの『千一夜物語』に見られる「枠物語(より小さな物語を埋め込んだ物語のこと。導入的な物語を「枠」として使うことによって、ばらばらの短編群を繋いだりそれらが物語られる場の状況を語ったりするような物語技法)」形式を継承している。この物語の場合、女童と童子の物語が枠にあたるわけだが、この形式を採用することで、作者は自分が紡いだ数限りない物語を網状組織のように際限なく繰り込めるわけである。一巻が五百ページを越える分厚い書物とはいえ、二巻併せて千ページで『千一夜物語』の世界を現出させるのは並大抵ではない。そのためか、最小単位の物語一話分が非常に短いのが特徴である。物語の世界にたっぷりたゆたっていたいと思う物語中毒の読者にはその点少々物足りないかもしれない。ただ、その分、ありとあらゆる狂言綺語の頻出する様は前代未聞。よくもまあ、これだけ奇矯な物語を語り続けることよ、とただただ呆れるばかり。

『千一夜物語』の形式を借りてはいても亜剌比亜夜譚の雰囲気を期待する向きにはあらかじめお断りをしておかねばならない。たしかに前巻ではカリフや女教主が、この巻ではジンが登場したりはするものの、その世界は作者独特の想像によるもので、アラブ風の情緒纏綿たる男と女の物語などは、はなから期待しても無駄だ。混沌とした物語世界は、星や星座の物語にはじまる。その点ではギリシア神話の影響下にある。また、数多の鳥、獣、虫、魚が登場するところは、イソップをはじめアンデルセンやグリム兄弟の世界も下敷きにされているにちがいない。髪を地に杭で止められて身動きできなくなる逸話からはスウィフトの『ガリバー旅行記』が連想されるし、その他、原型となる物語は世界中の昔話や民話、寓話から見つけられるにちがいない。なんと、この巻にはわが河童も登場する。そればかりではない。「登竜門」の故事も、鯉を金魚に変えて変奏している。

この巻で特に目立つのは、それぞれの物語の主人公であり語り手でもある「人物」の異様さだ。

「飢えのあまり妻を食らい、各部を柳細工のパーツに置き換えてゆく不幸な男、商業主義の爛熟の末に市場が崩壊しても、なおも死体から硬貨を生み出し続ける工場、天の牝牛から産まれて尾を持ち、背中が木でできている一族の少女、あらゆる存在を肉体改造する力を持つ女発明家と彼女が生み出した自動人形、背中にさまざまな図面をあらわす蜥蜴を交配することで知識を得ようとする一族、月から剥がれ落ちたコウモリのような翼ある存在、はいたものに踊りを教えるシナモン材の靴」(訳者あとがき)

たしかに、臓器移植も人工臓器も現実世界にあり、何と何がひとつになっても別段異とされない時代とはなった。それにしても何という奇想であることか。禁忌というものがない世界では何が起き、何が滅亡しようとも、すべては許されているわけで、舌を抜かれ、足首を切り落とされても、いつかまたその代わりがあらわれる。そういう意味では、残虐な行為も一過性のものと感じられ、痛みも相対化されてしまう。そう、すべては物語の終りに収斂される現象でしかなく、美麗な色彩と類稀なる美声による歌に彩られる世界もまたひたすら虚しい。これだけ大部の物語を読み終えたあとに残るもののあまりに少ないことを訝しく思う。

その意味では、頻出するオブジェが、球状のものであったり、檻状のものであったり、内部というものを持たないのが象徴的である。皮は剥がれ落ち、肉は失われ、ただ骨だけが籠状に残っている上をマントで覆った渡し守が死の島と此岸をつないでいるのもまた同じか。絢爛たる修辞もどこか温かみを欠いた無機質なものが多く、さしもの繁栄を誇った都もその行く末は廃墟でしかなく、その無常観たるや比べるものとてない。シャボン玉の表面にあらわれる七色の文様に似て、目も綾に人の目を翻弄するが、その内部には何もない。次々と吐き出される華麗な球の表層にうつろう文様の奇想を言祝ぐのが礼にかなう仕種かもしれない。


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