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 2013/8/18 『アヴィニョン五重奏Tムッシュー』 ロレンス・ダレル 河出書房新社

五つの小説はいつも誰かの死を告げる知らせからはじまるのだろうか。本作では、友人ピエールの死を知らされたブルースが思い出の地アヴィニョンに向かう。ピエール・ド・ノガレは、ブルース・ドレクセルの無二の親友にして、妻のシルヴィーはピエールの妹であった。三人は古い城館ヴェルフイユに籠り、世間から隔絶した愛の三角関係を生きようとしていたのだ。

またしても、というか、こちらの方が先に書かれているのだから、こちらがオリジナルと言いたいところだが、小説の最後で、この三人は作家ブランフォードの創作した人物ということが知れるので、ややこしいのだが、兄妹と兄の親友による三角関係という主題はここにはじまっていた。

ピエール・ド・ノガレは、フィリップ端麗王の命を受け、テンプル騎士団に異端の汚名を着せた張本人ギヨーム・ド・ノガレの末裔に当たる。文書保管室に残された資料をもとにテンプル騎士団についての論文を書くため、ヴェルフイユには三人の友人トビーが度々訪れてもいた。

小説は、グノーシス主義を奉じたピエールの遺言により、名家の跡取りの葬儀とも思えぬ簡素な埋葬の儀式に違和感を覚えるブルースの目を通して描かれる。その侘びしげな葬列と対比して描かれるのは、かつてのクリスマス、城館の主人と客、そして使用人たちが一堂に会した晩餐の情景だ。南仏プロヴァンスの地味豊かな食材を生かした料理と酒のもてなし。紀行文にも才筆を振るったダレルの情景描写の冴えが見られるところだ。

あるいは、第二章「マカブル」。グノーシス主義オフィス派の祭司アッカドによって導かれるアレクサンドリア近郊のオアシス、マカブルにおける秘密の儀式の情景。砂漠のオアシスに建てられたモスク内での秘儀参入の儀式に招かれた三人は、ひそかに投じられた麻薬のせいかオフィス派の守護神である大蛇に巻きつかれるという幻覚を見る。医師でもあり、懐疑的なブルースとはちがってピエールは、グノーシスに執心していた。実はテンプル騎士団の異端の汚名はグノーシス由来のものであったらしいことが分かっていたのだ。

この宇宙が偽の神によって創られた悪の世界であり、真の宇宙に到達するためには、現実世界を否認しなければならないという根本的に反世界的な教義を持つグノーシス主義の発生は古い。北部とは異なり、地中海に向かって開けた南仏にはもともと異教的な信仰が根深く残っていた。裏切り者の末裔として生まれた出自ゆえに、ピエールは反宇宙的二元論の思想を有するグノーシスに惹かれた。その行き着いたところが自らの生の放棄であった。

砂漠のオアシスに一夜だけ開かれる祭めあてのバザールの喧騒。それと対比される人気のない海岸に打ち寄せる波で水浴びをし、導師アッカドによる解義を受ける静謐な時間。『アレクサンドリア四重奏』を思い出させるエジプトの風景描写に見られるロレンス・ダレルの卓越した文章技術。本を読む、ということが単にストーリーを追うのではなく、本来はその文章を味わうことであったことを再確認させてくれる。

小説の最後は、ブランフォードの視点でつづられている。長年の友人である老公爵夫人に草稿を読ませる約束を果たすため、輿にのって向かう先はヴェネツィアにあるクアルティーラの地下室。トゥと呼ばれる公爵夫人は、『アヴィニョン五重奏Uリヴィア』に登場するコンスタンスその人であることが、ここで明らかにされる。このように、あらためて二冊を読み比べることで、ブランフォードにD老人と呼ばれる作家ダレルの目論見が少し分かる。それぞれ異名の登場人物を持つ複数の小説群が、全く別のものというわけではなく、尻尾をかみ合うウロボロスの蛇のように、TはUに最後尾で接続されている。

それだけではない。ブランフォードはD老人の被造物であり、ロブ・サトクリフはブランフォードの被造物。さらにはブロッシュフォードなるロブ・サトクリフの被造物までが登場する。すべて作家自身の複数の鏡像である。万華鏡の中に封じ込められたセルロイドの色板が、全く同じものであるjのに少し回転を加えると全く異なる図像を生じさせるのに似たロレンス・ダレルの詐術的文学技法。少しずつずれを含んだ繰り返しのもつボレロ効果。ピエールの死は自殺なのか他殺なのか。手を下したのは誰か、といったミステリ要素にテンプル騎士団、グノーシス主義といったオカルティズムの要素が塗され、謎解き興味も存分に味わうことができる。シェイクスピアや聖書をはじめとする文学的引用もふんだんに用意され、中には『ヴェニスに死す』のモデル「コルヴォー男爵」の名前まで見られるという文学好きには堪えられない出来となっている。


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 2013/8/5 『アヴィニョン五重奏Uリヴィア』 ロレンス・ダレル 河出書房新社

ロレンス・ダレルには、『アレクサンドリア四重奏』という代表作がある。一冊ごとに独立した小説として読める四篇の小説が、それぞれのパートをつとめることで、四篇を重ね合わせて読むと、単独で読んだ時とはちがって、一段と厚みのある作品世界が現れてくる。四重奏という名の由来だ。

『アヴィニョン五重奏』は、その表題からして『アレクサンドリア四重奏』の意匠を継いだものである。登場人物のひとりで、第二作『リヴィア』の主人公ブランフォードは、構想中の小説について次のように語っている。因みに『ムッシュー』とは、『アヴィニョン五重奏』の第一作である。

「さて、未来の向かう先を垣間見た私の目には、良き古典的順序に並べられたサイコロの五の目の小説群が見えた。五冊の小説が、そのために編み出された謎め いた五点形に従って書かれている。こだまがそうであるように、互いに依存してはいるが、ドミノのように連続して端から端に並んではいない――同じ血液型に 属しているだけだ。五枚の鏡板があり、君の手による、あちこちが軋んだ『ムッシュー』は、他の四冊においてまた練り直される一群の主題を提示するにすぎな い。」

一人奏者がふえただけではない。登場人物が四篇に共通する「四重奏」に比べ、「五重奏」は格段に複雑な構成を持つ。一作ごとに主たる登場人物が異なる上に、微妙に異なる名前になっていたりする。実在の人物だけではない。ここでブランフォードが君と呼びかけているロビン・サトクリフは、ブランフォードが創り出した架空の人物でありながら、作中で創り主であるブランフォードと俗にいうタメ口をきいたりする。 いまでこそ、自己言及的なメタ小説は当たり前になったが、当時としては革新的な手法であったと思われる。それも災いしたのか、「五重奏」の方は、「四重奏」ほどの評判を呼ばなかったようだ。近年「四重奏」の改訳版が装いも新たに出版され、好評のうちに迎え入れられたことに気をよくしたのか、未邦訳だった「五重奏」が新しい訳者を得て訳出されたことはまことにめでたい。

『リヴィア』は、第二次世界大戦で背中を負傷し、松葉杖が手放せない作家ブランフォードが、コンスタンスの死を知らされる場面からはじまる。コンスタンスは、ブランフォードのオックスフォードの学友ヒラリーの姉であり、アヴィニョン近郊の城館テュ・デュックの当主であった。ブランフォードは、まだ戦争の始まる前、コンスタンスにはじめて会った頃を回想する。ヒラリーとブランフォード、それにもう一人の学友サムの三人は、卒業前の夏の休暇をテュ・デュックで過ごすため、南仏プロヴァンスに向かう。そこにはコンスタンスの妹のリヴィアも合流することになっていた。

『リヴィア』は、主として大戦前の不穏な時代を背景に、若者たちが青春を謳歌するアヴィニョンの夏を描いている。青春群像の常として、恋愛がからんでくるのだが、そこはダレル。通常の男女による三角関係などではお茶をにごさない。同性愛に近親相姦がからんでくるから話は厄介になる。それだけなら、ややこしくはあっても恋愛譚ですむ。そこに、ナチスに資金援助をしようというユダヤ系英国貴族ゲイレン卿や、その商売仲間であるエジプト王子ハッサド、卿の甥で領事代理のフェリックス、卿に雇われテンプル騎士団の隠し財宝探索を行う数学者カトルファージュがからんでくるから、話は一挙に面白くなる。

ブランフォードは二人の美人姉妹に惹かれるが、リヴィアは本来レズビアンであるのに、姉をとられることを恐れ、ブランフォードに近づく。二人は結ばれるが、リヴィアは同性愛相手がいるジプシーの集団や娼館通いをやめない。苦悩するブランフォード。政治に興味を持たないブランフォードは主に恋愛路線をひた走り、ゲイレン卿やハッサド王子が脇で夜会や大饗宴を主催し、上流階級の頽廃的な歓楽を演じて見せる。教皇庁のあったアヴィニョンは、あの歌に歌われた「アヴィニョンの橋」だけではなく、ポン・デュ・ガールや教皇宮殿など見所の多い町である。その恰好の舞台背景を得てダレルの筆は冴える。特にポン・デュ・ガールを臨む貸切のオーベルジュで開かれるハッサド王子の狂宴は見ものだ。当夜の晩餐の献立表まで付記されているから、同好の士は是非参照されるとよかろう。

ユダヤ人をまとめて一箇所に隔離するという計画を、土地なき民であるユダヤ人がひとつの国家を建設するシオニズムとからめて、ユダヤ系の資産家から金を掠め取ろうとするナチス。隠された財宝を虎視眈々とねらう英国貴族。儲け話に一口乗ろうとする不能に悩むエジプト王子。いかにもダレルらしい胡散臭くも豪華な顔ぶれと、金はないが能力と未来だけは持ち合わせる若者たちが出会うとき、物語は動きはじめる。南仏プロヴァンスの荒れ寂れた城館、エジプト風の怪奇な意匠に改装された貴族の別荘で繰り広げられる愛と欲望のアラベスク文様。

作家ブランフォードのメモに記される箴言風の文章、たとえば「歴史とは、流しをゆっくりと伝って落ちていくねばねばの粥のようなものだ――その無限なる遅さ!」のような名文句が頻出し、読むことの愉しみを味わわせてくれる。この一冊だけでは、全容をうかがうことは難しいが、既刊の『ムッシュー』、それに続く未刊の三冊を読み合わせることで、どんな小説世界が現れてくるのか、愉しみはつきない。


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