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 2013/6/24 『パーフェクト・スパイ』 ジョン・ル・カレ 早川書房

たいていの小説は読み飽きて、手を出す気にもなれなくなったすれっからしの本読みが最後に手を出すのがスパイ小説。それもジョン・ル・カレの書くそれ。そんな気がしていた。主義主張や理想をふりかざして世の中を変革しようとしたり、どこまでも真理や真実を追究してみたりしたのも遠い過去の出来事となり、いつのまにか凡庸な日常が、それなくしてはままならぬがごとく、まるで水や空気のように身の回りを包んでいる、そんな毎日に不都合も不具合も特に感じなくなった男たちが手にとる読み物といえばル・カレくらいしか思いつかない。

だから、気軽に読みはじめたはずだったが、どっこいそうは問屋がおろさなかった。読み終えたあと、いささか胸にこみ上げるものがあった。いい歳をした男がスパイ小説を読んで身につまされるとは。いや、歳をとったからなのだろう。小説の出来のよさなら年齢にかかわらず分かる者には分かる。登場人物のもらす感慨が想像でなく実感できるには、やはりそれなりの時間が必要なのだ。しかし、それだけではない。ル・カレの作品の中でも、これは特別という気がする。

ある外交官がひとり息子にのこす回顧録という体裁をとった小説、とひとまずはいえるかと思う。ル・カレが書くのだから主人公の外交官という身分は当然のことながら偽装で、会社(ファーム)と呼ばれる英国情報部のスパイである。叙述の方法は例によって例のごとく入り組んでいる。とりあえず、小説はスーツにブラック・タイをしめ、手にはブリーフ・ケースとハロッズのグリーンのバッグをさげたハンサムで長身、英国上流階級の威厳を身に備えた五十過ぎの男が英国南デヴォン州の海岸町にあるミス・ダバーの下宿屋を訪ねるところから幕を開ける。父の葬式のため任地のウィーンからロンドンに飛んだマグナス・ピムは、式後妻の待つウィーンには戻らず、誰も知らない隠れ家にやってきた。父の死により長い間の確執も解け、身軽になったピムはここで念願の回想録にとりかかるつもりだ。

一方、行き先も告げずに消えたピムをさがして「会社」は大騒ぎになっている。連絡関係にある米国情報部内に以前からくすぶる、ピム二重スパイ説を真っ向から否定していた上司ジャック・ブラザーフッドは苦境に立つ。彼はピムの家族や関係者を尋ねて失踪の真意を探る。手がかりとなるのは、ピムが電話やメモに残した言葉だ。失踪直後の電話で同僚にファイルの有無を確認したオーストリア時代に何があったのか。「会社」から持ち出した機密書類廃棄箱(バーンボックス)の中身は。ウェントワースやポピーとはいったい何なのか。

現在時から過去への回想視点で語られる主人公の人生の軌跡の中に、一時間ほど前の出来事や、何年も前の異国の出来事の回想が入り込む。しかも、回想の推移につれ、息子トムへの語りかけであったものが、そのつど上司のジャックや、妻のメアリーへのそれにとってかわられる。そればかりではない。視点人物すら、ジャックやメアリー、米国情報部員レダラー、とくるくる入れ替わる。ジャックが追いかけるウェントワースやポピーといった人名の謎を解く鍵は文庫版の下巻にならないと出てこない。ル・カレ独特のしかけだ。ル・カレの小説は難しいという評を生む原因のひとつだが、そうやって小出しにされ、時間の前後関係を無視して提示された情報が伏線となり、類い稀なサスペンス効果を生む。

舞台となっているのは、戦前、戦中、戦後の英国、オーストリア、スイス、チェコそしてアメリカ。繁栄のあとの衰退をよそ目に英国上流社会に巣食うスノッブ達の遺産にたかる行状や堕ちてゆく貴族階級の頽廃的な生活のありさまをル・カレはシニカルに見つめる。一方で主人公ピムの愛する素朴なチェコの民衆が見せるボヘミア気質の裏には繰り返される大国の支配にさらされた結果、裏切りや密告、拷問が日常と化した過酷な社会体制がある。ピムは開けっぴろげで陽気なアメリカ社会に惹かれながらも、型や枠というもののないアメリカの流儀にはなじめない。暗号のコードブックにグリンメルハウゼンの『阿呆物語』の古本をもってくる昔気質のスパイには、情報活動までコンピュータで計量化されたアメリカが象徴する新時代は合わないのだ。

この作品がル・カレの数あるスパイ小説の中でも特別だというのは人間の描き方だ。ジョージ・スマイリーに代表される、これまでの主人公には、卓越したスパイ技術とともに誰にも愛される人物像というものが備わっていた。それが読者をして読む悦びにひたらせていた。本作の主人公もたしかに多くの人に愛される。しかし、それらの人の口の端に上るピムの人物像はかなしい。最初の妻ベリンダの言葉。「あの人をこしらえたのは、あなたじゃないの。ジャック。あなたにいわれたら、なんでもする人だったわ。なれといわれた人間になり、結婚しろといわれた相手と結婚し、別れろといわれた相手と別れ」。愛人のケイトの言葉。<「彼は貝殻よ」と、ケイトがいった。「彼のなかにもぐり込んだヤドカリをさがせばいいのよ。彼について真実をさがしたってだめよ。あたしたちが彼に分けあたえた部分だけが真実よ」>云々。本作の主人公は、どうやら読者にあまり好かれそうな人物ではない。

ピムの父リックは名うての詐欺師で、幼少時からピムはその嘘で固めた人生の一隅で生きることを余儀なくされてきた。父や友人に愛されたくてついつい、つかなくてもいい嘘をつき、人の関心を得るため、口からでまかせをいう癖を身につけたピムは、いわば生まれついての「パーフェクト・スパイ」だった。この「自分というものを持たない」男の一生が作品の主題であることはいうまでもない。

ひとつの時代ひとつの場所をピムは文字通り懸命に生きる。相手に好かれよう、相手を幸せにしようとして。そのひたむきさに嘘はない。ただ、任地が変わり、相手にする人が変われば、過去はまるでなかったことのように忘れ去るのも事実。日和見主義者の卑怯なふるまいを戒めた寓話『鳥とけものの戦い』に出てくる蝙蝠のように、その場その場の相手に合わせて自分を作り上げてみせる人物を人は愛さない。

三人称で書きはじめられた物語がいつのまにか一人称で語りかけてくる。それは小説の中で、夫の創作メモを盗み見たメアリーの言葉として文章中にも登場している。つまり、いま読者が読んでいる小説が登場人物が執筆中の小説であるという「メタ小説」になっているわけで、どこまでも凝ったつくりになっている。完成度の高さはいうまでもないが、小説が完成に近づけば近づくほど、主人公の人間像が完璧なまでに空虚な存在に近づいていくという徹底的にシニカルな小説で、読者を選ぶ。主人公の正直な告白に共感を覚えながら、その索漠として空虚な人生の深淵をともに覗くことのできる人こそ読者にふさわしい。

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 2013/6/10 『スマイリーと仲間たち』 ジョン・ル・カレ 早川書房

ジョージ・スマイリーは、元英国情報部の現地指揮官。冷戦時には有能なスパイとして情報部を指揮していたが、世界情勢は緊張緩和(デタント)へと舵を切り、顔ぶれを一新したホワイト・ホールは情報戦も英米協調をうたい、かつてのような英国独自のスパイ網の必要性を認めなくなった。自前で情報をさぐるよりアメリカのいとこ(カズンズ)から聞けばいい。そのほうが安上がりだ。大幅な予算削減の結果、現地協力者は解雇。「首狩人」や「点燈屋」といった特殊な分野を受けもつ工作員グループも解散してしまっては、その指揮を執るスマイリーに出番はなかった。早い話がリストラである。

電話がかかってきたのは深夜だった。亡命エストニア人グループのリーダーだった「将軍」と呼ばれる元工作員が殺されたのだ。事件を穏便に処理したい政府は情報部監視役レイコンを使い「将軍」の工作指揮官であったスマイリーに調査を依頼する。現場に足を運んだスマイリーは、その残虐な手口からソ連情報部(カーラ)の仕業と判断を下す。殺害動機は「将軍」が手に入れた証拠物件の捜索とその隠滅である。調査の結果「将軍」が見つけたものとは、ソ連情報部チーフでスマイリ−の長年の宿敵カーラを失脚させるにたる二つの証拠と判明。カ−ラの弱みを見つけたスマイリーは、政府の暗黙の了解のもと散り散りになっていた工作員を再編成し、カーラの追い落としをはかるのだった。

スマイリー長篇三部作の完結編である。第一部『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』は、カーラが英国情報部(サーカス)内に送り込んだ「もぐら」と呼ばれる二重スパイをあばくスマイリーの推理がさえる推理劇。第二部『スクールボーイ閣下』は、スマイリーの推理に加え、現地工作員ジェリーが香港、インドシナを舞台に大活躍する冒険活劇だった。ただ、どちらも三部作の主人公たるスマイリー自身があまり前面に出ることなく、裏方に甘んじた憾みがのこる。しかし、さすがに完結編である第三部は主人公スマイリーが頭脳だけでなく足を使い、おまけに英国内はもとよりハンブルグに飛び、なんと苦手な自動車まで運転して、謎を追う本格的なスパイ小説になっている。

八月のパリ。黒服を着たマリア・オストラコーワが前髪をひょこひょこさせながらショッピングバッグを肩に街路を行く。冒頭の一見本筋に関係なさそうなシーンから読者は一気にル・カレの世界に引きこまれる。この亡命ロシア女性もそうだが、「将軍」ウラジーミルとその情報源オットー・ライプチヒといった主要人物にかぎらず、ちょっと顔を出すだけの傍役ひとりひとりにいたるまで、人物造形の巧みなことはどうだろう。主人公スマイリーその人にしたところが、度の強い丸眼鏡をかけた風采の上がらぬ小男ときている。そのスマイリーに向けて、側車つきオートバイに乗った長身のファーガソンがすれちがいざま敬礼してみせる場面など一幅の絵のようだ。

ひとつの時代が終わるとき、世界の枠組みもまた大きく変わる。盗聴、尾行、防諜室といった完成されたスパイの技術が古臭く滑稽なものとしてかたづけられるのはまだ許せる。しかし、その技術に習熟し、それをつかって情報をさぐり、受け渡ししていた人間もまたシステムの末端として切り捨てられる。新しいシステムにうまくのれる者は生き残り、そうでないものは葬り去られる。

スパイに限らず、どんな組織にもいえることだが、人と人が接触するとき、そこには人間的なファクターというものが生まれる。敵味方のスパイ同士でさえ監視している者は監視対象に好き嫌いの感情を抱くという。まして同じ仕事を共にした仲間となれば当然のことだ。上層部はシステムの切り替えと同時に不要となった人員を廃棄するが、スマイリーにはできない。どんなときでも冷静でいることはできるが、非情にはなりきれないのがスマイリーという男なのだ。

死んだ「将軍」の部屋を捜索しながらスマイリーは物思いにふける。「われわれ自炊をする男は半人間だなと思いながら、彼はソースパンとフライパンをひっぱりだし、トウガラシとパプリカのなかをかきまわした。家のなかの他のどこでも――ベッドのなかでも――人は自分を周囲から遮断し、好きな本を読んで、孤独が最高だと自分をだますことができる。だが、キッチンばかりは、未完のしるしがあまりに目に立って、それができない。黒パンのかたまり半分。粗悪なソーセージ半分。タマネギが半分。牛乳がびんに半分。レモンが半分。紅茶が袋に半分。生活の半分。」アンと別れてからのスマイリーは「半人間」なのだ。

風采こそ上がらぬものの、スパイとしての能力はとびぬけて高いスマイリーは、一種のスーパーマン。彼に会い彼と話をした者は誰もが彼を好きにならずにいられない。そのスマイリーをして落とすことができなかったただ一人の男がカーラである。何故か。それはカーラはユング心理学でいうスマイリーの「影」だからだ。コニーの喩えをかりるなら彼ら二人は「ひとつのリンゴの半分同士」なのだ。いかに完璧な職業的人格を構築しようと、スパイもまた人間である。スマイリーにとってアンは「幻想を捨てた男に残った最後の幻想」だった。カーラはヘイドンを使い、スマイリーからアンを奪った。友人と妻の裏切りはスマイリーを苦しめ、彼の力を奪うにちがいないと考えたからだ。

いっぽうスマイリーもまた「将軍」がさがしあてたカーラらしくもない不手際に、彼の弱点を発見する。そして、ホワイト・ホールが過去の遺物として葬り去ろうとした、尾行、張り込み、盗み撮りといった諜報技術を駆使し、カーラを落とす。雪が舞うベルリンの壁を背景にしたスマイリーとカーラの再会は三部作のハイライト。カーラの手からすべり落ちるスマイリーのライターが物語の終りを告げる。

ル・グウィンが『ゲド戦記』の主題とした自分の影との戦いを、ル・カレはリアルなスパイ小説に仕立ててみせる。ジグソウパズルのピースをひとつひとつ仮想の絵柄に当てはめながら、最後に残ったピースを追い求めるような理詰めの探索は上質のミステリのよう。登場人物のひとりがスマイリーをシャーロック・ホームズに、カーラをモリアーティ教授に喩えているが、「将軍」の足跡から時代がかった諜報活動であるモスクワ・ルールに則って隠された証拠の品を見つけるスマイリーの捜査は名探偵そのもの。どちらかといえば、アームチェア・ディテクティブ派と思っていたスマイリーがクロフツの刑事のように何度も現場に足を運ぶのが心に残る。老スパイが執拗にこだわったルールの遵守は、人を欺き、弱みに付け込むスパイの世界に残された最後の倫理だったのかもしれない。


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