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 2013/1/11 『終わりの感覚』 ジュリアン・バーンズ 新潮社

高校時代の歴史の時間、老教授の「歴史とは何だろう」という問いに、主人公トニー・ウェブスターは「歴史とは勝者の嘘の塊です」と答えている。斜に構えて見せたつもりだろうが、紋切り型の使いまわしにすぎず、主人公の凡庸な人となりを現している。老教授は「敗者の自己欺瞞の塊であることも忘れんようにな」と生徒を諭す。同じ問いに主人公の親友エイドリアンは「歴史とは、不完全な記憶が文書の不備と出会うところに生まれる確信である」と、先人の言葉を引用して答える。この問答が、この小説の主題である。

今は引退し、平穏な生活を送っていた主人公のところに、かつての恋人の母親から遺産として500ポンドとエイドリアンの日記が遺されたという手紙が届く。エイドリアンは高校時代の憧れの人物であったが、別れた恋人ベロニカが自分の次に選んだ相手でもあった。何故エイドリアンの日記がベロニカの母の遺品となっているのか?また、その日記がなぜ送られてこないのか?主人公は疎遠になっていたベロニカの消息を尋ね、やがて衝撃の真実を知る。

60年代に青春時代を過ごし、一流とまではいかないが、二流の上くらいの人生を生きてきて、今はボランティアなどしながら余裕のリタイア生活を送っている。良くも悪くもない平均的な人物の代表のようで、同世代の読者からすればまるで自分のことを描いているように思わせられる。

たとえば、彼女のチェックを受けるレコード棚の話。彼女が毛嫌いするチャイコフスキーの『序曲一八一二年』と『男と女』のサントラ盤は隠してある。問題は大量のポップスだ。ビートルズ、ストーンズは許されるが、ホリーズ、アニマルズ、ムーディーブルース、それにドノヴァンの二枚組みアルバムは「こんなの好きなの?」と言われてしまう。このあたりでニンマリするご同輩も多いのではないだろうか。

齢を重ねれば、誰にだって一つや二つ心に突き刺さった棘のようなものがあるにちがいない。ただ、それは時の経過とともに記憶の劣化作用を受け、尖った角はまるく削られ、その上を幾重にも皮膜が被い、かつてあれほど感じた痛みを感じなくなってしまっている。

この小説は、それを一気にひっぺがす。小説は読者を問い詰める。いかに矮小であったにせよ一人の男の人生もまた歴史である。おまえのそれは「敗者の自己欺瞞の塊」ではなかったか、「不完全な記憶が不備な文書と出会ったために生まれた確信」に過ぎぬのではないか、と。臆病で、面と向かって真実に向き合う勇気がなく、日々を無事に送ることだけを念じ、面倒なことに背を向けて生きてきた結果としてある平和な老後。それが如何に欺瞞に満ちた偽りの平穏であるかを暴き立てずにはおかない、これは残酷な小説である。

周到に準備され、張りめぐらされた伏線、後の事態を暗示する象徴的な事件、結末に用意された衝撃のどんでん返し、と上質なミステリを読むようなサスペンスフルな展開。『フロベールの鸚鵡』などで知られる、どちらかといえば既成の小説の枠を越える小説を書いてきたバーンズだが、それまでの実験的な作風を封印し、人生に真正面から切り結んだ実に小説らしい小説である。2011年度ブッカー賞受賞作。

蛇足ながら、ドノヴァンの二枚組LPのタイトルが『花から庭への贈り物』と訳されている。“a gift from a flower to a garden”だから、訳としては正しいのだが、発売当時の邦題は『ドノヴァンの贈り物/夢の花園より』だった。当時のファンとしては、邦題でないと、あの民族衣装風の装いをしたドノヴァンの姿が浮かんでこないのだが、今の読者にはどうでもいいことなのかもしれない。

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 2013/1/8 『新編バベルの図書館1アメリカ編』 J・L・ボルヘス編 国書刊行会

かつては作家別の分冊という形式で同出版社から刊行された「バベルの図書館」シリーズを、数人の作家を出身国別にまとめたものである。新編を名乗ると同時に、以前はペイパーバックの体裁であったものが、上質の紙に余白を充分とった角背ハードカバー、函入りの堅牢な造本となり、書架に蔵するに足る体裁となったのは何よりである。

一冊にまとめるにあたり紙数の制限もあって、どの作家も短篇が多くなるのは当然のことだが、そこには編者の好みがはたらいていることは否めない。しかし、そこはボルヘス、作家、作品を選ぶ鑑識眼はたしかなものだ。厖大な書庫の中から、有名無名を問わず、これといった名品、佳篇を取り揃えてくれている。

何よりうれしいことには一人ひとりの作家について付された序文が簡潔でいて要を得ていることだ。一つの作品につき一行足らずでその本質をつく妙技にはうならされる。序文を読んでから作品に触れると、その作品のどこが評価されるべきかが今更ながらあらためて理解できる。

幽霊譚はもとより、異次元旅行、夢のお告げ、怪談、奇譚に事欠かないが、単なるホラー、怪奇譚のアンソロジーとは趣きを異にする。ボルヘス偏愛の作家、作品を厳選したものである。同じ分身を主題にしたものであっても、料理する作家が異なれば自ずとちがった味わいに仕上がるのも道理。世界中から集められた珍味佳肴の饗宴。その風味をじっくりと味わいたいものである。

第一巻はアメリカ編、ホーソーン、ポー、ロンドン、ジェイムズ、メルヴィルを収める。ポーなどは、「盗まれた手紙」や「群集の人」といった代表作数篇が採られているが、メルヴィルからは「代書人バートルビー」一篇が選ばれている。昨今エンリーケ・ビラ=マタスの『バートルビーと仲間たち』が世評に上り、注目を集めているが、メルヴィルが『白鯨』だけの作家でないことを知るだけでもこの一巻を手にとる値打ちがあるというもの。

続刊として、イギリス編1・2、フランス編、ドイツ・イタリア・スペイン・ロシア編、ラテンアメリカ・中国・アラビア編の全六巻構成である。高尚な文学理論など振りかざすことなく、読書の愉しみを味わい尽くすことだけを考えたような編集方針である。現代においても一向に古びることのない奇想の数々、是非手にとって思うさま堪能されたい。

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