HOME | INFO | LIBRARY | JOURNEY | NIKE | WEEKEND | UPDATE | BLOG | LINK
LIBRARY / REVIEW | COLUMN | ESSAY | WORDS | NOTES  UPDATING | DOMESTIC | OVERSEAS | CLASS | INDEX
Home > Library > Review111

 2012/11/29 『はまむぎ』 レーモン・クノー 水声社

『はまむぎ』は奇妙な小説である。書いたのはレーモン・クノー。バスの中で見かけた男についての些細な出来事を書いたメモ風の文章を99種の文体で書き換えて見せるという軽業めいた『文体練習』という作品の作者である。そのクノーの、これが処女作というのだから、作風が少々風変わりであってもいっこうに不思議ではない。

たしかに普通の小説ではないが、よくある実験小説にありがちなこれ見よがしの文体や構成を駆使したひとりよがりの退屈な代物ではない。出だしこそ、とっつきにくいものの、主人公が「人影」と呼ばれる二次元的存在から、「平べったい存在」というふうに厚みを帯びた存在に、そしてエティエンヌ・マルセルという名を持った立体的存在へと変化するにつれ、小説は俄然面白さを増してくる。

「観察者」を自称する作者の分身と思える人物も、観察対象が存在の厚みを増すにつれ、単なる観察者の位置を逸脱し、ピエール・ルグランという名を持つ登場人物へと変化する。話し相手に「へえ。小説家ですか?」と訊かれたのに対して、「いやいや、作中人物ですよ」と返答するのが笑える。小説の登場人物が、自分で自分のことを「作中人物ですよ」といけしゃあしゃあと口にしてみせるのだから、クノーはこれがメタ小説であることをはじめから明かしているわけだ。

小説は最後の方でイタリアを想定したエトルリアとフランスの戦争を扱うあたりから一挙に寓話めいた相貌をとるのだが、ジョイスに学んだという構成に寄せる関心は徹底しており、張りめぐらされた伏線といい人物の巧妙な出し入れといい、構成は首尾一貫して崩れを見せない。ウロボロスの蛇のように、末尾の部分が幕開けの部分を飲み込むような円環的構造は、物語の無限循環を呼び起こし、眩暈すら覚えるほどだ。その一方で、言葉遊びに興じたり、字体を使い分けてみたり、犬の視点で語ったりと、小説的な冒険も『ユリシーズ』を想起させる奔放さだ。

パリ郊外の荒廃した住宅地や化学工場からの悪臭が漂う空き地を主な舞台とし、いかにもそんな界隈に住んでいそうな、小市民やいわくありげな人物が運命的に出会い、他人宛ての手紙の盗み読みや、盗み聞き、勝手な思い込みによる宝探しに振り舞わされる騒動を風刺的タッチで描いたこれは、ある種のピカレスク・ロマンであり、実存主義を茶化した形而上学的小説でもあり、貧しき人々の生活を描いたリアリズム小説の側面も持つという、何ともいわく言いがたい小説である。

牛の胃袋やら、木炭の釘を周りに纏いつかせた古靴のようなステーキだとか、とても食べられそうにないおぞましい料理や安酒を出す食堂に集う、奇妙に滑稽でそのくせリアルな生活臭漂う庶民階級の人々と、さえない銀行員である主人公エティエンヌの突然の形而上学的覚醒、作者の分身であるピエールの生きながらの死者をもって任じる虚無的なブルジョワぶり、悪戦苦闘を繰り広げる悪役クロッシュ夫人のしたたかな悪漢ぶりと、映画『地下鉄のザジ』の原作者らしい人物造形の巧みさが際立つ。

レーモン・クノー・コレクションと銘打った全13巻のシリーズ第一巻。『文体練習』も新訳が用意されているようで、今後の刊行が待たれる好企画である。


pagetop >

 2012/11/25 『コルヴォーを探して』 A・J・A・シモンズ 早川書房

『ハドリアヌス七世』というあまり世に知られることのない、しかし才気溢れる小説の著者であるコルヴォー男爵ことフレデリック・ウィリアム・ロルフという作家についての評伝である。

話は一九二五年の夏に始まる。シモンズは文学好きで稀覯書専門の本屋でもある友人と「賞賛を受けたり影響力があったりしても当然なほど素晴らしいのになぜか見落とされている書物」について話し合っていた。レ・ファニュやビアスの作品を上げた筆者に、相手は「あなたは『ハドリアヌス七世』を読んだことがありますか」と訊ねたのだ。

未読であったので早速一書を借り受けて読んだシモンズは、その文章の独創性、溢れる機知、卓越した言葉づかいや情景描写に魅せられる。しかし、その素晴らしさにもかかわらず、なぜロルフという作家は世に知られていないのだろう。シモンズはその謎を解くため作家の友人、知人、出版関係者に手紙を書き面会を求める。幸いなことに関係者の何人かから返事が届き、話を聞くことができた。そうやって集めた資料を惜しみなく使って書かれたのが、この類稀なる評伝である。作家と文通相手の往復書簡をはじめ、ロルフ作品からの引用も多く含むこの評伝は、いまだ未訳の謎に包まれた作家の姿をうかがい知ることのできる魅力的な評伝となっている。

コルヴォー男爵ことFr.ロルフは文学にとどまらず、音楽、絵画など芸術的才能に恵まれた青年であったが、司祭職に憧れカトリックに改宗するも学校を追われ、教師をしたり、教会の装飾に携わったりしながら貧窮の中で文章を書き綴っては出版の道を探っていた。ただ、このロルフという人物、いささか性格に問題があった。自尊心が高く、知識をひけらかしがちで、誇大妄想の気があり、才能に秀でた自分のために人が金を出すのは当然とみなす癖があった。ひとたび事が失敗するや、それは周囲が自分に悪意を持って妨害した所為だと思い込む。その結果執拗に相手を誹謗中傷する手紙を送りつけるという、全くもって拘りあうと面倒な相手なのだ。

しかし、弁舌が巧みで座持ちのよい話し手であるため、初対面の人は友人として食事をともにしたり、自宅に招待したりする。するとそれに甘え、金銭を借用しては滞納、相手の家に居続け、その挙句が喧嘩、中傷の手紙という繰り返し。優れた才能を持ちながら、その破滅的な性格ゆえに、年中食べるものにも住むところにも窮し、とうとう最後は憧れのヴェネチアで野垂れ死にを遂げる。

シモンズは、作家の才能に魅せられながらも、その人生のあまりな奇矯さに圧倒されているように見える。作家の数奇な人生には生まれながらの性癖が影を落としていることにも触れながら、遺された作品の行方をたどる探索行を続けてゆく。最後にはその全ての作品を読むことを得るのだが、ロルフのことを教えてくれた友人や、知られざる作品を金にあかして発掘してくる途方もない資産家など、ロルフ以外にもエキセントリックな人物に事欠かない。そういう意味でも面白い読み物で、これが今まで本邦初訳であったのがちょっと信じられない。稀覯本に限らず、奇書、珍書に目がない読者なら何を措いても読まねばならない一冊である。


pagetop >
Copyright©2012.Abraxas.All rights reserved. since 2000.9.10