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 2012/9/26 『洋食屋から歩いて5分』 片岡義男 東京書籍

いきつけの喫茶店に入って、いつもの席につきコーヒーを飲む。日常の何気ない、けれどそれがきまりになっているらしい律儀さで、ほぼ毎日のルーティン・ワークになっている。そんな店で飲むいつものコーヒーのような味わいの一冊である。

エッセイ集と呼ぶのだろう。短いものなら四ページほどの散文が33篇集められている。いくつかの雑誌に求められて書いた作家本人の登場する小説のような作品から、少年時の回想、食べ物に関するちょっとしたこだわりなど、日常の身辺雑記にあたる文章は、どの作品にも片岡義男という商品タグが付されているような、いつものスタイルで統一されている。

たとえば深煎りコーヒー。たとえば、秋のはじまりであるはずなのに厳しい残暑の中で人とばったり出会い、洋食屋だったり喫茶店だったり、もしくは居酒屋に入って何かを食べ、いかにも訳知り通しらしい会話を交わす。そんな中から小説やエッセイのタイトルに使えそうなしゃれた文句を拾い出す。最近ではそれに俳句が加わった。

スタイルがほとんど変わらないのは自分にキャパシティがないからだ、という作家の言葉に膝を打った。たしかに変わるためにはキャパシティが必要だ。「ワープロのキーを爪弾いている」などという他の作家なら絶対やりそうにない用語法も、この人だと許せる気がする。気の向くまま、たまたま開いたページを拾い読みするような読み方にぴったりの本だ。散歩のときなど持ち歩いて公園のベンチなどで読むといいのではないか。


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 2012/9/24 『小犬を連れた男』 ジョルジュ・シムノン 河出書房新社

「《ぼく、フエリックス・アラールは四十八歳で、パリ三区、アルクビュジィエ通り三番地に住んでいる……》他の人々の遺書でのように、こうつけ加えるべきか、《心身ともに健康》?」

冒頭から不穏な事態がほのめかされている。「遺書」?それでは、出す相手のいない手紙がわりに書いているという、この手記は遺書なのか。

十一月のパリ。ただでさえ冬のパリは寂しい。それなのに、他に借家人とていない倉庫街の屋根裏部屋に犬と暮らす独り者の男。男の最終的な決心が自殺を意味していることは「遺書」という言葉から明らかだが、その理由は何か。男には、別れた妻と息子、娘が近くに住んでいる。さらにもう一組同じ構成の家族がいる。男はそのどちらも遠くから見守るだけで近づかない。それは何故。

いくつもの謎が提示される。青と黄の二冊のノートに記された手記には、その日の出来事に混じって、男の生涯の回想が記される。子どもの頃のこと、愛犬を手に入れたいきさつ、妻との出会い、今の仕事に就いたきっかけ等々。手記の日数が増えるにつれ、少しずつ男の過去が明らかになってゆく。そして、一日分の手記は愛犬ビブへの呼びかけで閉じられる。このあたりの小出しにされる過去と現在の境遇の微妙な兼ね合いが巧い。特にとんぼ返りをしたり、シーツをくわえて引っ張ったりするビブのしぐさがいちいち愛らしく、陰鬱とも思える中年男のわび住まいに僅かだが温かな灯りをともしている。

最後に主要な謎は解かれる。なるほど、と一応納得もするのだが、それで終わり、という訳にはいかない。これはメグレ警視物のような謎解き主体の探偵小説ではないからだ。これは一人の男が、なぜこんな生き方をしなければならなかったか。そして、そうした日々を送る自分を男がどう思っていたか。かつてソルボンヌの文学部で哲学を学んでいた男の自己分析は、どこか傍観者的で皮肉さを漂わせるものだ。

充分に知的だが、それに比べ感情や意志は未発達とも思える男が人生の途上で出会った事態に感情を爆発させ、果断に行動を起こす。その結果が現在の彼の境遇を準備したというわけだ。アイロニカルな作家の視線が強い印象を残す。主人公と彼の雇い主である元売春婦上がりらしい書店の店主の人物造形が素晴らしい。バルザックの『人間喜劇』にも比されるシムノンの本格小説群の一角を支える味わい深い一篇。

ウィスキーを少しずつすすり込むように飲むことを「シップ」という。評者はシムノンのこの本をシップするように読んでいった。あたかもグラス一杯の酒を一気に飲んでしまい後悔しないですむように。秋の夜長、じっくり時間をかけて、その深い味わいを愉しまれんことを。

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 2012/9/14 『都会と犬ども』 マリオ・バルガス=リョサ 新潮社

解説から先に読まないこと。よく分かる解説だが、せっかくの作家の工夫がだいなしになってしまう。リョサの多くの作品がそうであるように、この小説でも複数の話者が脈絡もなく代わる代わる登場しては、てんでに自分の生い立ちや家族関係、友人関係などを語り始める。誰が何の話をしているのか初めのうちはそれさえよく分からない。主人公たちは仲間うちではあだ名で呼ばれ、家庭では本名で呼ばれている。呼称のずれが誰が誰の話をしているのかをいつも以上に分かりづらくさせているのだ。再読を誘う巧妙な仕掛けといえるだろう。もちろん読み進めるにつれ、それはしだいに判明してくるのだが、最後まで明らかにされないこともある。解説はその仕掛けをばらしてしまっている。

様々な階層、地域、人種から集まってきた少年たちが寄宿生活を送る士官学校を舞台にした群像劇である。ペルーの中等学校は五年制で、リマにあるレオンシオン・プラド士官学校はその後半の三年を担当する。新入生は三年生と呼ばれる。士官学校ではあるが、軍人になろうとして入学してきた者ばかりではない。手のつけられない不良や男らしさを欠いた者、家名を汚した者など、軍隊式の厳しい訓練によって鍛えなおしたいという親の考えで放り込まれたものも少なくない。

富裕層の多いミラ・フローレス育ちのアルベルトは、神学校に在籍していたが学業に身が入らず成績が落ちたため父親によってここに放り込まれた口だ。あだ名は「詩人」。特に腕力はないがラブレターの代筆や猥褻本を書くことで、仲間からのいじめをまぬかれている。同じ組には上級生も勝てない「ジャガー」と呼ばれるボスが君臨する。組の誰もからいじめを受けるのが「奴隷」と呼ばれる少年。暴力が嫌いで手向かうことをしないのでいじめのターゲットになっている。

事の発端はジャガーが計画した試験問題の盗難が発覚したことである。犯人が名のり出ないため、当日歩哨の任にあった1組全員の外出が禁止される。密告があり仲間の一人が放校処分を受けることに。そんな時、演習中に発砲事故が起き死者が出る。

事故か故意による殺人か。生徒の信頼を集める一人の中尉が真相を暴こうとするが、上層部はスキャンダルを恐れ真相を闇に葬ろうとする。規律を守ろうとすればするほど、軍の中で孤立していく中尉。腐りきった大人たちに対し、犯人とそれを知る少年たちの懊悩は深い。左遷される中尉を救おうと、一人の少年が名のり出るが…。

すさまじいいじめの実態がこれでもかと執拗に描写されるので、読んでいて息苦しさを覚えるほどだ。上級生が下級生をいじめ、下級生は同じ組の中の弱い者をいじめる。いじめる側、いじめられる側、そして傍観者と、三者三様の心理が克明に綴られる。しかも、その間に挿入されるのは、年頃の少年らしい異性に対するナイーブ過ぎるほどの憧れやそれとは裏腹な性への関心。さらには両親との葛藤。

士官学校入学から卒業後までを描くが、その間にそれぞれの幼少年時の回想が絡む。もつれた糸を解きほぐすかのような最終場面での種明かしが実に鮮やか。それまでの救いのない世界に一陣の風が吹き込むようだ。リョサ流の青春小説であり、人格形成小説でもある。いじめ問題が騒がれている。その渦中にいる君に薦めたい。文学にいじめを解決する力などない。ただ、文学は君を変えることができる。読まなければ何も始まらない。

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