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 2012/8/24 『許されざる者』 辻原 登 毎日新聞社

日露戦争前夜の明治三十六年(1903)三月、紀伊半島の南に位置する森宮の港にひとりの男が帰ってくる。男の名前は槇隆光。元森宮藩藩医の四男でアメリカで学位を取得後カナダで診療経験を積み、帰朝後森宮で開業していた。貧しい者からは金を取らず、金持ちからは高額の治療費を取る、毒取ル先生と呼ばれていた。そのドクトルが再び海を渡ってインドはボンベイ大学で脚気を研究し、その成果を引っさげての三年ぶりの帰郷である。町は沸き立っていた。

同じ頃、元森宮藩主の長男永野忠庸少佐は八甲田山雪中行軍で遭難死した弟の救出に向かい、その計画の杜撰さを指摘したことで軍から譴責を受け、妻を伴って帰郷していた。物語は、槇と永野夫人の許されざる恋愛を核に、槇の姪、西千春をめぐる甥の若林勉ほか若者たちの競争をからませながら、日露戦争を背景に、開戦論者と幸徳秋水たち非戦論者の闘いを描く一大ロマンスである。

インドから持ち帰ったトンガと呼ばれる二輪馬車を駆って森宮の町を疾駆するドクトル槇の颯爽とした姿は、いかにも大衆好みの設定だが、実は槇にはモデルがいる。佐藤春夫や与謝野鉄幹が、その早すぎる死を悼んだ新宮の医師大石誠之助その人である。差別された人々にも進んで施療し「毒取ル」と呼ばれ、太平洋食堂を開業し、洋食の普及に努めるなど、開明的な活動家であったが、幸徳秋水との関係が災いし逮捕され死刑となる。

作家はこの郷土が生んだ傑物の復権を試みたのだろう。脚気の特効薬ベリベリ丸を大陸に持ち込み、脚気に悩む将兵を治療したり、元藩主筋に当たる永野の妻と愛し合わせたり、と大石にはできなかっただろう縦横無尽の活躍ぶりである。モデルといえば、勉や千春には文化学院を開設した西村伊作の風貌が垣間見えるし、千春の結婚相手である上林青年は阪急鉄道や宝塚歌劇団の創始者小林一三翁の若き日の姿が重なる。シルクロードの探検隊を組織し帰りの船で槇と出会う谷晃之は真宗大谷派の宗主大谷光瑞。石光真清や森鴎外、田村花袋、頭山満、ジャック・ロンドンという錚々たる顔ぶれは本人の名前で登場する。

ロマンスといえば、本来中世騎士物語のことだが、槇と永野が夫人の愛を争う三角関係は円卓の騎士ランスロットがアーサー王の妻、グィネビアと愛を通じ合う有名な物語を思い出させる。ホイッスルという愛馬を駆る槇の姿は囚われの王妃を救い出そうとする騎士を髣髴させるし、思い姫を故国に置いて北の戦場に赴く槇の姿は遍歴の騎士そのものであろう。

階級差というものがはっきりしない現代日本においてロマンスを描こうというのはかなり難しいことにちがいない。その点、まだ旧藩主というものが存在し、同時に西洋の後を一生懸命追いかけていた明治時代なら華麗なロマンスが描けるだろう。時計のネジ巻き屋やガス燈の点燈夫といった職業もこの時代ならでは。アンナという名の入ったロールネットのような小物を使って、トルストイやチェーホフの名作を持ち出したりできるのも共通する時代背景があってこそ。

さらには、日本陸軍が脚気黴菌説を墨守し、白米食にこだわり脚気による大量の戦病死者を出したという軍事上の事実を重要なエピソードとして持ち込むことで、コッホの説を疑わず、麦飯・パンを食べれば脚気が治るなどというのは非科学的な妄説とした軍医総監森鴎外に脚気の特効薬を開発したドクトル槇を対峙させるなど、辻原登ならではの小説的詐術が愉快である。

同時代の日本を描いた司馬遼太郎の『坂の上の雲』を意識したにちがいない設定には、同じ小説家として国民的人気作家に対する挑戦が感じられる。テロルなきアナーキズムやレーニン以前のマルクシズムを奉じる槇のイデオロギーは、その言葉から伝わりはするが、大仏教教団の宗主で爵位を持つ谷と友人付き合いしたり、侠客といえば聞こえがいいが、自分に気がある女親分の力を借りたりと、実際の行動には権力や暴力という力の行使に無思慮に過ぎる気もする。まあ、そこはロマンス、あまり堅苦しく考えるのも野暮だろう。新聞連載小説らしく、誰にでも読みやすく書かれている。暑気払いにはうってつけの痛快巨編である。

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 2012/8/1 『父、断章』 辻原 登 新潮社

自伝的な素材を生かした短編をそろえた短編集。作家自身に限りなく近い「私」が登場し、主な舞台は郷里の新宮である。それでは作品が事実に基づいているかといえば、首を傾げねばならない。辻原登は、そんなに簡単に素の自分を語るようなタイプの作家ではない。

近松門左衛門の芸論を弟子が書き写した中に「虚実皮膜論」というものがある。高校生時代に古文で学んだ。虚と実の間にこそ慰みがあるといった内容のものであったと記憶する。本当ばかりを書いてもだめで、かといって嘘ばかり書き連ねても人を満足させることはできない。身体を覆う外皮(嘘)と剥き身の身体(真実)の間にこそフィクションの持つ妙味というものがあるといった話で皮膜と書いて「ひにく」と呼ばせるルビが振られていた。

辻原登は歴史的事実を丹念に掘り起こし周到に準備した材料の中に全くのフィクションを混入し、まるでそれが歴史上の出来事であったかのように虚構を創作する。その手際のよさは圧巻で、拵え物と分かっていてもついつい乗せられ、豊穣な物語世界を堪能させられる。辻原を読む愉楽はそこにある。今回は、その歴史的事実を自分史にしてみたというところか。

今回の自伝的作風もどこまで本当の話か分かったものではないのだが、それはそれとして、作家が自分を語り、自分の両親を語ることの意味について考えさせられた。小説家が描くのだから、事実であるはずがないのに、読者は語り口の上手さについそれを真実だと信じてしまうのだ。作家は作品の中で父を矮小化し続けてきたことに負い目を感じ(あるいは感じている振りをして)、本当の父の姿を描こうと試みる。それが表題作「父、断章」である。対になる「母、断章」と比べてもフィクション色の薄い自伝風の作品になっている。

泉鏡花の「葛飾砂子」を枕に、谷崎潤一郎と佐藤春夫の妻交換の逸話を引きながら、文豪ゆかりのバーで過去の女性を思い出す「夏の帽子」がいい。題名からすでに涼しげな夏服につばの広い帽子をかぶった若い娘の姿が想像される。それだけで胸がキュンとなるのは作家と同世代の読者だけだろうか。功なり名遂げた人気作家が、修行時代暮らしていた神戸での講演を無事やりとげた余韻に耽るうち、ずっと忘れていたかつての恋人を思い出す。甲斐性のない作家志望の青年を応援し続けた娘を、成功した男は見捨てて東京で妻を娶ったのだった。講演の翌日妻と合流した男はかつて娘と登った六甲山のケーブルの中で、過去の不実を悔いる。この感傷、どこかで味わったというデジャビュにも似た思いが湧いた。種を明かせば冒頭の泉鏡花だ。映画演劇では『瀧の白糸』として知られる『義血侠血』をはじめ、男につくす薄幸の女を描いた作品が多い。伏線に鏡花の名文の持つリズムを持ってくるあたり心憎い。

巻末に置かれた「天気」は、新宮を舞台に過去へと遡行する等身大の作家が登場し、この短編集の自伝性を色濃いものにする。雲ひとつない青空が一天にわかに掻き曇り、沛然たる雨を降らす。天気の変化が過去を呼び寄せる予兆となり、リアリズム小説が一気に幻想味を帯びてくる。余韻の残る結末にため息をついた。他に「午後四時までのアンナ」、「チパシリ」、「虫王」の三篇を収める。


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