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 2004/1/3 二番手

坂道を下りようとすると、見知った顔が車のウィンドウ越しに笑っていた。今年の春退職された先輩のKさんだ。この仕事に就いたばかりの頃、何かと世話になった人である。体力作りに近所を歩いているのは、妻から聞いて知っていたが、昔と変わらぬ温和な笑顔に当時のことを思い出した。

Kさんをはじめて見たのは、研究発表会場だった。渡された資料を見ながら特に何の変哲もないものと見ていた資料にある矛盾点を鋭く突く意見を出したのは、自分といくつも変わらないように見える若い人だったので、驚いて資料を読み直したのだったが、言われてみると、なるほどその通りで、発表者の着眼点の鋭さとヒューマニスティックな視点に新鮮なものを感じたのだった。

その後、ひょんなことから同じ職場で机を並べて仕事をするようになって、急速に親しくなった。実際には,かなり年上だったが、気さくな人柄に年の差をわすれ、すぐにため口をきくようになっていた。よく誘われて飲みに行ったが、どの店でも同い年くらいに思われていたのが癪だった。テニス、スキーとスポーツマンだったこともあり、見かけの若いこともあるが、年下の者にも先輩めいた言葉遣いをしないところが、周囲の人に同僚に見られる原因だったろう。こちらの言葉遣いも遠慮のないものになりがちだった。

そんなある日、重苦しい会議のあと、Kさんはぽつりとつぶやいた。
「ぼくは二番手ならできると思うんだ。はじめに手を上げるのは、苦手だが、正しいことだと思ったら、それを支持するために意見を述べることはできる。」
青臭い理想論を振りかざして息巻いていた頃の私は、今から見れば困った存在だったのだろうが、Kさんは、孤立しがちな若造に何かと声をかけてくれていた。

労働争議というものが、かつてはこの国にもあった。ピケだのストライキだのという話は小説ならともかく、もう身の回りからは消えかかっていた。一回り近く年の離れたKさんの口からは、そんな言葉が自然にこぼれた。いつも笑顔を絶やさない人の中にある、熱い思いのようなものがそんな話のおりにふと透けて見えるようだった。

クライアントの同席する会議の席上で上司の意見に真っ向からたてつくような形になってしまったとき、やはり支持してくれたのはKさん一人だった。筋はともかく、場所柄をわきまえない発言にペナルティが下され、その年の異動で私はその職場を離れたのだった。聞くところによると、飛ばされた私よりも、一人残された形になったKさんに対して風当たりが強かったらしいが、その後何かの機会に会うようなことがあっても、それらしいことを一言ももらさなかった。

退職される前、一度我が家を訪ねてきてくれたことがあったが、職場の若い人たちに思いの伝わらないことをさびしげに話されるのを聞いて、それまで感じたことのない老いを見たような気がした。その頃の私は、まだ意気盛んであったから、そう感じたのだろうが、今ではその気持ちは痛いほど分かる。人間がちがうから、さびしいとは思わないが、話して分かるものでもないという気になるのはたびたびのことで慣れっこになっている。

最初に口を開くのにも勇気がいるが、一人だけの意見は、異論として退けられることが多い。二番手につづく者がいて、はじめて全体の場のものになる。近ごろは、てんでに好きなことを言い合うばかりで、他人の意見に真摯に耳を傾け、その意をくもうという姿勢をとんと見なくなった。さみしくはないが、つまらないと思う。飄々と風の中を歩いていく後ろ姿を見送りながら、せめて今日だけでも、人の話を親身になって聞いてみようか、と考えている自分がいた。


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