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DAYS OF COPEN

 2005/9/19 伊吹山

久しぶりの三連休。一日くらいは遠出をしようと思っていた。妻が出してきたのは伊吹山ドライブウェイという案である。運転は妻がする。ロングドライブの経験を積んでおきたいという心づもりか。ここからだと225キロメートル、高速を使って約3時間というところ。少し遠いが、行ってみることにした。帰りに寄れるように温泉グッズも用意していざ出発。

高速で関まで行き、国道1号に乗り換えるいつものコース。鈴鹿峠を越え、水口まで出た。ここから日野まで307号で行くはずだった。ところが、標識通りに進むと、日野水口グリーンバイパスという有料道路に乗ってしまった。コペンは軽なので150円と金額は高くないのだが、普通に進むと有料道路に入ってしまう道路の作り方が気に入らない。

地図で確認すると平行して307号が走っている。有料道路の方も307号と標示されている。これでは先に出てくる道に乗って当たり前だ。ナビでも付いていればあらかじめ教えてくれるのだろうが、残念、そんなものは付いていない。ハイウェイカードの廃止もそうだが、ETC搭載車には不都合がなく、未搭載車だけが不利になるように考えられている。

アメリカ型の不平等社会がじわりじわりと押し寄せてきているようで実に感じが悪い。ハリケーンの被害でも車その他の避難手段を持たない低所得者層に被害が偏っていた。ナビやETCくらい付けるのは簡単である。それで便利になったと喜んでいるから、社会的弱者にとって住みにくい世の中ができてしまうのだ。車の買える高所得者層には高額の税を負担させ、自転車は無料で誰でも使用できるようにしているデンマークとはえらいちがいだ。

そんなことを憤っているうちに、八日市に着いた。ここから名神で関ヶ原まで。高速を下りたら、目指す伊吹山はすぐそこである。ガソリンが残り少なくなっている。どこかで入れておこうと思っているうちに料金所に着いてしまった。登って下りてくるだけの道である。普通車も軽も同料金で3000円というのはちょっと高すぎないかと思ったが、妻は昔からここのお花畑に憧れていたというのでUターンして帰るのはやめた。自分だけなら引き返していただろう。

ここまではトップを閉じて来たが、ここからはオープンで走ることにした。さすがに山の上、高度を上げるほどに風が涼しくなってくる。17キロほどの道のりだが、1300キロ級の山である。カーブを曲がるたびに下界が遠くなる。さらに頂上が近づくとガスが出はじめていた。駐車場に着いたころには、麓は一面の雲の中。何も見えない。何を撮るのか望遠カメラの砲列が晴れ間を待っていた。

頂上まではまだ少し歩かないといけないらしい。茶店の蕎麦で腹ごしらえをすませ、歩き出した。石段が整備されているが、かなりの登りで何度も立ち止まって休んだ。道の左右にお花畑が広がっているが、少し季節外れで、彩りに乏しい。止まると汗が噴き出してくる。ハンカチで顔を拭いながら歩いた。20分も歩いた頃ようやく頂上が見えた。

山頂にはたくさんの人が休んでいた。コッヘル持参で食事をしている本格的な登山者もいて、下から登ってきたのかと少し驚いた。せっかくの山頂だが視界は悪い。それでも皆屈託なく楽しそうだ。茶店もたくさんあって、にぎやかだ。帽子につける記念バッジを買った。妻はソフトクリームを注文していた。おじさんが、「どれにする?」と訊くので、メニューを見ると、「多目、ちょっと多目、ふつう、まあまあ」とあった。まあまあをたのんだら山盛りだった。
「これで多目だったらどんなのが来るんだろう」と、妻が笑いながら言った。

山を下りて、もと来た道に帰らず湖北に向かうことにした。ここまで来たら渡岸寺の十一面観音を拝んでおきたいと思ったからだ。数ある十一面観音の中でも、湖北渡岸寺の十一面観音はその美しさで群を抜いている。しかし、村の人が管理していて、鍵を開けてもらわないと見ることができないと本に書いてあった。それで、今まで二の足を踏んでいたのだが、ここまで来たら無駄足になっても一度は訪ねてみたいではないか。

ガソリンはほとんど底をついていた。最初に出会ったスタンドで給油をと思っているのにいっこうにスタンドが出てこない。道は山の中に入ろうとしていた。こんな見知らぬ地でガス欠というのはご免である。近くの店で車を止め、最寄りのスタンドを訪ねた。別の道に出るとあるそうだ。回り道をして給油することにした。これで一安心。もとの道に戻ってしばらく走ったが、やはりガソリンスタンドの看板はなかった。給油しておいて正解だった。

高月というところに渡岸寺はあった。駐車場に車を止め、少し歩いた。道の端には水門のある川が流れ、風情のある村だった。仁王門をくぐると、石畳の参道の正面に本堂が見えた。隣に建設中の収蔵庫が見えた。観音像はどこにあるのだろうか。本堂の脇に「拝観受付はこちら」という文字が見えた。どうやら拝観できるらしい。急いだかいがあった。拝観は四時までだった。やれうれしや、と心は勇んだ。

周囲に飛天の壁画を描いた本堂の中央に十一面観音は立っていた。光背の代わりに金屏風を配し、脇に大日如来と阿弥陀如来が控えているのは異例だが、観音像は国宝、他は重文ということで別格扱いらしい。寺の名は向源寺。渡岸寺というのはこの辺りの地名だったそうだ。同じ観音像が、ある本には向源寺、別の本には渡岸寺とある理由がそれで分かった。

檜の一木造りの像は光を浴びていながらなお仄暗い。姉川の合戦の際、焼失しそうになった観音像を村人が地中にかくまったという言い伝えがある。そのため、水分に弱い金箔が剥げ落ち、下地の漆が表面を覆っている。優美にくねらせた腰は細く、何とも言えない曲線を描いている。両耳近くに彫られた化仏のせいか頭部が心持ち大きくて女性的に見える。

今の本堂は、この十一面観音を収めるために造られたもので、まだ新しく欅の柱の木目も美しい。もとより信仰の対象であるのだろうが、その美しさに見とれて、つい美術品として鑑賞してしまう。新しい収蔵庫に移されると、今度は背後からも拝観できるようになるという。それはそれで楽しみでもあるのだが、コンクリート造りの新収蔵庫の中に安置された観音様はちょっと居心地が悪くなるのでは、と思われた。

開け放たれた小さな御堂の中には西日が差し込んでいた。畳が照り返す晩夏の日の光を受けた観音像の固く結んだ唇とは裏腹に下方に伸ばされた長い右腕が何か語りかけているようで、いつまでも立ち去りがたいものがあった。静かな里の気配はそれでなくても懐かしさに溢れ、子どもの頃のことなどがしきりに思い返されるのだった。

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