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 避難勧告補遺

台風一過とはよく言ったものだ。抜けるような秋空がもどった。北側の窓から見える桜の樹が、名残の風に枝を揺すぶられている。木の幹や枝は建物の陰になって陽が当たっていない。枝を透いた向こうの民家の屋根瓦は、秋の日をいっぱい浴びて強い光を照り返している。ざわざわと騒ぐ樹の枝とどっしりと腰を落ち着けた昔風の民家。その動と静、陰と光の対比があまりにドラマティックで、まるで映画のワンシーンを見ているようだった。

ドラマティックと言えば、昨夜の避難勧告は、高台に住む我が家にとってみれば、ドラマを見ているようなものだったが、洪水の危険をはらんだ川の流域に住む市民にとっては、他人事ではなかった。朝、仕事場に着くと、避難勧告に従って、近くの小学校に避難した同僚の話で盛り上がっていた。そういえば、海辺に住んではいても、彼女の家は昨日渡った川の近くだった。

自治体によって差はあるだろうが、滅多に避難など経験しないと思うので、参考までに彼女の話を要約しておこう。まず、避難場所は近くの小学校。住民のほとんどが避難してくるので、その数は何百人にもなる。体育館だけでは入りきらなかったのか、彼女の入ったのは音楽室。配布されたのは、真空パックに入った毛布で、これは新品だったようだ。地震があれば津波が想定される地域だから、その時の用意だったかもしれない。

食料は炊き出しがあると聞いて何も用意していかなかったら、ラップにくるんだおにぎりが一個だけ。飲み物は、と聞いたら、なかったそうだ。すし詰めの室内では子どもが騒いで眠るどころではなかったという。幸い、台風がコースをそれて、直撃を免れたので二次災害は回避され、深夜に避難勧告は解除された。彼女が早速家に帰ったのは言うまでもない。もっとも、避難する前に、一階にあった大事なものは二階に上げたというから、帰宅後は後始末で眠るどころではなかったろう。

それでも、家があったのだから、よかった方だ。土砂崩れの被害にあった家は言うまでもないが、床上、床下浸水の被害にあった家では、しばらくは復旧作業にかかりきりだろう。本流は、決壊を免れたが、支流は決壊し、濁流が窓の下まで迫っている映像をテレビで見た。自分の住む地域の近くで、こんな災害を見るのははじめてだ。実は最も被害の大きかった地区に自作の丸太小屋が建っている。それも心配だが、亡くなった人もいるというのに無人の小屋を見に行く気にもなれないでいる。

はじめての避難勧告とそれに従っての緊急避難。市にとっても市民にとっても得難い経験であった。時期の特定される台風はともかく、地震はいつやってくるかしれない。この経験を生かし、毛布だけでなく、飲み物や食料、それに長期化に備えてのメンタル面でのケアと、講じなければならない課題がたくさん見つかったはずだ。この経験をどう生かすかが、大事だろう。

余談だが、コンビニの弁当類はすぐに底をついたそうだ。道路の冠水で昨日の夕刊が今日届いたほどだ。デッドストックを極力減らし、時間単位で搬入しているコンビニに、食糧の備蓄や補充はあてにできない。すぐに買いに走ってきたのは、深夜まで作業に従事する消防の人たちだったという。何かと便利なコンビニだが、足腰の弱さは現代人に共通しているようだ。

 避難勧告

なんとしたことだろう。今年になってこれでもう八個目の台風である。エルニーニョ現象が原因だという説があるが、説明はともかく、アメリカ大陸ではハリケーンが猛威をふるっているし、中世の時代なら神が怒っているのではないかと誰かが言い出しても不思議ではないような自然災害のラッシュだ。

全市民に避難勧告が発令されたというFAXが入ってきたのは昼過ぎだった。市内を流れる一級河川が午後三時には警戒水域を越えることが予想されるから、というのがその理由である。職場は、市の中心部からその川を越えた海沿いにある。地震がくれば、津波の心配をしなければならないし、台風になると洪水の心配だ。ふだんは静かな農村風景に囲まれて心休まるところなのだが、自然に囲まれているということは、自然災害にも近接しているということである。

幸い川からは離れているが、堤防が決壊したり、橋脚が流されたりしたら、川向こうに帰れなくなる。中心部から通勤している者は気が気ではない。午後の会議をすっぽかしても帰りたいというのが本音だ。それとなくにおわしてみるのだが、上司は家が近いので、こちらの心配が分からないのか、仕事優先という構えを崩さない。そうこうしているうちに会議が始まってしまった。

会議中に、さっきのFAXが誤りだったという連絡が入ってきた。川の流域住民に向けての避難勧告をどこかの誰かが早のみこみして送信してきたというところだろう。しかし、事態は変わらない。洪水の危険性は去ってはいないのだ。しかし、こちらの心配を余所に天気の方は雨もやみ、薄日が射してきた。結局会議が早めに終了したので、明るいうちに帰ることができた。

橋にさしかかると待ちかねたように豪雨がやってきた。フォグランプを点けていても光が通らないようなもの凄い雨量である。日本一美しいと言われたこともある川だが、河川敷を飲み尽くした水はすっかり茶色の濁流と化し、護岸堤防すれすれまで迫っている。今までこんな水量を見たことがない。避難勧告がはじめて実感を持って胸に迫ってきた。

もともと日本最多雨地域を水源地に持つ川である。山の土が水を吸い込んで、少しずつ吐き出している分には水質のきれいさを誇っていられるが、秋雨前線が刺激され雨雲が停滞すれば、それ以上内部に水分を保っていられなくなった土は崩落の危険性が高い。流域の山に多いのは杉、檜の人工林である。常緑更新をする杉、檜は落葉樹に比べて落ち葉の堆積が少ない。スポンジのようにふんわりと足を包み込む腐葉土の層が薄いということは水を含む部分が少ないということだ。

山小屋作りをしていて分かったが、あんなに大きく育つ杉は意外に根を大きく深く張らない。密集して植えられた杉は、上の方で張り出した枝同士で互いを支えている。だから、斜面の一部が崩れたら、根は土をつかみきれず、支えを失った木は雪崩を打って倒れる。自然のように見えてはいるが、人工林ゆえの脆さがそこに潜んでいるのだ。人工林でも人の手が入っていれば、土地の様子は把握されている。ところが、輸入材に押されて売れなくなった国産の杉、檜の林は下刈りもされず放置され、山は荒れる一方だ。人の入らなくなった山は独りでに自然に戻りはしない。

たしかに災害は人間の力ではどうしようもないものかもしれない。しかし、原因を追及していけば、どこかに人間が見落としてきたことや、見ずにすませてきたことが見つかるはずだ。災害が起きれば、人命が失われ、救出には莫大な費用や労力もかかる。そうなる前に手を打つことがなぜできないのか。何度でも言うが、政治とは、治水に始まる。利権を争ってダムや護岸工事に公共投資をしてきた政治家のつけを払わされる流域住民はたまったものではない。

日本人が山や森に神性を感じる多神教の宗教的心性を持つ民族だという人がいるが、はるか昔はともかく、今の日本人にそんなものは見あたらない。目先の利益の追求に汲々として、自分を取り囲む自然や人為に真剣に眼を向けてこなかった。神が怒っているとは言わないが、自然の猛威に神性を感じ、謙虚に振り返ってみることまで斥ける気はない。

 ストライキ

小学生時代、放課後になると自転車にバットとグラブを乗せて、野球のできる空き地をさがして走り回った。その当時、運動会用の制服が巨人のユニホームそっくりの体操着だったので、特にチームなどと言えるものもなかったが、みんな運動用品店で作ってもらった背番号を背中に縫いつけていた。長嶋の全盛期で、背番号3をつけるためには、仲間にそれなりの実力を認められる必要があった。大洋の桑田、中日の森とその頃のホームランバッターの背番号も同じ。プロ野球名鑑をひもといて、使われていない選手の番号をさがしたものだ。

プロ野球選手はたしかに少年の憧れだった。そのプロ野球で史上初のストライキが行われることが決まった。近鉄が累積赤字に苦しむ球団経営を見限り、オリックスとの合併を決めたことがきっかけだ。選手会の意向を無視し、経営者サイドが出した結論は、二球団の合併を認め、来期はセ6球団、パ5球団の変則的な11球団でペナント・レースを行うというものだった。球団数が一つ減るということは、選手にとって働き口がひとつなくなることになる。労働者としては死活問題である。そこで、ストライキが決定した。よく分かる結論である。

かつての国鉄、私鉄をはじめ公務員のストライキも近頃では、とんと影をひそめ、景気が悪いという割には労働争議も行われないのが不思議だった。「ストライキはダサい」などという文言が朝日新聞にも載る時勢だ。しかし、古臭いとか、格好悪いという種類の問題ではない。ストライキをやりたくてもやれないというのが本当のところだろう。軒並みの不景気、リストラ、就職難にあえぐ時代、少々給与や待遇に不満があったとして、それを解決する手段にストを持ってきても世論の支援や共感は期待する方が無理。そうした判断がストを回避してきた。

そんな中、選手会のスト突入やむなしという決定に、大方の世論が好意的なのも不思議といえば不思議な話だ。高額年俸が経営を圧迫しているという事実もある。労働者とはいうものの、その実態は一般的な労働者とはかけ離れている。球界の盟主をもって任じる巨人の元オーナーの「たかが選手風情」という発言に対する反感も手伝っているのだろう。経営者側の不備を現場で働く労働者に回すやり口に対する不満もある。やりたくてもやれないストライキをプロ野球選手が替わりにやってくれる。いくつになっても憧れのプロ野球は夢の世界なのかも知れない。

ストはファンに対する裏切りだという批判もないではないが、フランスなどでは、空港職員のストライキが平気で行われている。観光客数世界一というフランスの空港である。迷惑を被るという点では、プロ野球の比ではない。要は、何を優先事項にするかということだ。ストの話題では新聞の一面トップを飾ることができても、プレイそのものでは、メジャーに移籍した選手やサッカーにすっかり水をあけられている。大事なことは、ファンに対する謝罪よりも、この勢いでプレイ自体の質を高めていくことではないか。


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