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Home > Library > Column >0408

 記憶

重慶で行われたサッカーのアジアカップ予選で、中国の観客が反日感情を露わにしたことがちょっとした国際問題化しているようだ。国会議員もよほど暇なのだろう、中国に抗議するべきだと息巻いている。中国側も、北京オリンピックをひかえているだけに、こういう問題で、ボイコットなどを引き起こしてはまずいという思惑もあるのだろう、めずらしく冷静な反応で警備を増やし、次の試合では、あからさまな反日的示威表現はなされなかった。

それでも試合を見ている限り、どこの国と試合をしても、日本が相手である限り、相手国を応援するという観客の気持ちは変わらない。日本チームは圧倒的なアウェイでの試合を運命づけられている。決勝は、いよいよ中国とあたる。ランキングでは、差があるようだが、フィジカルという点ではもちろん、メンタルな面においても脆さを見せる日本チームが、観客全員を敵に回して、どれだけヒール(悪役)に徹して戦うことができるのか、ちょっと楽しみではある。

靖国神社への首相の度重なる参拝が、反日感情を煽っているのではないかという記者の質問にに対し、「それだけじゃないでしょう」と、相変わらず軽くいなした首相だが、もちろん、それだけではない。南京大虐殺ほど有名かどうかは知らないが、重慶もまた日本軍によって無差別爆撃を受けた歴史を持つ。いくら、スポーツの場であっても、日の丸の旗が振られるたびに過去の記憶を呼び覚まされ、不快な感情を持つ人がいて不思議ではない。

オリンピックもそうだが、ナショナルチームというのは、国を背負って闘うわけだ。いわば代理戦争である。たしかに本当の戦争よりは、ずっとましだが、個人と個人の戦いですむような競技までも、国と国との競争にしてしまっている点は疑問である。サッカーなら、クラブチーム同士で争われる試合の方が、数倍見ていて面白い。パスの精度は高くなるし、息のあったコンビネーションプレイも堪能できる。わざわざ忌まわしい過去の記憶を墓場から引きずり出すような国歌、国旗のセレモニーで始まる競技というものを楽しむ気持ちにはなれない。

百歩譲って、国と国との戦いを戦いを楽しむことがあってもいいではないかという意見に与するとしたら、せめて、過去になしたことの謝罪は、誠心誠意なされるべきだろう。アメリカ大統領は、来日するたびに原爆慰霊碑を訪れ、深々と頭を垂れてほしい。日本の首相もまた、南京で、重慶で犠牲者の冥福を祈るべきだろう。少なくとも、ドイツは事あるたびに真摯な謝罪を繰り返してきた。過去を清算することはできないにしても、悔い改めることはできる。それをしてはじめて、「スポーツは平和の祭典」という言葉にもいくらかの真実味が感じられよう。

今日は八月六日。例年になくこの日の重みを感じる。

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