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 2004/6/18 隣の奥さん

隣には、今年小学校に入ったばかりの女の子がいる。近所の家も代替わりが進んで、昔からの顔なじみがめっきり減った。隣のノブちゃんとは、歳も近かったこともあって、よくいっしょに遊んだものだが、大学から帰ってきた頃には、どこかに就職したらしくて、家を出ていた。姉三人の下にできた跡取り息子のはずだったが、女三人がけっこう近くに嫁いだのに、唯一の男の子が遠くへ行ってしまって、おばさんはずいぶんがっかりしたことだろう。結局、息子のかわりに孫がお祖母さんの面倒を見ることになったらしく、若夫婦が引っ越してきたのは、もう十年も前になる。

曾孫のアンちゃんは、生まれたときからのつきあいだから、隣の家族の中でいちばんよくしゃべる。ママは、ガーデニングが趣味らしく、よく花の水やりに出ているので、顔を合わすことは多いのだが、無口な人で、めったに話すことはない。よくって会釈を交わす程度である。どうも、猫が苦手らしくて、当方が外に出ているときは、ニケがひなたぼっこをしたり、猫草を食べたりしているときばかりなので、余計に近づいてこない。一度、ニケがアンちゃんの指を引っ掻いたことも、警戒を解かない原因になっているはずだ。

帰ってきて妻に聞いた話では、その隣の奥さんが、こともあろうにニケのことを「可愛い」と言ったという。変わったこともあるものだと、よくよく話を聞いてみると、どうやら世間話のきっかけがほしかったようだ。近頃、小学校がらみで、困った事件が続いている。出身地はどこかは知らないが、夫婦二人ともが、この地区の人ではない。このあたりの学校の事情を聞きたかったものらしい。たしかに、我が家は祖父の代から続いている。息子二人も、近くの学校に通わせてきた。そういう話をするにはうってつけである。

とはいえ、子どもの小さい頃も今も、このあたりが、特にいい環境とも思えないが、特別に悪いとも思えない。おそらく日本中のどこの親でも、自分の地域については、その程度の認識ではないだろうか。あまり教育熱心な親ではなかったから、よくは知らないが、どうにかこうにか、卒業して上の学校に進んだのだから、そんなものだろうと思っている。何か事件が起きると、日本中が大騒ぎするが、しばらくしたら、どこもすっかりもとのままで、本質的な議論も起きなければ、解決策も提示されないのがこの国である。お茶を濁すというのはこういうことかというコメントと恐縮の姿勢だけを示して、噂の収まる75日をひたすら待つばかり。

ひとつだけ、自分が子どもの頃と徹底的に変わったなと思うのは、情報の問題だろう。知人の娘など、小学校三、四年の頃から、父親のパソコンをいじり、自前でHPを立ち上げた。一度、教えてもらったサイトをのぞいて驚いた。おとなしい子だとばかり思っていたが、HPの中では別人の観があった。担任やクラスメイトに対する遠慮のない批評がネット上の知人との間で行きかい、大人の井戸端会議などそれに比べればずいぶんうわべを取り繕ったものでしかないという感想を持った。今時の子どもの実態を見せられた気がして、二度と訪れる気にならなかった。

大人の知らないところで、子どもは育っている。自分の足下がどうなっているか現実の世の中をよく見もしないで、マスコミの流す情報や、狭い共同体が抱いている幻想に浸ってばかりいる大人は、名ばかりの大人であって、本当は、子どもの頃からひとつも成長していないのではないだろうか。一段高いステージに立っていないのだから、子どもの起こす事件に驚愕するのは当たり前である。目先の利益ばかりを追っかけて、本質的な問題に目を瞑ってきたつけが今頃回ってきたのかもしれない。

案外、子ども時代などというものを知らない何世紀か前の社会の方が、この世代のことについてはよく知っていたのかもしれない。子どもなどというのは、たかだか、ここ何百年の間に作られたものでしかない。大人の社会が歪んでいれば、子どもの社会もそれと同じように歪むのだ。かわいいアンちゃんを見ていると、そんなことを思いたくないという気はよく分かるが、子どもは小さい大人でしかないと思った方が案外すっきりするのではなかろうか。必要以上に子ども時代を神聖視する考え方は如何なものかと思うのである。


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