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 Wednesday 25th February 

咲いているのはイヌノフグリ。畦道のはしっこにしがみついたような枯れ草の間から、小さな緑の草がのぞいている。瑠璃色の星のような花がいくつもかたまって咲いているのを見つけると、ようやく本当に春が来たな、と感じられる。

ひと月前に通ったときは、荒れ地のようだった田圃に、いつの間に機械が入ったのだろう。平らに耕された土の上にこぶし大の土の塊がいくつもころがっている。あたりを見わたしても相変わらず人っ子ひとりいない。ペットボトルに鋏を入れて作られた風車が、ときおり吹く風を受けてカラカラと音立てて回っているばかりだ。

それでも、たしかにちがうのは、野面を吹く風のあたたかさ。遠くに見える集落の屋根瓦が照り返す日の輝き。はるか向こうの山並みをぼんやりと霞ませる水蒸気の層の厚さ。真綿を伸ばしたような薄雲の広がった空から、光はゆっくり微笑みながら降りてくる。その心地よさは、少しきまりがわるいくらいだ。

鋤き起こされた土塊に圧されたように、農免道路ぎわに蓮華が咲いていた。窒素固定に功があって、春の田畑を埋めつくした感のあった蓮華草だが、化学肥料の普及とともに農村からその姿を消していった。何年か前、奈良の明日香村が、日本の原風景を作ろうと、田植え前の田を蓮華畑にしようという構想を公にしたことがあった。

ところが、その構想はあえなく没になった。何故か。飛鳥時代の日本には、蓮華はなかったというのがその理由だ。日本の春といえば、菜の花や蓮華草を思い浮かべるが、その歴史は案外新しい。近頃では、休耕田に、観賞用の花の種を蒔いているところもある。何年かすると、蓮華畑も復活するのかもしれない。

 Tuesday 24th February 墜落

陸自のヘリ同士が空中衝突し、死傷者が出た。墜落したのが山の中であったことが不幸中の幸いであった。少し離れたところには町もある。人家の上に落ちたりしたら、それこそ大事件になっただろう。イラク派遣が決まって以来、世間の注目を浴びている自衛隊である。犠牲者には気の毒だが、被害者が内部にとどまったことで、正直胸をなで下ろしている関係者もいることだろう。

米軍のイラク攻撃がはじまった頃から、近くにあるヘリ基地の離着陸の訓練が以前にも増して頻繁になったことは、近くにいる者ならいやでも気づかずにはいられない。家の上を飛ぶたびに窓硝子は揺れ、がたがたと音を立てる。訓練用の標識か、色つきの煙を出して、空中を旋回するヘリの姿を幾度となく眼にした。

事故原因については調査中らしいが、墜落したAH1S(通称コブラ)は対戦車ヘリである。軍事評論家によれば、その訓練では地上15メートル以下の低空飛行ができる技術が求められているという。聞くところによると、二機のヘリが最も接近した場合、1メートルの距離にまで近づくことがあるという。車でもそうだが、車線変更をしようとしてバックミラーで確認するとき、あまりに近くにいるときは、かえって死角に入って見えないことがある。今回の事故も、地面や目標物に気を取られ、相手の機の位置を誤認したのではないかと考えられる。

違憲か合憲かの問題はひとまず置くとして、自衛隊の任務は専守防衛に限られているはずである。素人考えかもしれぬが、海という防衛ラインを持つこの国で、超低空で飛行する対戦車へりに出番が来るようなことがあれば、もはや戦争も末期的様相を呈していることになるのではあるまいか。

自国の空を飛ぶのであれば、レーダー網をかいくぐるための低空飛行でもあるまい。おそらく、訓練はあくまでも訓練という議論になるのだろうが、訓練は戦時、それも他国での戦闘を想定していると考えられる。首相は再三再四「自衛隊は戦争に行くのではない。人道的目的による復興支援に行くのだ」と、説明しているが、派遣される側にしてみれば、イラクは戦地である。いきおい、訓練も真剣なものにならざるを得ない。

マスコミも世論も、イラクの地での死傷者ばかりを気にしているようだが、戦争はある日突然起こるのではない。戦闘を想定しての訓練の段階で既にはじまっているのである。そういう意味では、二名の死者は戦死に準ずるものではないか。交通事故のような扱いですませていいものではないように思うのだが。

 Sunday 22nd February 車検

もう十年乗っている車を車検に出した。
「一日ですみますよ。日曜日もやってます。」という言葉を信じて、朝のうちに車を置いてきたのだった。夕方頃にはできているはずだったのだが……。

昼頃に電話がかかってきた。
「ブレーキオイルが滲んでるんですよ。このまま放っておくと、漏れてくると思うので……」と、要領を得ない。悪いところがあれば直してもらえばいい。そのための車検ではないか。わざわざ電話してくる理由がよく分からない。問題は、別にあった。今日中に車検が終わらないのだ。部品がないというのである。

たしかに民間車検場を兼ねるサービス工場は日曜日に開いているが、すべての部品がその工場に置いてあるわけでもない。まして、旧型の車ではなおさらだ。部品工場は日曜定休なのだろう。修理工場の方は日曜日に開けているから翌日の月曜日は休み。というわけで、修理のできるのは火曜日になる。悪いことに、月曜も火曜も出張が当たっている。それを避けての日曜車検だったのだ。

考えれば分かることだが、部品交換が必要な事態は予想の範囲内ではないか。それなら、日曜日一日でできるなどという安請け合いはよせばいいのだ。少しでも安いところを探して客が動くから車検も競争である。いい条件を提示しようという気は分かるが、それがかえってあだになったわけだ。

今さら、別の工場に替えるわけにもいかない。仕方なく代車を出してもらうことにした。大手のメーカーなら代車もレンタカーが準備されているところもあるが、小さいところは別だ。近頃は経費節減で、車の受け渡しのために来てもらうのに料金を徴収するほどである。当然、代車にいい車を用意する余裕はない。

用意されていたのはやはり軽だった。新しい車で、煙草の匂いのしみついていないだけまし、と思うことにした。コラムシフトは平気だが、ワイパーのスイッチが、同系列の車でちがうのは困りものだ。何度もまちがえてウォッシャー液を出してしまった。それより何より、足回りの頼りないのに閉口した。

ハンドルを切るたびに車の上体が微妙に左右に揺れる。たいした距離でもないのに、家に帰るまでに酔ってしまった。明日から二日、これで通勤するのかと思うと憂鬱になる。ふだん自分の乗っている車がいかに安定しているか、あらためて感じた。

十年も乗っていれば、飽きが来てもいいはずだが、車検に出すにはそれなりの理由がある。使い慣れた道具だけが持つ信頼感だ。ころころとシステムが変わるこのご時世である。十年前の車の交換部品があるだけよしとするしかないのかもしれない。

 Tuesday 17th February 行商人

富山の薬売りと言っても最近の若い人には何のことやら分からないだろうが、ドラッグストアなどというもののない頃には、けっこう頼りになる存在だった。急な発熱やら腹痛が起きたとき、今のようにどこにでも売薬を売っている店があるわけではなく、まじないに類した民間療法で気を紛らせておくのでなかったら、医者を呼びに走るしかなかった。

ちょっとした薬が家庭にあればどれほど便利だったことか。それに目をつけた富山の薬屋が、薬の行商を思いついた。箱に入った薬のセットを置いていき、年に一度、使ったものだけ交換し、代金を徴収していくシステムだ。紙風船のような小物を子ども用の土産にするなど、商い上手だったために全国に普及した。赤い色をした紙製の抽斗つきの小箱を覚えている人もいるだろう。

とっくの昔に廃れてしまったシステムだと思っていたが、「置き薬」ならぬ、「置き菓子」という商法が、けっこう繁盛しているそうだ。会社にちょっとした菓子をセットしたケースを置いていき、利用した人が百円程度の代金を箱に入れておくという、置き薬と野菜の無人販売をミックスしたようなシステムだが、意外なことに、男性社員に人気があるらしい。面と向かって菓子を買うのは恥ずかしいが無人なら買えるということか。

市内から隔絶した辺鄙な場所にある職場には、そんな洒落たものはない。そのかわり、本物の行商人なら来る。今日は、魚の行商が来た。少し離れた海辺の町からいつも来る人だ。干物や海苔佃煮などを職場の狭い通路に並べて、自分はひとり文庫本を読んでいる。

赤銅色に日焼けした顔には鑿で刻んだようなみごとな皺が何本も入り、海の匂いをぷんぷんさせながら、ひっきりなしに人の出入りする部屋の片隅で、いつ来ても泰然自若としている。声をかければ「めひびが美味いよ。今日はあおさも持ってきた」と、商売用の声も出すが、誰もかまわなければ、時間が来るまで、ずっと本を読んでいるばかりだ。

時代の変化に合わせて、コンピュータだの何だのと、次から次へと導入される新しいものに追いまくられ、いつの間にか自分が機械の一部になってしまったような気さえする毎日だ。魚を入れた籠こそ、青いポリバケツに変わったが、並べた商品の傍らで、静かに本を読み続ける老女は、何十年同じことを繰り返してきたのだろう。

老女の読んでいるのは、どんな本なのか、気にはなったが訊ねることもできず、会議のためにその場を後にした。時代がどれほど進もうと人の仕事というものに、何ほどの変化があるだろう。薬が菓子に変化するくらいが関の山だ。本を読む暇もなく、虚しい言葉を発し続ける毎日。老女の腰かける部屋の片隅に漂う空気の重さに何だか嫉妬めいた感情さえ覚えたのだった。

 Wednesday 11th February 有明の月

有明の月が西の空にぼんやりと浮かんでいるのを見て、イラクの空に架かる月のことを思った。阿倍仲麻呂が「天の原ふりさけ見れば」と歌った月と、変わらぬ月が、今も国命を帯びて異郷にある人と故国をつないでいるのだ。サマワに至る一本道で道を失い、一夜を明かした隊員達の目に、月はどのように映ったことだろうか。

さて、国会ではようやく自衛隊のイラク派遣が承認された。それでは、今までの自衛隊の行動は超法規的行動ということになるのだろうか。事実上の黙認ということだろうが、考えようによってはずいぶん危険なことをやっているものだ。国会における首相の答弁を聞いていると、法などは後からついてくるという考え方が透けて見えている。

憲法解釈が、時代によって変わることは当然あり得るという発言にも薄ら寒さを覚える。この人は、法によって、今の自分の立場があることを全然理解していない。現憲法下で議員になった以上、憲法の遵守は義務である。一国の首相がこうまで憲法をないがしろにする国を不幸にして他に知らない。

深夜、『謀議』というドラマを見た。ユダヤ人のガス室による虐殺を決定した密議を映画化したものである。ここでも、ニュルンベルグ法を守ろうとする法学者に対して、ナチス党幹部が、「必要なら法などいくらでも作ればいいではないか」という場面があった。ガス室は会議以前に既に作られている。ガス室での殺人も精神障害者に対して既に実施されている。後は、会議での意思決定という形がいるだけなのだ。

ドラマのなかで、親衛隊やナチス高官、あるいは軍部によってもたれた密議は、書類まで焼却される秘密会議であった。そこには、いくら上層部の命令でも、意図的に法をねじ曲げる会議は、公にするべきものではないという理性がはたらいている。

まず、先に逸脱がある。世論は高まるが、時間の経過とともに次々に起きる新たな事態に、かつての逸脱は不問に付されることになる。事態は深刻化する一方なのだから当たり前だ。次に来るのは、首相の言う通り、「かつてはPKOも憲法違反だと言う人がいた。今はちがうだろう」ということになる。

自衛隊のイラクへの派遣は戦時下にある他国への三軍の派遣という道を開くものである。既成事実の積み重ねによるなし崩し的改憲という常套手段には国民も慣れっこになっているのか、マスコミもあまり騒がない。首相の言葉は堂々とTV放映され、世界に流されている。

時代状況がどう変わろうと、自分を取り巻く周囲の思惑がいかに変化しようとも変わることなくはたらくものを「倫理」という。時代や、周りの変化に連れて変わっていくものもある。「道徳」も、そのひとつだ。今の時代、「道徳」はあるのかもしれないが、「倫理」は、どこをさがしても見あたらない。

 Sunday 8th Feburuary 大根

玄関の呼び鈴が鳴ったので、出てみると妻の友人のO さんだった。あわてて顔を出した妻に、半分ほど開けた玄関扉のすき間から
「よかったら食べて」
と、差し出した手には、レジ袋が握られていた。袋の上から大根の葉っぱが飛び出していた。
「本当に持ってきてくれたの。よかったらあがっていって。」
と誘ったが、これから行くところがあるとのことだった。

Oさんが、野菜を作っていることは妻から聞いて知っていた。岡山の人で、嫁ぎ先は、このあたりでは有名な神社の参道に面している。畑仕事のできるようなところはない。少し離れたところにある人の畑を借りての畑仕事は、この頃ではなかなかの腕前と近所の農家の間で評判になっているらしい。

とりたての野菜の新鮮なことや、作られた過程の分かる安心さは、よく知っているつもりだが、我が家の周りは犬走りまでコンクリートで塗り固められ、蟻の這い出るすき間もない。わずかなすき間にプランタを置いて、母が花を育てているくらいで、野菜作りは、とても無理。こうしてとれたての野菜をいただくのは本当に有り難い。

実は昨夜、妻から話を聞いたばかりだった。
「ねえ、よく耕してない畑にはね、小石なんかがあるでしょ。そうすると、大根なんかはそれにあたると、真っ直ぐ伸びられなくて、なんかこういうエロティックな形になるじゃない。」と、言いながら、妻は体をよじってみせた。

素人が仕事の片手間にやる畑仕事なのだから少々形が不揃いなのは愛嬌だと思うが、真面目なOさんは、腕前をほめられるたびに、そのことが気になるらしい。妻が見てみたいと言ったので、わざわざ持ってきてくれたのだ。しかし、あらためて見る大根は、太さといい、色といい、なかなかどうして見事なものだった。本職の農家の人がほめるのも分かる。

植物にとって、根を張ることは一大事である。だから先端部にある成長点が、何かの障害にぶつかると、危機回避のために成長点は二分割され、新たな活路を求めて伸びはじめる。二股に分かれた大根は、そういう意味ではエロティックというよりも豊穣のシンボルと解される。我が家の前の坂を下ったところにある神社の祭礼では、大きな二股大根が山車になって出たものだ。

Oさんが形のいいのを選んでくれたのだろう。残念ながら、あまりエロティックではなかったが、いかにも美味しそうな大根は、早速愛用のおろし金にかけて、みずみずしいところを味わおうと思う。その後は、ふろふきあたりか。生で良し、煮て良し、どうやって食べても食中りしないところからあたらない役者を大根役者と言ったとか。一本の中でも部位によって辛さの異なる味わいを持つ大根に対してずいぶん失礼な譬えではないか。

 Wednesday February 4th 立春

今日は立春、暦の上ではもう春である。そう言われてみると、二階の窓からながめる空の雲が、こころなしかほんわりと浮かんでいるように見えてくるから不思議である。春は名のみの風の寒さだが、閉めきった硝子戸越しに見る外の光景は、たしかに春が来ていることを感じさせてくれている。

アミエルは、風景は魂の状態を表すと言っている。風景が先にあって、春を感じさせてくれるので、何となくのどかな心持ちになるのか、それとも、めずらしく長閑な心持ちになっているので、風景が春めいて感じられるのか、そのあたりは微妙だが、ひとの感情と風景との間に何らかの相関関係があることだけはたしからしい。

昨夜は節分。豆まきも、いつからかしなくなったが、今でも、このあたりでは風習として残っているようだ。職場の同僚が、話していた。
「家内が言うんだよ。また、しばらく犬の散歩に手間取るって。なあにね。節分でまいた豆を、散歩に出るたびに犬が見つけては、あちらで食べ、こちらで食べして、なかなか歩かないんだって。」

そういえば、「鬼は外、福は内」とひとしきり家中にまいたあと、矢庭に外に出ては、同じ文句を唱え、玄関の戸をどんどんと三度ばかり叩いては、急に戸をぴしゃっと閉めてしまうのが、父の豆まきだった。私は、鰯の頭を柊の枝に刺したのを手に持ち、その後について歩いていた。「臭い、臭い」と呟きながら歩くのが恥ずかしかったのを覚えている。

なんでも、鬼は生臭い匂いや、柊のちくちくする葉が苦手だというので、そんなことをするらしいのだが、子ども心にも、強い鬼が苦手にするには、鰯の頭も柊の葉も、頼りないように思われたものだ。豆まきは、晩酌後、父の酔いが回ったあたりで、はじめるのが常だったから、「鬼は外」と、唱える声が大きくて、近所に聞こえるのが恥ずかしかった。

近頃では、形ばかりにまくばかりで、御利益もなさそうな豆まきになっていた。やはり、大きな声で、少し大仰にやる方が、伝統行事らしくてよいと最近では思うようになっている。あれで、案外気の小さかった父は、酒に酔った勢いを借りて豆をまいていたのではないだろうか。すっかり春めいた頃に、一つ二つ、部屋の隅で見つかる豆も何となく愉快な気分にさせてくれるものであった。

 Monday February 2nd 霧の朝

薄暮のような光が周囲をおおっていた。フォグランプを点灯し、前方を走る車の後尾灯を頼りに車を走らせていると、このままどこかへ行ってしまいたくなる。何があるわけでもない。特に仕事が嫌いだとか、出勤したくないとかいうのではなく、ただ、こんな時間が続けばいいと思うだけのことなのだが。

目的もなく、意味もなく、特に何を考えるのでもない。通い慣れた道を走るのに特に神経を使うことはなく、無意識に体が反応し、赤信号では足がブレーキを踏み、曲がり角では手がひとりでにステアリングを回している。自分などというものを忘れていられることの自由さ。

車のいいところは、外界と遮断されながら移動できるところだ。部屋に独りでいても、近所の物音は無遠慮に侵入してくる。それに第一、自分の部屋では、否応なしに自分であることが意識され、なかなかぼんやりもしていられない。かといって、見知らぬ土地にでかければ、それはそれで気をつかうことばかりだ。

京都にいるとき、瞑想用の部屋というものがあることを知った。なんでも、機密性の高い遮音材の入った壁で囲まれ、外部からの物音はおろか、放射線までカットするとのふれ込みだった。しかし、閉所恐怖症ではないが、外部から完全に遮断されている環境というのもそれはそれで落ち着かない。

そういう意味では、こちらから外を見ることができ、外からは見られることのない移動する車中というのは、けっこう落ち着ける居場所である。特に霧や靄のかかっているときは、こちらからも何かを見るということもない分、よけいに落ち着けるのかもしれない。

眠っているときでさえ、自意識からは自由になれず、日常と何ほども変わらない夢を見ている。漱石の『草枕』ではないが、知に働けば角が立ち、情に棹させば流され、意地を通せば面倒なことは知っているから、できるだけ避けるようにしてはいても、人と顔を合わせていれば、鏡に映るように自分の姿は意識せずにはいられない。とかくこの世は住みにくい。

かといって、転地や転職が気ままにできるものでもない身分としては、毎日、同じ顔をぶら下げて仕事に出かけていくしかない。霧の深い朝など、この霧に紛れながらいつまでも漂っていたいと思うのには、それなりの理由というものがあるのである。




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