■ 特別じゃない関係 6 ■





 カナギがカカシに会いに行った。還ってきたその足で。

 その事実は少なからずイルカに衝撃を与えた。そう遠くないうちに、そうなるだろうと分っていたはずなのに。 これで自分の役目は本当に終わったのだ。カナギが戻れば自分がカカシの元に行くことはなくなる。 
「そうですか…。あいつ元気でしたか?怪我なんかしてなかったかな。結構無鉄砲なところがあるから…」
「ん〜、大丈夫みたいでしたよ?ちょっと話してすぐに帰っていったけど…」
「…え?」
「だから、怪我なんかしてなかったって」
「そうじゃなくて!すぐに帰ったって、どういう事ですか?」
 数ヶ月ぶりにあった恋人同士が少し話しただけで帰るなんて、いくらなんでもないだろう。それとも彼女に何かまだ用事があったのか?
「どうって、別に…。なんか変なこと言った?」
「だって…普通泊まっていくでしょう。せっかく久しぶりに会えたのに…」
 カカシは少し考えて、そういうもんなの?と何でもないような声で言った。

 そう言えば、最初からちょっとずれたところのある人だっけ。

 イルカは初めて会った時のカカシを思い出した。恋人のはずのカナギの事にも、あまり関心を示さなかったのだ、この男は。 そうだ、それで変な風に正義感を振り回して、責めたことがあったっけ。あれはまだ、この気持ちに気付いてさえいなかった頃のこと。
「とにかく、やっと長い任務から戻って来れたんですから、カナギには優しくしてあげて下さいね。カカシさんの恋人でしょう? で、あいつが戻ったからには俺はお役ご免ですね。大して役に立たなかったかも知れませんが、色々と楽しかったです。 ありがとうございました」
 声が震えないように気を配るのに精一杯だった。イルカの言葉に、カカシが「え?」と言った顔でイルカを凝視していたのにも 気付かなかった。
「あ、そうだ。任務があったんでしたっけ。俺はもう大丈夫ですから、行って下さい。猿飛上忍をお待たせするのも何ですから」
「ちょ、ちょっと、イルカ先生。待ってよ、アンタ…」
 カカシの言葉を遮るようにイルカが言葉を継ぎ足す。
「本当に大丈夫です!ちゃんと大人しく寝てますから。任務、どうぞお気を付けて…」
 カカシが口を挟む暇もないくらい、早口でイルカは捲し立てた。どう思ったのかカカシはそれ以上何も言わずに渋々と帰っていった。 カカシに任務があって良かった。そうでなければカカシを追い返す口実もないまま居座られて、きっと余計なことを口走っていただろう。
 ふとカカシとカナギが並んで立つ姿を思い起こし、イルカは更に落ち込んだ。
 寝てしまおう。何も考えないで済むように。




 目が覚めたのは人の気配を感じたからだった。
 早くから寝てしまったために、一度覚めた後はもう眠気は感じない。仕方なくイルカは戸を開けた。そこに立つ人物が誰なのかなんて、 とっくに気が付いている。出来れば会いたくない人だったから、知らない振りをしたかったのに。どうしてこういう時ばかり自分は気が付いてしまうのだろう。
「悪かったわね、イルカ。寝てたのに」
「だったら俺が起きる前に帰ってくれればいいのに。起きるまで待ってるなんていい趣味じゃねえぞ」
「すぐに気付くと思ったからね。実際ほら、イルカは気付いて戸を開けてくれたじゃない」
 任務に就く前と同じ、親しみのこもった笑顔がそこにはあった。

「それで…こんな時間に尋ねてきたのは、何か話があるんだろう?」
 こんな時間と言うが11時を回ったばかり。決して人を訪ねる時間ではないが、真夜中と言う程でもない。
「まあね。カカシの事なんだけど」
 そんな事だろうと想像くらいついていた。
「まずはお礼を言っておくわ。私が居ない間、色々ありがとう。カカシに聞いたわ。無理矢理押しつけたのに、 手を抜かずにちゃんとあのバカの世話をしてくれて感謝してる」
「いいんだよ、そんなこと。俺も案外楽しかったし…」
 礼を言われる謂われはない。自分はカナギを裏切っているのだから。
「昨夜カカシに会いに行ったの。ねえ、信じられる?あいつが私にお茶なんか淹れるのよ。もうびっくりしちゃった」
 くすくす笑うカナギに、イルカも微かな笑顔を見せる。どうか気付かれませんようにと祈りながら。
「…変わった。カカシの奴、随分変わったわ。イルカもそう思うよね…」
「カナギ…」
「私は一応恋人にして貰ったけど、あんな風にカカシを変えるなんて出来なかった。でもイルカは簡単にカカシを変えてしまえるんだね…」
 ぽつりとカナギが零した。イルカは何も言えずに黙ったまま、時間だけが過ぎていく。
「お願いイルカ。もうカカシに会わないで。本当はイルカも分ってるんでしょう?カカシは無意識にイルカに惹かれているわ。 でも、好きなの…。カカシが好きなの…。誰にも渡したくなんかないくらい…」
 泣いてはいなかったけれども、その声が僅かに震えているのが分った。こんなつもりじゃなかったのに。 最初にカナギからこの話を受けたときは、こんな辛い思いをさせるつもりなんて微塵もなかったのに。
 軽々しく話を受けるんじゃなかった。
 今更な事を思いながらイルカはカナギの方に手を置いた。
「もう会わないよ。そんな必要もなくなるだろ?お前が戻ってきたんだからさ。やっと上忍様のお世話から解放されるな。 なあ、カナギ、確かに色々ズレてる人だけど、ちゃんと優しい人だから、きっと大丈夫だよ」
 自分はちゃんと言えているだろうか?声は震えてないか?ちゃんと笑っているか?
「…イルカ、ありがとう…」

 これでカカシと自分を繋ぐ細い細い糸も、完全に絶たれた。カナギを恨む気は全くない。全部自分が蒔いた種だ。 最初からどうする事もできないと分っていて、でも気付いてしまった気持ちはなかった事にも出来なくて。
「じゃあ、気を付けて帰れよ」
「うん、平気。おやすみイルカ」
「ああ、おやすみ」
「……あのさ、イルカ…」
「なんだ?」
「…何でもない。じゃあね」
 カナギが何を言いかけたのか気にはなったが聞き返すだけの余裕はなかった。再び床に就く気にもなれずに、 イルカはとっておきの酒で一杯やることにした。
 夜はまだ長い。




 それからのイルカはカカシを避けるように、受付から別の仕事に配置換えの申請を出した。どこも人手不足なのはいつもの事で、 イルカはなるべく手薄の部署を選んで申請を出したため、それは一発で通った。そことアカデミーの往復で1日は瞬く間に過ぎていく。 丁度夏休みも終わりアカデミーでの仕事も忙しくなる時期で、イルカにとっては都合が良かった。
 こうして何も考えずに仕事だけしていれば、いずれカカシの事は忘れられる…。
 自分でも決して本気で思っていない事を、何度も心の中で繰り返した。何度も何度も繰り返していれば、いつか本当になるかも知れない。
 こんなにも自分は女々しかったのかと嫌になるが、こればかりはどうしようもなかった。
 また運良くというか、カカシの方も立て続けに任務が入っているらしく、イルカの決心を鈍らせる行動を起す素振りも見られなかった。 一度猿飛アスマと偶然行き合って慌てて逃げ出した事があった。後ろから呼び止める声がしたが、イルカは足を止めなかった。

 そんな風に仕事に追いまくられる日がしばらく続いた後。
 ようやく一区切り着いて、イルカたちアカデミー教師にもそれなりに早く帰れる日常が戻ってきた。
「はー、ようやく落ち着いたなあ」
「定時で上がれる日も遠くないな。どうだ、今日あたり一杯」
「酒酒屋にでも行くか?」
 それも悪くない。イルカは同僚達と共にアカデミーを出た。アカデミーからもそう遠くない中華居酒屋は、量もあって味の割りに値段も安く、 薄給にあえぐ中忍教師御用達の店だった。大皿料理がメインなので、ここに来るときは大抵5〜6人で来る。人数が多ければ多い程、 一人当たりの出費が安くなるという具合だ。
 ガラリと戸を開けて中を覗くと、店はほどほどに混んでいた。それぞれが食べたい物を順番に注文していく。 メニューを見るイルカの手元が、ふっと暗くなった。何事かと顔を上げて、イルカはそこにいるはずのない人物を見いだした。
「…やっと見つけた」
「…カ、カカシさん…」
 どうしてここにカカシが居るのか?
「ねえ、この人に用事があるんだけど、借りていくよ?」
 カカシはイルカにではなくそこに居る同僚に向かって言い切ると、返事も待たずにイルカを連れ出す。 カカシに掴まれて引っ張られる腕が痛かったが、何も言えずにカカシのするがまま後に着いていくしかなかった。



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