■ 特別じゃない関係 3 ■
気まずく別れた翌日。
カカシの家を訪れると、珍しくカカシは起きてイルカを待っていた。
「だって、昨日怒らせちゃったでしょう?もしかして来てくれないかもって心配になって…」
照れたように笑うカカシに、こっちこそ申し訳なかったと謝って、二人でアカデミーへの道を歩いた。
たかが世話役の中忍を怒らせたからって、気にするようにも見えないのだが。それでもイルカはカカシの気持ちが嬉しかった。こうやって少しずつでいいから、人間としての正しい感情というか心配りを身につけていってくれれば…。そこまで考えて、はたとイルカは我に返る。身につけていったとして、それでどうすると言うのか。それはイルカには関係のない事だ。それを気にするべきなのは、恋人であるカナギなのだから。
なのにどうかするといつもカカシの事を考えてしまう。
きっと、こんなダメ人間にあったのが初めてだったから気になるんだ。大事な友達の恋人が、どうしようもない部類の人間なのが嫌なだけ。だから気になるんだ。
そう思おうとしても、一緒にいた時のさりげない優しさとか、ちょっと困ったように笑うカカシの顔だとか、人としてどうかと思うような言動の中に見え隠れする、放っておけない雰囲気だとか。
それらがこれでもかと言うくらい、イルカの中に溢れてくる。
「だってなあ、普通謝らないだろう。中忍ごときにさ…」
仮にも上忍。
考えれば、出会ってからずっとカカシは中忍であるイルカに対して、横暴に振る舞った事はなかった。上忍風を吹かして無理難題を言ったこともない。
「そういう意味じゃまともな人っぽいのにな」
なんというかアンバランスな人だと思う。
知れば知るほど好きになる…。好き…?
好きって…、だってあの人はカナギの恋人で…同じ男で、上忍で…。
駄目なところなんか数え切れないくらいある人で…。でも、良いところだってやっぱり一杯持ってる人だ…。
そうか、俺はカカシさんが好きなんだ。好きだったんだ…。
ストンと落ちてきた気持ちに納得すると同時に、やりきれなさを感じてイルカは苦く笑った。
カカシが好きだと気付いたってどうしようもない。
カカシには恋人が居て、その相手は自分の親友だ。自分はと言えば、その彼女に頼まれてカカシの世話を仰せつかっただけの顔見知りに過ぎない。どのみちカカシに気持ちを伝えるつもりはないし、そもそもカナギを応援しこそすれ、裏切る気など毛頭ない。
ただ、これ以上カカシとの距離が近くなるのは少し辛いと思った。
「イルカ、どうかしたか?なんか顔が疲れてんぞ、お前」
溜息をこぼしたイルカを、アカデミーの同僚が軽口で心配する。
「わるかったな〜、顔が疲れてて。別になんでもないよ」
まさか本当の事を言うわけにもいかず、イルカはさりげなく笑って見せた。それをどう感じたのか、同僚の男は思いきってと言う風に口を開いた。
「あのさ、はたけ上忍のせい、か?それ…」
「えっ!!」
イルカがはたけカカシの世話をしているというのは、アカデミーでは有名だ。カカシが職員室にやってくることもあるから。しかしここでその名を聞くとは思わなかった。
「いやだって、やっぱり上忍相手だと色々気を遣うだろうし…。何しろあのはたけカカシだろ。大変なんじゃないかと…」
そうだ。自分が体験したんじゃなけりゃ、俺もそう思っただろう。上忍の、あのはたけカカシだからって。
「違うんだ、はたけ上忍絡みじゃないんだ。悪かったな、心配させて…」
ある意味カカシ絡みには違いないが。同僚が思っているような意味じゃあない。
「そうか、ならいいんだ。まあ、あんまり無理はすんなよ」
カカシの事を考えていて午前中の授業は散々だった。うっかりミスの連続で子供達にも迷惑を掛けた。やれやれ、と昼食を取る。午後からは受付勤務だ。カカシは自分が居る間に報告書を提出に来るだろうか。
来ないといい。会いたくない。
来て欲しい。顔を見たい。声を聞きたい。
「はい、承ります。お疲れ様でした」
次々と提出される報告書に目を通し、記入漏れがないかをチェックしてお疲れ様と言葉を添える。多いときは列が出来る。それをてきぱきとこなしながら、イルカはちらりと時計に目をやる。針はすでに5時に近かった。6時になるとイルカの勤務は終わる。どうやらカカシは間に合わなかったようだ。
ほっとしたような、物足りないような、そんな気分だった。
「アンタ、ええと。イルカってのはアンタか?」
突然掛けられた声に驚いて、差し出された報告書から顔を上げた。目の前には大柄な、恐らくは上忍。
「はい…。そうですが」
「あ〜…カカシの野郎から伝言だ。今日は遅くなるけど良かったら帰らずに待っててくれってな…」
「…え?」
カカシの伝言?それをどうしてこの上忍が持ってくるのか。
「あのな…。ああ、めんどくせえ。あいつの任務と重なってる部分があって、それで途中まで一緒に行動してたんだ」
「…はあ…」
「あいつはもうちょっと掛かると思うけどな。ま、そういうこった。お前も面倒だろうが、よろしく頼むわ」
大柄の上忍は言うだけ言うとさっさと踵を返した。イルカは慌てて「お疲れ様でした!」と背中に声を掛けた。
カカシの伝言をどう受け取るべきだろうか?
本音を言えば、待っていたいのと帰ってしまいたいのと半々だ。はあ…、と何度目かの溜息を吐いて、イルカは手元の報告書に視線を戻した。
「猿飛アスマ…」
先程の上忍の名前に、なるほどと頷く。猿飛の、つまりは三代目の関係者だったのか。どうりでカカシの事を知っているはずだ。
結局カカシの言葉を無視して帰る気になれずに、イルカはカカシの家で主の帰りを待つ事にした。遅くなるなら食事は要らないだろうかと考えて、いつもどんなに遅くなってもイルカの作る食事を美味しそうに食べたカカシを思いだし、軽いものを作る事にした。
「イルカ先生、ただいま」
カカシが戻ったのは9時を回った頃だった。
「お、おかえりなさい。はたけ上忍」
いつもの遣り取りなのに、カカシへの気持ちを認識した後ではなんとなく恥ずかしい。
「どうかしましたか?イルカ先生」
「えっ…、なにがですか!?」
「なにがって…だって、なんだか…」
様子が違うような、というカカシのセリフはイルカによって遮られた。
「あの、はたけ上忍。その、何か用事だったでしょうか?」
「ああ…、それね。ん〜、なんとなく一緒にいたかった。って言ったら怒りますか?」
「……」
「あのですね。疲れて帰ってきたときに、イルカ先生がおかえりなさいって迎えてくれたら嬉しいなって思ったんですよ。単なる俺の我が儘ですね。イルカ先生には迷惑だろうけど…」
迷惑なんかじゃ…っ!!そんなの、ちっとも迷惑じゃない!!
心の中で叫ぶ。
だけど、その役目は本当は自分の物じゃないのだ。それも分っている。本来ならカナギがそうするべき立場なのだ。
何も言えずにイルカは唇をかみしめた。
「それにね。ほら、昨日休みに出掛けようって言ったでショ。あれ本気だから。だからその話もしたくてね」
「はたけ上忍…」
「うーん、あのねイルカ先生。それなんだけど…」
「はい?」
「そのはたけ上忍ってやつ。もうそれなりに付き合ってるのに、いつまでもそれってちょっとどうでしょう?いい加減名前で呼んで欲しいんですけどね?」
「えっえっ、えええっ!!」
自分でもびっくりするくらい狼狽した。
「ひどいイルカ先生…。そこまで驚かなくたって。ねえ、そろそろカカシって呼んで?」
呼べるかーーーっ!!
いや、そりゃ心の中では呼んでますよ。ええ、何度もね。でも、それを口に出すのは、相当勇気が要る行為だ。
「そ、そんな滅相もない…っ!冗談は止めて下さい、はたけ上忍」
「でも俺のことカカシさんって呼んでるでショ、イルカ先生」
「なっ…、なんで…っ!!」
知ってるんだ、この人が!
「イルカ先生、たま〜に寝言言うんだもん」
「…っ!!!」
なし崩しが嫌いなイルカは、どうしようもなく遅くなったとき以外はカカシの家に泊まる事をしなかった。それでも、どうしても用事が終わらなかったり、カカシに懇願されて話し相手として泊まったりしたことも何度かはある。
無駄に広い家だったので、客用寝室も選取り見取りだったが、カカシが一緒にいたがったので客用布団を二つ並べて同じ部屋で寝たりもした。今なら絶対出来ないことだが。どうやらその時に、寝言でも言ったらしい。
上手く言いくるめる事も出来ずに、結局イルカはそれを認めざるを得なくなった。
「わかりました…。じゃあ、ええと…」
「カカシ」
「カ、カカシさん…」
「はいvイルカ先生」
にこにこと嬉しそうなカカシを見ると、まあいいかと思えてくる。本当ならそんな簡単に認めていいものでもないだろうが。
「あ、そうだ。何か食べますか?簡単なものを作ったんですが…」
「はい、イタダキマス。イルカ先生のご飯は美味しいですからね〜」
そうして、今度の休みの話をしてからイルカは帰途に就いた。カカシは引き留めなかった代わりに、イルカの姿が見えなくなるまで表で見送ってくれた。
決してカナギの事を忘れた訳じゃない。
だけど、帰ってくるまで…。せめて、その間だけでも…。ほんの少しだけ、カカシと一緒にいる時間を許して欲しいと思ったのだった。