■ 特別じゃない関係 2 ■





 バサバサと頭上で羽音がしたと思ったら、一羽の小鳥がイルカの肩に舞い降りた。小さな白いそれは、カカシからの言葉を伝えるための伝書鳥だ。生きた鳥ではない。チャクラを練ることで形作られる忍び特有の通信手段だった。
 だが、普段里内でこれを使う忍びはいない。そもそも戦場だとか、遠方の任地から情報を里に伝えるときに使われる類のものだ。伝言を受け取るべき相手を、チャクラを練り込むときに一緒に情報として加える事で、敵に捕らえられても情報が漏れる危険を排除する事が出来るのだ。
 なのに、あの上忍ときたら…。余計なチャクラ使いやがって、こんな事のために。
 イルカはそっと肩の小鳥を撫でてやる。そうすると小鳥は満足して上忍の伝言をくちばしから滑らせた。
 どうせたいした事じゃないだろうとの予想通り、今回のそれは今日の帰りの時間を聞くためのもの。自分の任務も早く上がれそうだから、一緒に家に帰りましょうというたわいない内容だった。

 だけど、帰るってなんだよ。
 いったいいつから自分の帰る家は、はたけカカシの家になったんだろう。

 最初は確かにイルカはアパートに帰っていた。上忍の家に図々しく上がり込む度胸なんてなかったし、四六時中上忍と一緒にいるのも気詰まりだったし。
 だけど、あの上忍の怠惰な生活習慣が、それを許してはくれなかった。
 とにかく寝起きが悪い。上忍なんだから、気配に気づかないわけがないのに、何故か絶対に起きてくれないのだ。
 最初は嫌がらせかと思ったイルカだったが、どうやらあの男は本気で寝ているらしかった。
 どういう人なんだろう…。
 曲がりなりにも上忍。なにか思惑が…ある、かもしれない。あるだろうか…。ないかもしれないな…。どうだろうか?
 はたけカカシの事を考え始めると、時間が経つのが早い。アレコレ勝手に想像しては、片っ端から否定していく。
 気がつくと伝言を伝えた小鳥は、使命を終えて消滅していた。
 「ああ、いけない」
 早速イルカは、自分もチャクラを練る。その手から作られるのは、青い小鳥だ。
 馬鹿馬鹿しいとは思いつつ、「なんで返事を寄越さない」と拗ねる上忍の相手はしたくないからイルカもチャクラから作られる伝書鳥で返事をする。
 『今日は5時には終わりますから、買い物をして行きたいんです。それでもよろしければ5時過ぎにアカデミーの正門前で』
 よろしくな、と言って小鳥を空に放つ。羽音を残して小鳥はあっという間に見えなくなった。



 「イルカ先生!すみませんね、遅れちゃって…」
 ひょっこりと上忍が現れたのは5時を10分ほど過ぎた頃だった。普段家でゴロゴロしてる姿しか見てないせいか、この人が二つ名を持つ忍びであるという実感がなかなかわかない。変なところもあるけど、全体的に見てイルカはこの上忍を嫌いではなかった。
 「いいえ、はたけ上忍。このくらい遅れたうちに入りませんよ」
 カカシと付き合っているイルカの友人は、かなり時間にルーズだ。任務の時でさえ遅れてくることもしばしばだった。そういう事にはうるさいイルカは何度も注意したが、それでもカナギのそれはついに直らなかった。ここまでくると、返ってあっぱれだと思う。
 「カナギなんか、しょっちゅうでしたよ。それともさすがのあいつも、デートには遅れなかったですか?」
 「ん?デート…?デートって言っても別に何処に行くわけでもないしねえ…。家でやる事やるくらいのもんですから…」
 「……はあ?」
 やる事やるだけって…やる事って何だ?
 「…イルカ先生、それ本気で聞いてるの?」
 「え?どういう事ですか?」
 それこそ本気の瞳で見つめられて、答えを要求されるとは思わなかった。この中忍は本当に天然だ、とカカシは今時珍しいくらいウブな男を見つめた。
 「男と女が家でやる事と言ったらひとつです」
 「……あ!ああ、その、あの…えっと…そう、ですか…」
 真っ赤な顔をして俯く男を、どういうわけか可愛いなどと思っている自分に、カカシは首を捻った。
 (普通、この年でこういう態度とりゃあ、可愛いどころか気持ち悪いってもんでしょうが。なのになーんでこの男に限っては可愛いなんて思っちゃうんだろーうね?俺ちょっとおかしくないか?)
 イルカはイルカで友人の生々しい生活の一面に思いがけず触れてしまって、あたふたとしていた。
 (こっこの人の、こういうデリカシーのないところは大嫌いだー!)
 お互いがお互いの考えに没頭していたお陰で、相手の様子に注意を払わなかったのがせめてもの救いだった。
 スーパーに寄る頃にはなんとかイルカは落ち着きを取り戻し、カカシは訝しんでいたことすらきっぱり忘れ去った。陳列されている食品から、イルカが今夜はどんな物を作ってくれるのだろうと、それが考えのすべてになったのだ。
 いくつかの食材を買い、それらを二人で分担しながら持って家路を歩く。
 なんだかなあ、とイルカは思う。これで相手が可愛い女の子とかだったら、立派に恋人同士に見えるのに。
 「ところでイルカ先生。今度の休みにどこか行きませんか?」
 「…は?今、なんて…?」
 「だから休みにですね、どこかに遊びに行こうかって」
 今、なんかすごい事を聞いたような…。幻聴か?もしかして誰かの幻術結界に踏み込んだか?でもそんなものがあったら、この上忍が気付かないはずはない。と言うことは幻術じゃないし、もしかしたら幻聴でもないのだろうか?
 イルカは恐る恐るカカシの方を振り向いた。
 斜めの額当てに黒いマスク。いつも通りの上忍が、にこにことイルカに向かって微笑んでいた。
 「休みに、遊びに行こうって言いました?今…。幻聴じゃなくて?」
 「なんで幻聴なんですか。言いましたよ、ちゃんと。遊びに行こうかって」
 ひいっと心の中でイルカはわめく。
 「なんで、わざわざ休みの日に遊びに出かけなきゃいけないんですかっ!しかもアンタと!そんなまるで恋人同士みたいに!」
 「だって暇なんだもん。任務がない時は一日寝てるしかないかーらね」
 寝るのは好きだけど、せっかくアンタがいるんだから出かけるのもいいよね。と、何を考えているのかイマイチ分からない男が宣った。休日までこの男に付き合わなくちゃいけないのか?あまりにも理不尽だ!
 そう思っても、結局はこの男に付き合う事になるだろう。強引な相手にはとことん弱い自分の性格が、この時ばかりはちょっと煙たいイルカだった。



 家に戻ると、さっそくイルカは夕飯の支度を始めた。今日は酢豚だ。ちょっと時間が掛かるのでカカシには簡単な摘みとお酒を出しておいた。
 そう言えば、カカシは好き嫌いはあるんだろうか?まあ、あるとしてもいい大人なんだから食べられないわけでもあるまい。そう割り切って、イルカはさくさくと調理していく。今のところ、カカシから料理に対して文句が出た事はなかった。

 「お待たせしました〜」
 「あ、今日は酢豚ですね、ダイスキです」
 にこにこほくほく。
 自分の作った料理を美味そうに食べて貰えれば、誰だって嬉しいものだ。カカシの食べっぷりに気をよくしたイルカは、ちょっと気まぐれで聞いてみた。
 「はたけ上忍は、嫌いなものってあるんですか?それと好物とか…」
 「え、俺ですか?そりゃ〜ありますよ。俺は天ぷらが嫌いデス。で、好きなのはサンマとか…」
 「は?天ぷら…ですかあ?そりゃまた珍しいですね」
 イルカにとっては天ぷらは、そちらかというとごちそうの部類に入る。揚げたてのぷりっとしたえび天とか、さっくり甘いさつまいもの天ぷらとか。あの衣のサクサク感はなかなか素人には難しいが、それでもやってみると面白いし。なのに、あんな美味しいものが嫌いなんだ、この上忍は。
 それは損をしているなあ、とイルカは少し同情的な目で前に座る上忍を見た。
 それで好物がサンマとは…。もちろん脂のたっぷりのったサンマは美味しいし、イルカも好きだが。
 案外庶民派な上忍の食生活にイルカは好感を持ったらしい。今度いいサンマがあったら買ってこよう、とこっそり思った。
 「はたけ上忍はカナギの手料理も食べた事あるんですよね?俺はいまだにアイツが料理するってイメージが湧かないんですが、アイツの料理ってどうですか?」
 「うーん。どっちかって言うと外に食べに行く方が多かったですね。それでも何回かは作って貰いましたけどね」
 カカシの言葉を聞いてると、どうもカナギの手料理はイマイチだったようだ。確かにバリバリ仕事をするタイプの女だったから、こういういかにも家庭的な事は苦手だったのかもしれない。
 「帰ってきたら一番にここに来ますよ、きっと。そしたらサンマ焼いて貰って下さい」
 サンマを焼くくらいならカナギでも出来るだろう。
 「ん…、でも多分カナギは知らないと思うよ」
 知らないって、好物が何かをって事か?
 「…言わなかったんですか?」
 「聞かれなかったからね」
 それは違うだろう、はたけカカシ!相手が一切料理をしない人間でも、何かの雑談とかで口にするだろう、好物くらい。
 「…はたけ上忍は、カナギの好物が何か知ってますか?もしくは嫌いな物とかは…」
 答えは予想していたけど、聞かずにはいられなかった。
 「いーえ。聞かなかったし、カナギも言いませんでしたから知りませんよ」
 ………。この人はすごーくすごーく人間としてダメな人だ。
 というか、そんなのは最初にカナギからこの上忍に対する注意書きを見た時から分かっていた事だ。ただ、この男をとても好きなんだと言っていたカナギの心が悲しかった。
 きっとカナギはカカシから聞いて欲しくて、自分からは言わなかったのだ。少しでも自分を知って欲しかったはずだ。好きなら、好きなら当然の事なのに。
 この人には、そういう感情がないのだろうか?
 任務に行くときにカナギが言っていた「自分だけが好き」というのは、このことだったのか。
 なんだか涙が出そうだった。
 「カナギ…早く帰ってくるといいですね…」
 「ん?だって任務でショ、仕方ないよ。ま、今はアンタがいるから別に俺はどっちでもいいよ」
 その言葉にイルカは思わずかっとなった。
 「どういう意味ですか!?それってっ!カナギはアンタの恋人でしょう!なのにどうでもいいって、それはいくら何でもないでしょうがっ!恋人なら任務に就いてる相手を心配して、早く帰って来いって思うのが当然なのに!!最低だろっそれって!!」

 いくらカナギが古いつきあいの親友だからって、いつものイルカなら上忍相手にこんな暴言は吐かない。自分の中の訳の分からない感情に、イルカこそが戸惑っていた。
 けれど、カナギの事を考えるとどうしてもカカシを許せないと思ってしまうのだ。

 カカシはといえば。いつも丁寧で穏やかなイルカが怒鳴ったことにびっくりしていた。けれど、びっくりはしていても、何に対して怒っているのかはやっぱり分かっていなかった。

 気まずい雰囲気に耐えきれずに、イルカは早々に片付けると「今日は帰ります」とだけ言い置いて、さっさとアパートに帰っていった。
 カナギの帰郷予定までには、まだもう少しの時間が掛かる。
 気まずくても、明日もまたカカシの顔を見なくては行けない事実にイルカはこっそり息を吐いた。


 


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