■ 特別じゃない関係 1 ■





 初夏というにはまだ早すぎる、5月後半の夕暮れ時。
 目の前には必死の表情でお願いポーズをとる、元同僚の友人がひとり。イルカは深々とため息を吐くと、その元同僚の、 今では上忍となったくの一に質問を投げかけた。
 「なあ、カナギ。それ、本気で言ってるのか?」
 「あったりまえでしょ!大体ねえ、イルカ。あたしがあいつを口説き落として付き合うまでに、どれだけ時間がかかったと思ってるの!? なのに急にこんな長期任務を振られちゃって冗談にも程があるっていうのよ!」
 いや、それは俺のせいじゃないし。と、口をつきそうになったセリフは、賢明にも心の中でだけに留めた。
 「このままじゃ、帰ってきたら他の女の物になってるわ!そんなの許せない!」
 その言葉にイルカは首を傾げた。他の女の物って・・・だって好きで付き合い始めたのに、 ちょっと長期任務が入ったくらいで振られるものだろうか?それも年単位の任務ではなく、せいぜい2〜3ヶ月だろうに。 素直にそう聞くと、カナギは少し顔を歪めて「違うのよ」と弱く囁いた。
 「確かに付き合う事に了解は貰ったけど、多分好きなのはあたしだけ。あいつにとっては、あたしも他の女も同じようなものなの」
 なんだよ、それ!と怒ってはみたものの、カナギが納得しているのなら確かに他人のイルカが口を出す事ではないだろう。 それに、カナギはそんな程度の事でへこたれるような、殊勝な性格ではなかった。だからこそ、 いまここでイルカに無体な頼み事をしているのだ。
 「お願いよっ、イルカ!!こんな事イルカにしか頼めない!」
 だからと言って、聞ける頼みと聞けない、というか聞きたくない頼みがこの世にはあるのだ。
 「・・・だからってなあ。そんな事頼まれても・・・」
 嫌だし・・・ともごもごと口の中で反論を試みる。昔っから、このはっきりさっぱりとした性格の元同僚には好感を持っていた。 もちろん恋愛のそれでななくて、親友のそれに近いものだ。付き合いも長いし、気心も知れている。 だから出来ることなら、なんでも力になってやりたかったが。
 だが、これは・・・。
 「だって!やっと口説き落として付き合って貰えるようになったのに、任務が終わるまで放っておいたら絶対悪い虫がつくもの!」
 あいつ、とにかくやたらとモテるんだから!とカナギは一向に引く気はないらしい。
 「いや、だからってなんでお前の彼氏の面倒を俺が見るわけ?」
 「女に頼んだら取られるからに決まってるでしょ!いい、イルカ。とにかく頼んだからね!あいつ生活能力ゼロだからイルカだけが 頼りなのよ!」
 あたしはこれから任務の打ち合わせだから、と言うだけ言って去っていった彼女が残した物は、注意書きの付いた その男の家までの地図だった。




 がっくり、と肩を落としたアカデミー教師がそこには居た。そういう奴だよな、人の話は昔っから聞きゃしない・・・。 だが、いつまでもここに佇んでいてもどうしようもない。イルカは気を取り直してカナギがくれた地図を見た。
 「ええと・・・なになに・・・」
 とりあえず、その男の所に行って事情を説明しよう。カナギが言うように、男が好きでもないカナギと付き合うことを了承したのなら、 少し説教でもしてやろうとか思いながら。
 「そういえば相手の名前聞くの忘れた・・・」
 名前も知らない相手に、いきなり恋愛事を問いただすのもどうだろうかと思ったが、今更仕方がない。返って怪しまれるだろうな、 と頭の隅で考えながら地図を頼りにその男の家に向かって歩きだした。
 行きすがらカナギの書いた注意書きに目を落とす。
 「なっ!なんだ、これ!?『イルカへ。朝は必ず家に寄って起こす事。3度の食事の面倒を見る事。3日に一度は部屋の掃除をする事。 ため込む前に洗濯もする事・・・』って、これを俺にやれってのか?『放っておくと何もしないから、ちゃんと人間の生活をさせる事・・・』 人間の生活ってなんだよ、おい・・・」
 確かカナギの相手は同じ木の葉の忍びのはずだ。下忍では朝に弱いだなんて言ってはいられないだろうし、中忍の事ならある程度知っている。 それはもちろん全員くまなくとはいかないが、そんな生活態度の中忍の噂は聞いた事がない。 と言う事は、この凄まじく怠惰な生活をしているらしい人間は、もしかしなくても上忍・・・?
 少しだけ、木の葉の先行きに不安を感じたイルカだった。

 地図のとおりに歩いて、辿り着いたのはいかにも年代風な趣のある一軒家だった。一人で住むには大きすぎるその家を前に、 やはり上忍だなあ、と苦笑する。イルカは今六畳二間のアパート住まいだ。一間でもかまわなかったのだが、 ナルトがいつ来ても良いように少しだけ無理をした。
 まだ両親が生きている頃はイルカもこんな家に住んでいたものだ。一人で生きるために手放してしまったあの家を、 いつか買い戻すのがイルカの夢だった。かなり無謀な夢ではあるが。
 その家の前に立ちインターホンを押してみる。どんな男が出てくるんだろうか。



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 ドアからのそり、と顔を覗かせた男は奇妙な出で立ちをしていた。木の葉の額当てを斜めにして片目を隠し、 顔の大半をマスクで覆っている。家にいるからだろう、ベストは脱いでいて、高い背を少し猫背気味にして訪問者を眠そうな目で 見降ろしていた。
 怪しい・・・怪しすぎる。だが、イルカはすんでの所で悲鳴を堪えた。見たことも会ったこともないが、 こんな風体の男を噂で知っていたからだ。不用意にカナギの頼みを聞いたことを、イルカは心底後悔した。
 「何か用?」
 男の声は高すぎず、低すぎず。
 「あの、俺うみのイルカと言いますが・・・カナギをご存じですか?上忍のみずはカナギですが」
 男は唯一見せている片目を見開いた。それで、確かにこの男がカナギの言っていた彼に違いないと分かった。
 「ナニ?アンタ、カナギの知り合い?ここにはいないよ?」
 「知ってます。さっき任務の打ち合わせがあるからって言ってましたから」
 「ふうん?あー・・・、そう言えば何か俺の世話をどうとか言ってたけど・・・もしかして?」
 「そう、です。頼まれました。かなり不本意ですけど・・・約束だから、ちゃんとお世話はさせて頂きますね」
 ちょっぴり皮肉の棘を混ぜてイルカは挨拶をした。もちろん上忍にとっては、そんなものは痛くも痒くもなかったが。
 「じゃあ、今日から来てくれるの?だったら晩飯作ってくれると嬉しいんだけどな」
 まさか、そんな答えが返ってくるとは思わなかった。今日からなんて冗談じゃないと思ったが、 ここで一緒に食べていっていいと言われて思い直す。食費が浮くな、とつい考えたのだ。わかりましたと返事して、冷蔵庫の中身を確かめる。 それなりに材料は揃っている。だが、この上忍が揃えた物ではないだろう、もちろん。ここに来るときに、すでに陽は傾いていた。 今日はあんまり時間をかけずに出来る、簡単な料理ですませようとイルカは思った。
 台所に立って、てきぱきと調理する。男はそんなイルカの姿を、後ろからずっと見ている。 「繊細な」なんて言葉とは無関係だったイルカだが、ここまでじっと見つめられるとどうにもやりにくい。
 「あの・・・。そこで見張ってなくても変な物は入れませんから・・」
 「ん?やりにくい?でも、ちょっと我慢して。俺こういうの見るの好きだから」
 「料理を見るのが、ですか?」
 「ちが〜うよ。料理してる人を見るのが好きなの」
 その言葉の意味をどういう風に受け止めるべきか、イルカは少し迷った。 昔は自分も、母親が台所に立って料理するのを見るのが好きだった。料理は愛情のバロメーター。 美味い不味いではなく、その人を想って一生懸命つくる姿勢に愛情がこもるのだ。 両親を亡くした当初は、一切の家庭料理を受け付けずに苦労したものだった。イルカの為に料理をつくる母親を思い出させたから。
 もっとも、この上忍が言った言葉の意味はまた別物かも知れないが。

 夕飯のメニューはチャーハンと卵スープとサラダ。なんともお手軽なメニューだったが、上忍は気に入ったらしく嬉しそうに食べていた。 ついでと言ってはなんだが、洗濯物の有無を確認して、明日の朝食のための食材を冷凍庫からチルドに移して、お風呂に湯まで張ってしまった。
 はっと気付くと9時を回っていた。
 「俺って・・・」
 渋々だったはずなのに、なんでこんなに丁寧に世話を焼いてんだ、と自問自答する。だって、なんか放っておけなかったし。 それに家事は嫌いじゃない。動き回るのはどうやら性に合っているらしいのだ。
 いい年をした男が家事が得意なんて、誉められたもんでもないが。
 まあいいや。しょうがない、これが俺なんだし、と幾分気を取り直したイルカは風呂から上がったカカシに、 そろそろ帰りますと告げて玄関に向かった。
 「ちょっ・・・待ってよ、アンタ・・・えーと、イルカだっけ?」
 あわてた風で上忍が追いすがった。
 「はあ、なんでしょう?」
 「なにって。帰るってどういう事?どうせ明日も朝から来るんなら、いっそのこと泊まっていったらいいでショ」
 「・・・・・・・・・え?」
 「だって、面倒でショ。いちいち通ってくるの。ここは広いからアンタ一人くらい何日いてもいいから」
 確かに毎朝ここに通うのは面倒とも言える。出勤する前にここに来て、朝ご飯をつくってこの上忍を起こして、それから仕事・・・。 アカデミーでは、言うことをきかない悪ガキどもがわんさか・・・。そこまで想像してイルカは一気に疲れてしまった。
 「それは・・・確かにそうですが・・・」
 だからと言って、中忍が上忍の家にどっかり居候するのは、いかにもまずい。たとえ世話をする−−−言ってみれば家政婦のごとき 役割を仰せつかっていようとも、イルカの中の常識と照らし合わせれば「とんでもない」事だった。
 「中忍の俺が、上忍の家に居候なんて冗談じゃありません。とんでもないです。朝はきちんと来ますから!じゃあ、おやすみなさ・・・」
 さっさと帰ろうとするイルカを上忍は再び引き止める。
 「・・・・・・・・・」
 びっくりした顔でイルカはカカシを見つめた。なんでそんなに引き止めようとするんだ、この人?
 一方カカシはカカシで、自分の不可解な行動に内心首を捻っていた。なんで俺、こんな中忍を必死で引き止めてるわけ?

 ・・・・・・・・へんなの。

 奇しくも二人同時に心の中で、そう思った。


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