古市

「絵葉書によって振りかえる
『いにしえの伊勢』~古市かいわい~」
令和7年度 第27回前期特別企画展
2025/7/8 ~ 8/3

令和7年度 第27回前期特別企画展
「絵葉書によって振りかえる
『いにしえの伊勢』~古市かいわい~」展

目的

 日本では、明治時代から戦前にかけて絵葉書の発行ブームが起こりました。昔から一大観光地である宇治・山田を中心とするこの地域でも、神宮を中心とした絵葉書が発行されました 。これらの絵葉書は、参宮客が「お土産」として購入していったものです。従って、戦前の絵葉書をオークション等で簡単に入手することができますが、そのほとんどが三重県外から出品されています。本地域に限らず、全国各地の写真絵葉書は往時の日本の景観を探究するためには第一級の史料となります。
 今回の企画では、本資料館のある古市界隈をはじめ、伊勢の玄関口である山田駅、さらに主要な交通機関であった神都線の往時の姿を絵葉書を通して振り返っていきたいと思います。


場所

 伊勢古市参宮街道資料館 [ 地図 ]
 〒516-0034 三重県伊勢市中之町69
 TEL/FAX 0596-22-8410 TEL


期間及び開館時間

 令和7年7月8日(火)~8月3日(日)
 最終日は 午後2:00まで
 休館日月曜日(祝日の時はその翌日)


主な展示物

 絵葉書・パネル版・調度品など




「絵葉書によって振りかえる
『いにしえの伊勢』~古市かいわい~」展

備前(びぜん)屋

 この古市で最も早くから、そして衰えが顕著になりだした大正期まで、妓楼の代表格として名を馳せたのが、牛車楼こと備前屋であった。なぜ備前屋のことを牛車楼と呼んだかと云えば同家が、享保17年(1732)江戸中期に名古屋へ出店した時、高貴の人が牛車で来遊したのを面目とし、その記念にこの号を用いたということです。
 また、備前屋が伊勢音頭を始めた歴史は、古市遊郭中最も古く遠く寛永年間(1748~50)と云うから、今よりおよそ270年余りも前のことになります。また、寛永6年(1794)踊舞台で「せり上げ式」を考案したのも、5代目であるし、更には明治の先覚者として、数々の偉大な足跡を残した太田小三郎を輩出しています。
 備前屋はこの太田小三郎を似って、一応その妓楼としての永い歴史を閉じることになります。昭和20年の戦災まで在った備前屋は太田氏廃業の後、その名称を買い継いだのが岡本氏であった。
 志賀直哉の代表作「暗夜行路」の主人公、時任健作(ときとうけんさく)が、伊勢参りをした時に、伊勢音頭を観たのが矢張りこの備前屋であった。また高名な戯作者、式亭三馬に依頼して宣伝の配り本「伊勢名物通神風」文化15年(1818)を刊行するなど隆盛を誇り天保8年(1837)妓楼案内書でも、年少の奉公者から仲居までを含めると88名の名がみえます。現在は、バス停「テニスコート前」近くに「備前屋跡」の記念石碑が建つ。当館では備前屋が庭に祀っていた祠を初め重箱などの調度品などを展示しています。






山田駅前奉迎門(奉祝門)



 戦前の行幸・行啓の際には山田駅(現JR・近鉄伊勢市駅前に奉迎門が設置されました。

明治天皇行幸(明治38年)

 明治天皇が日露戦争後の平和克復の奉告のため、明治38(1905)年11月16日に外宮、17日に内宮へ行幸した際の奉迎門です。表面には明治38年11月17日の消印が捺されています。



広仁親王行幸(大正4年10月)

4年10月14日のスタンプが捺されています。宇仁館や高千穂館の様子から大正4年のものと考えられます。『伊勢市史』巻末年表によると、大正4年7月6日に裕仁親王ひろひとしんのう(後の昭和天皇)が両宮に参拝したとありますので、その時の奉迎門ではないかと推察されます



昭和天皇行幸(昭和3年11月)

 昭和天皇は、京都での即位式の後、昭和3(1928)年11月20日に外宮、21日に内宮を御親謁なさいました。
 『伊勢新聞』昭和3年11月16日条によると、菊花奉迎門は高さ五十五尺(約16.7m)で、正面と天井丈は全部黄菊で埋め、裏面と柱は各色の菊を配して美観を添え、紫色の菊は恰も瑞雲をかたどっているようでした。また、中央正面には燃えるような赤菊をで旭光をかたどっていました。