ぼくのことを心理学では


ぼくは日頃みなさんに
割と気軽に使われますが
ぼくは単純なほど意味深く
限りない複雑に中にいるのです

ぼくは
控え目であったりでしゃばりであったり
皮肉屋で頑固者で
几帳面で短気であったりします

自分で責任を取りたいぼくも
責任転嫁を簡単にやってのけるぼくも
みんなもぼくです

ぼくには
いろんな芸当ができて
一卵性の双子に
別々の場所を与えてもらえれば
牧師と犯罪者に分けることだってできます

日本人と外国人にだってすぐなれます
日本人的でいる時は
すぐ相づちを打ちたくなって
隣の人と一緒のことをしたくなります

ぼくは
価値観にも興味があって
幸せ具合をいろいろ集めています

ぼくは
人という生物のいるかぎり
良くも悪くも豊かさの元となって
場面場面に登場します

あれやこれやで
ぼくは
どこから生まれてどのように育って
何かの拍子で変わってしまうこともあるので
さっぱり自分がわからないのです

ぼくのことを
遺伝子と環境と教育と
ある出来事との
化学反応のエネルギーだという人もいますが
ぼくのことを心理学では
『性格』といいます



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作品の裏側( ぼくのことを… )


 

「性格という人物」を「ぼくという人物」に置き換えて、遊んでみました。

 性格は、どのように決まり、変わっていくのでしょうか!
良い性格とか悪い性格というのは、自分を中心に誰かを見て思うことであって、自分自身は誰もが皆、良い性格だと思っているんじゃないでしょうか?
 自分のことは、判らないものです。

 頑固者は、一方では一途な性格であり、陰気だと言われる人は、物静かで慎重な性格であったり、引込思案もある日突然、何かに突き動かされ豹変します。

 「自分が嫌いなせいかくの人にも、良い性格はあるものだ。」とこの文を締めくくりたかったのですが、好きになれない性格が、あるんです。 これが!

   修行が足りません。



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