caravan serai

 
モザイクの舗石道

  地中海文明の遺跡 EFES

 トルコの住宅建築

トルコを旅していると、建築途中の家やビルがやたら目に着く。道路に面した所だけでも目立つのだからそれ以外の所を含めたら、相当数あるだろう。トルコが今好景気に沸いているわけではない。その逆だ。訪れた町々で、地震の爪痕を目にすることはなかったが、国家経済には深いダメージを与えたようだ。 しかし、建築が途中で止まっているのは資金難の所為ばかりではない。特に、個人住宅の場合は。

トルコの人は、実にゆっくりと時間をかけて家を建てていくらしい。日本のようにすべての資金が貯まるまで何も手を着けないのではなく、少しずつできるところから始めていくので、建築途中で放り出されたような建物が目に着くのだ。余裕ができて資材が手に入るなり、人手が集まるなりすれば、し残したところに手を入れていく。それがトルコ流だ。そんなわけで、作りかけの家をいくつも見ることができ、トルコの家作りの様子がとてもよく分かった。

基本構造は鉄筋コンクリートだが、相当大きな建物でも、使われている鉄筋はかなり細い。しかも壁全体をコンクリートで作るのではなく、要所要所を鉄筋コンクリートの柱で支え、大部分の壁は、ハニカム構造の煉瓦を敷き詰めていくのが主流らしい。その後で外側にモルタルを塗ってしまうので、できあがれば立派な鉄筋コンクリートのビルに見えるが、建築途中のそれは、壁を透して向こうの空が見えるほどだ。コンクリートを流すための木枠を支えるポプラの木もやけに白く細長いのも手伝って、なにやら心細く見えてくるのである。地震が来たら一溜まりもないな、というのが正直な感想だった。

 イズミール

イズミールは、丘の上まで高層建築が立ち並ぶ大都市である。イスタンブルも大きな街だが、新市街であってもどこか風格を感じさせる建物が多い。それに比してイズミールは、よく言えばモダン、悪くいえば無個性な建築に覆われていた。大きな河が流れ込んでいるが、工場排水の所為ですっかり汚れ、悪臭が漂ってくる。

この日のホテルは、街の大通りに面した四つ星。ホテルの中にハマムもあった。ハマムというのは語の真の意味でいうトルコ風呂。男性マッサージ師が蒸し風呂の中で、垢擦りや揉み療治をしてくれる。30分で10ドル程度。市中のハマムにでかければ、もっと安いはずだ。無論ホテル内のハマムはマッサージなしで、蒸し風呂に入っているだけなら無料である。

トルコ料理の話をしよう。フランス、中国と並んで世界三大料理の一つといわれていることは、旅行前に初めて知った。期待していたわけである。もともと、どの国に行っても日本食が恋しくなったりはしない。これまでも行った先々の料理を充分に楽しんできた。結論から先にいえば、トルコの料理は美味しい。ただ、こうした旅行では、夕食をホテルで摂ることが多く、何日もいると、出る料理が似通ってくる。生野菜なら、まず、トマト、胡瓜、そして西瓜。どこに行ってもこの取り合わせだ。もちろん今時の日本の野菜と比べれば、格段に美味いし安い。が、毎日だとその感動も薄れがちになる。肉は、羊肉を主として鶏肉や牛肉を煮込んだものが多いが、見かけほど脂っこくもしつこくもない。料理の品数が豊富で、たくさん用意されたものから自分の好みのものを採ることができるのもうれしい。サフランを使ったライスは、スペインのパエージャと並ぶ美味しさである。しかし、一番のおすすめは、街角や屋台の食べ物。それについては、また別のところで。

 エフェス都市遺跡



朝イズミールを出て、南にあるエフェスの都市遺跡に向かった。その途中、キリストの死後、マリアが余生を過ごしたと伝えられる家に立ち寄った。キリスト者にとっては聖地なんだろう。山中の小さな家にも関わらず、何台ものバスが停まり、大きな土産物屋も賑わっていた。妻は、羽根グッズ愛好家の長男に受胎告知のイコンを買った。大天使ガブリエルの翼を長男もきっと喜ぶに違いない。

トロイ遺跡と同じく、今ではここも海からはずいぶん離れてしまったが、かつては地中海沿いの天然の良港に恵まれていたため古くから都市国家として発展してきた。聖母マリアが近くで余生を過ごしたといわれたり、クレオパトラが訪れたという記録が残ってたりするのもこの街が当時勢力を誇っていた証であろう。

 勝利の女神ニケ

遺跡の中はかなり広い。浴場跡や、アゴラの跡を横目に通り過ぎ、道がそこから少し下りになろうとしている処にいくつかの石像が建ち並んでいた。ローマの独裁官メミウスの首のない彫像と向かい合う位置にそれはあった。勝利の女神ニケの像である。

この像に対する思い入れは特別な物がある。我が家の猫の名はニケ。長毛種の白い牝猫で、拾ってきたとき頭の上に数本の黒い毛が混じっていたところから、三毛ならぬニケという名をつけた。仔猫のくせに毛は長くて、何日の間彷徨っていたのか、泥と自分の排泄物で、絡まりあった毛はフェルトのようになっていた。すぐに風呂場で洗い、タオルで水気を取った。膝の上に乗せ、ドライヤーで乾かしながら、指で少しずつほぐしていった。どうしようもなく絡まったところは鋏で切り、ブラシが通るようにした。少し縮れた腹の毛が一番ほぐし難く、全部きれいにするのに数日かかった。自慢じゃないが、人間のためにこんなに尽くしたことは今までなかった。女神たる所以である。

 大理石の道と公衆トイレ

道は少し下りながら、セルスス図書館の方に続いている。白っぽく見えているのが大理石で、縞模様のようになっているのは、滑り止めに波線状に刻みを入れた部分である。この道を、アントニーとクレオパトラが手をつないで歩いたのだ。通りの右側には、トラヤヌスの泉や、ハドリアヌス神殿が並び、左側には商店が軒を連ねていた。その前に、見事な模様に様々な色石をモザイク状に敷き連ねた舗石道が残っている。美しい街を作ろうという意気込みが伝わってくる素晴らしい細工である。

最盛期には道路の上には木製のアーケードが設けられていたともいうが、至れり尽くせりなのはそれだけではない。少し道から外れたところに壁に囲まれた施設がきれいに残っていた。木製の屋根こそ失われていたが、水洗式の公衆トイレである。便器の前にも手洗い用の水が流れ、中央には香りの佳い花を浮かべた池まであったという。

素朴な疑問がある。このトイレが作られたのは1世紀だという。それなのに、どうしてベルエポックの時代、ベルサイユ宮殿にトイレがなかったのだろう。また、ロンドンでは、窓から街路に汚物を捨てるのでペストが蔓延したというが、なぜ、水洗トイレが作られなかったのだろうか。ヨーロッパ文明は、ギリシャ・ローマの文化から始まると聞かされてきたが、どこかで断絶があるのかもしれない。『ガリア戦記』によれば、カエサルが攻撃していたガリアが、今のフランス辺りになる。そのころのフランスは、ローマ文明の恩恵を受けてはいなかったのは確かなのだが。

 セルスス図書館

坂道の途中で、この建物を目にしたとき、思わず息を呑んだ。正直なところ、国家の財政や国民の気質というものもあろうが、有名な遺跡にしては、これまでに訪れた遺跡に、満足に残っているものが少ない。歴史的に見れば、ローマの支配が終わった後、セルジュク朝やオスマントルコの支配を受けたことで、これらの遺跡が荒廃したことにはやむを得ないといえる。その後の発掘復元の作業も他国籍企業をスポンサーにしているようでは、めぼしいものは本国に持っていってしまわれる。現に、図書館の壁を飾る「高潔(アレーテ)」の像はレプリカで、本物はウィーンにあるというではないか。

しかし、そんな中で、この図書館のファサードは見る者を感動させる。その時代の人々が、書物(といっても、パピルスや羊皮紙を巻いた巻物だが)というものを如何に大切にしていたかが伝わってくる、堂々とした建築ではないか。蔵書数は1万冊(巻)を越えたというが、建物の中に入ると意外に狭く感じる。屋根がないことがそう感じさせる原因なのかもしれない。おそらく壁一面に天井まで続く棚が設えられ、長い梯子のようなものを使って、出し入れしていたものでもあろうか。262年にゴート人の襲撃を受けて焼失したというが、アレキサンドリアの図書館が跡形もない今となっては、仮令、空っぽであっても、この図書館の現存していることは後世の愛書家への大きな贈り物である。

面白いのは、この図書館には秘密の通路があって、そこから娼館に道が通じていたという話である。なんでも他の都市国家からの賓客をもてなすため、街の重要人物の奥方たちが、娼婦と偽って、接待にこれ努めていたという。市民にはそれと悟られないよう、図書館に通うと見せかけて秘密の通路を通って娼館に入ったのだ。なにやら妖しい話である。

大理石でできた広い街路が、真夏の光を受けてまぶしく輝いていた。その通りの向こうに、世界一の大きさを誇る野外劇場が山の斜面いっぱいに広がっていた。音響効果が素晴らしく、舞台の中央でコインを落としても客席上部にまで反響する。「パンとサーカスの時代」、ライオンと剣闘士が戦ったこともある劇場には、猛獣を入れておいた部屋が残っていた。そこを通り抜けると、かつての港に通じる道に出た。世界七不思議の一つ、アルテミス神殿跡はそこから歩いてすぐだった。今では、柱が一本立っているだけの廃墟である。うら寂しい風景だった。この荒れ地が、「バビロンの架空庭園」と並んで世界七不思議の中に入っているのが何より不思議だと思った。存在しない方が美しいものもあるのだ。  

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last update 2001.2.11. since 2000.9.10