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garage147

 2008/8/26 京都

新名神が開通して京都が近くなった。いくら近くなっても休日は混雑するだろう。
週日に休みがとれたら一度行こうと思っていた。
今年の夏、前半は猛暑で、フライパンの底のような盆地の町に出かけるのは剣呑だった。
ようやく涼しくなってきたかと思うと今度は天気が悪くなるから皮肉なものだ。

京都まで130キロ程度。高速道路なら一時間ちょっとで行けるからすごい。
ETCの割引を使うため100キロになる直前の土山で一度ゲートを出て、もう一度高速に乗り直す。
ちょっと面倒だが、時間帯によって半額というのだから利用しない手はない。
肝心の新名神だが、片道3車線あれば、追い越しにやっきになることもなく、マイペースで走れる。
147も快調で出口の京都東I.Cまではあっという間だ。10時半には京都に着いていた。

行き先も何も考えていなかった。まずは、イノダで珈琲を飲もうとナビに入れた。
京阪三条から川端を通り御池通へ。市役所前に、以前はなかった噴水ができていた。
イノダの本店は高田渡の「珈琲不演唱」にもあるように「三条堺町」。京都の中心地だ。
これまでは、最寄りの停車場から歩いてきた。車で来るのは初めてなので駐車場が分からない。
民間の駐車場に停め、店まで歩いた。指定した禁煙席は中庭のテラスに面したソファの席。
ここは見覚えがあるが、入り口付近にも席が設けられ、なんだか以前より広くなった気がする。
それでも、次から次へと客が来て行列ができていた。確かに老舗だが、たかが喫茶店ではないか。
行列せずとも別の店に行けばいいだろうに、と思ってしまう。

妻が高麗美術館に行きたいというので電話帳で調べる。番号入力でナビに案内させようというのだ。
京都は細い小路で区切られ、一方通行が多いので、車で行くには注意が必要である。
せっかく一般の駐車場に停めたので、近くにある「あすたるて」という古書店を訪ねることにした。
小雨の中を歩いて、やっと探し当てたのに、残念ながら昼からしか開店しないという。
あきらめて妻の猫グッズ収集につきあうことにした。新京極はすぐそこだ。

ところが、そこにあったはずの店がなくなっていた。観光客相手の新京極は店の出入りが激しい。
駐車場に戻ろうとしたら雨脚が強くなってきた。雨を避けようと、アーケードのある錦市場を歩いた。
昔懐かしい八百屋や魚屋が軒を並べるここはいつ来ても美味しそうな物が並んでいる。
有次という調理器具の専門店をのぞいていると、隣から「ここにあった!」という妻の声がした。
新京極から移転した店を偶然見つけたのだ。大喜びの妻が何点も買い漁ったのはいうまでもない。

駐車場の近くに明治期の洋風建築で知られる京都文化博物館という建物がある。
一階は見学無料と書いてある。トイレも借りたかったので、入ってみることにした。
たしかに立派な建築だが、小さなギャラリーがあるばかりで、これだけ?と思っていたら、
トイレ近くに新館に通じるドアを見つけた。ミュージアムショップに続いて、博物館のフロント。
その向こうに洒落た料理店が並んでいた。ちょうどお昼の時間になっていた。
行きつけのレストランは閉店していたので、京都らしく和食にすることにした。

木屋町に鳥彌三という老舗の割烹料理店があるが、そこが博物館内に支店を出していた。
鳥の照り焼きを中心に一口大の小鉢がたくさん並んだ御膳は目も舌も愉しませてくれる。
妻は美味そうに麦酒を飲んでいるが、こちらはぐっと我慢。子どもが就職をし、ニケ番がいなくなった。
日帰りの旅しかさせてやれない。せめて旅行気分ぐらいは堪能させてやりたいではないか。

車に戻り、美術館の電話番号を入力すると、早速ナビは案内をはじめた。烏丸通りを走り出すと、
ふだんはどこを走っても同じような標示なのに、目の前の建物と同じCG画面が現れたのには驚いた。さすがに京都は都会である。烏丸今出川で左折し堀川通りを上がっていく。
学生時代、何度も通った道を愛車で走るのは、ちょっと感激。

高麗美術館は、小さいながらも朝鮮美術の銘品を集めた美術館である。妻は李朝白磁に目がない。
高麗青磁を中心とする展示だったが、中に李朝の銘品を見つけ、すっかり満足した様子だった。
中でも心に残ったのが、日本では「秋草手」と呼ばれる独特の意匠が印象的な梅瓶。
当時はコバルトが貴重だったため、細筆でさっと描いた草花がいかにも儚げで興趣に富む。
いちばん行きたかったところに行けたので、妻は今回の京都は「もうこれでいい」という。

「あなたはどこに行きたい?」と聞くので、浪人時代に下宿していた下鴨あたりを訪ねることにした。
あれから京都には何度も来ているが、名所旧蹟には行くことがあっても、特に何があるでもない、
ただの住宅街をわざわざバスやタクシーで訪ねることはしなかったからだ。

下宿のあったのは鴨川にかかる出雲路橋の東詰め。静かな住宅街である。
記憶にある小路を曲がってみると、下宿のあった辺りは新しい家に変わっていた。
三十年は経っているのだから無理もないが、少しさびしかった。橋の畔で車を止め、記念撮影をした。家は建て変わって跡形もないのに、鴨川の風景はほとんど変わっていないのが不思議な気がした。
当時はフォークソングが流行していた。この川岸に座ってはギターを弾いたものだ。

橋を渡り、川に沿って欅の並木道を北上する。この辺は、日曜日の散歩コースだった。
北山通りと接する曲がり角に古本屋があった。人と群れるのが苦手で、趣味は散歩の途中、
古本屋や古道具やをのぞくことくらいという、いたって貧しい浪人生活だった。
親元を離れてのひとり暮らし。どこにも所属していない気分は物心ついて以来初めてのことで、
粗食と町歩きでがりがりに痩せていたが、精神的には開放感に溢れていた。

驚いたことに、古本屋は昔の佇まいそのままに残っていた。道路脇に停車して店に入った。
当時、一冊、二冊と買い集めた澁澤龍彦や稲垣足穂の本が、今も棚に並んでいる。
店の奥には、相変わらず難しい顔をして親爺が座っていたが、本人なのか二代目なのか。
あまりの変化のなさに、時が止まったような気がした。

車に戻り、烏丸通りを下って、今出川に出た。左に折れると相国寺に入る道で車を止めた。
雑誌に載った写真に憧れて志望校を決めたのだが、幸運なことに憧れの校舎がゼミの教室だった。
そのクラーク記念館を妻に見せたいと思ったのだ。同志社大学の本拠地は田辺校地に移転したが、
国の重要文化財である赤煉瓦の校舎は当時のままに残っている。

今出川キャンパスは狭い。少し歩けば御所にぶつかってしまう。
当時は学生運動はなやかなりし時で、キャンパスは立てカンとヘルメットに占領されていた。
四回生の頃はロックアウトされて、卒業式も開けず、ゼミの教室で証書だけ渡してもらったのだった。
十年ほど前に、大学の好意により、本来の会場である栄光館で卒業式をしてもらった。
ここを歩くのはその時以来だ。今は、学生の影もまばらでひっそりとしていた。

青春時代にも十分浸ったので、四条河原町に出て、お茶でも飲んでから帰ろうということになった。
駐車場探しにも慣れてきたが、河原町近辺には駐車場にしておくような余地はないらしい。
祇園界隈に多いコインパーキングに停めた。もう一度歩いて四条大橋を渡り、四条河原町に出た。
学生時代も、結婚してからも、京都に来ると、歩き疲れては「築地」に入った。

所謂名曲喫茶なのだが、真面目な音楽ファンは木屋町にある「ミューズ」の方に入り浸っていた。
アンティークな雰囲気のある築地には、本を読んだり、話をしたりが目的の学生が多かった。
築地では通はミルクティーと決まっているのだが、店内にはシュトラウスのワルツが流れていた。
妻に合わせて注文したウィンナ・コーヒーには匙に載せて角砂糖が二つついてきた。
今どき角砂糖は珍しいと、妻ははしゃいで写真を撮った。

せっかく河原町に来たのだから少し歩くことにした。初めて来た時は、歩きすぎて妻が足を傷めた。
近頃は、あまり無理をしない。河原町には、京都書院という本屋があったのだが、今はもうない。
丸善も姿を消し、その後を受けてだろうか、ビルの5階から8階までジュンク堂が店を開いている。
どこに行ってもジュンク堂ばかりなのが気になるが、品揃えはそれなりにしっかりしている。
外国文学の棚の前に立つと、どれもほしい本ばかりで目移りがしたが、棚ごと買うわけにもいかない。思案のあげく、フェルナンド・ペソアの『不安の書』と、エドマンド・ウィルソンの『アクセルの城』を購入。

志津屋でパンを買い、三条大橋を渡った。今年の流行りなのだろうか、浴衣がけの若者が多い。
京都に着物はよく似合う。花火や祭りがなくても着物で出歩きたくなる気持ちはよく分かる。
鴨川に張り出した納涼の川床に灯が入り、提灯の列が川面に映える。これが夏の京都だ。
もっといたいところだが、家では首を長くしてニケが帰りを待っている。
赤や青やのネオンが目につき始めた歓楽街をしり目に、京の町を後にしたのだった。


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