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 2008/8/21 蕎麦屋の酒

蕎麦屋の酒というのにあこがれている。
散歩の道筋が決まっているなら贔屓の蕎麦屋で、もしはじめての道なら、途中見つけた蕎麦屋で、板わさやぬきを肴に酒を飲むだけのことである。わざわざそこを目当てに行くというのではなく、何かのついでのようにふらっと入りたい。

車に乗るようになって、学生時分のように町歩きをしなくなった。
車で出かけては、酒は飲めない。今年の夏は暑く、散歩をする気にもならなかった。
立秋を過ぎ、さすがに爽やかな風も吹きはじめた。そろそろいいかもしれない。

作務衣のポケットに財布を入れ、雪駄履きといいたいところだが、少し歩くのでサンダルを履いた。家の前は旧街道である。昔の参宮客の歩いた道を通って、神宮前まで行く。
内宮前に蕎麦屋ができたのは、ごく最近のことだ。一度のぞいたが、その時は蕎麦だけ食べた。今日は、そこでビールを飲もうというのだ。蕎麦には酒が合いそうだが、散歩は喉が渇く。川本三郎に影響されているのかもしれないが、夏はビールといきたい。

歩き出すとさすがに陽射しはまだ強い。ただ、高気圧の影響か風が通るので、蒸し暑くない。
日盛りの道は誰も通る者とてない。尾根の最高地点近くで、高速道路の側道に突き当たる。
渡るのに信号を二度待たねばならない。日傘を差した老婆がベンチで休んでいた。
遠くの見晴らしはいい。朝熊山も神路山もくっきりと見えている。
湿度が少ないせいか空は秋のように高く、すじ雲や羊雲が高く低く空いっぱいに浮かんでいる。

このあたりは、中学生当時の通学路だったが、卒業してからは滅多に通らない。
見覚えのある同級生の家も主がいないのか、蔦でびっしり覆われていた。
よく遊んだ常夜灯はいまだに健在で、そこだけは昔とちっとも変わっていない。
その前の急坂を下ると、神宮前に続くおはらい町に出る。

夏休みも終わり近くになると、観光客もめっきり減る。偽装問題で騒がれた名物の餅を売る茶店だけは相変わらず賑わっている。そこを過ぎ、世古道を抜けるとバス通りに出た。店は、開いていた。ビールと天麩羅の盛り合わせを注文する。まずは、ビールが来た。よく冷えていて美味い。
天麩羅は、鱚の開いたのが二尾と南瓜、茄子と獅子唐が一枚ずつ。小皿に粗塩と抹茶塩がのっている。近頃では、よく天麩羅に塩がつく。できたら天つゆにおろしがいいのだが。

店は古い民家を改築した物。そんなに立派すぎないところが気に入っている。
ただ、蕎麦に自信があると見えて、蕎麦以外の献立が限られている。
趣味が高じて蕎麦屋を開くのか、蕎麦屋がやたらふえている。それらに共通して言えるのは、蕎麦の産地と石臼で挽いた手打ちを誇ること。それはいいのだが、酒を並べるのなら、それに見合ったものを数種は揃えておきたい。

ほろ酔いにはほど遠いが、酔い醒ましに川風に吹かれようと、五十鈴川畔に下りた。
この夏の天気続きのせいか、川はすっかり干上がっていた。
わずかばかりたまった淵に水鳥が肩を寄せ合うように集まっているのが哀れだった。
木陰で涼もうと思っていたのだが、水のない川を見ているのも味気ないものだ。
いつもなら車が並ぶ河川敷もがらがらで、夏の終わりを感じさせる。

帰り道、本屋に立ち寄って山村修の『もっと狐の書評』を買う。
家に帰ったら、図書館からリクエストした本が届いたと留守電が入っていた。
酒はほとんど抜けていたが、残念ながら取りに行くのは明日にしなければなるまい。


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