HOME | INFO | LIBRARY | JOURNEY | NIKE | WEEKEND | UPDATE | BBS | BLOG | LINK
 LIBRARY / REVIEW | COLUMN | ESSAY | WORDS | NOTES INDEX | UPDATING
Home > Library > Essay >0608

 2006/8/10 幻影城

新聞に載っていた電話番号を打ちこんでも、ナビは「登録されてない」というばかり。それならと住所を打ち込んでみるのだが、大事な番地までは載っていなかった。鳥羽市鳥羽二丁目まで来たら、後は自分で探せと、ナビは案内をよしてしまった。徐行してそれらしき建物を探すのだが、妻と二人、四つの眼で探しても「鳥羽みなとまち文学館」の看板が見つからない。

朝刊の地方欄に「江戸川乱歩の幻影城が本日オープン」という見出しが躍っていた。鳥羽市に乱歩記念館があるのは前々から知っていた。近いこともあり、いつでも行けると思ってそのままにしていた。新館は敷地内にある土蔵を改装したらしい。幻影城というのは乱歩の書斎の名で、数々の名作が誕生した場所である。変則的な勤務が続いていたが、二人揃っての久しぶりの休日。この機会を逃すとまたいつになるか知れない。初日の客になることにした。

交差点の角にコンビニがあった。道を訊ねようと駐車場を探すのだが、コンビニに付き物の広い駐車場がない。時代においてかれたような古い町並みだ。仕方なく路肩に停車した。店の人がわざわざ外に出て来て妻に道を教えている。帰ってきた妻が言った。
「次の道を左に入って、その次を右に曲がるとあるって。でも車を止める所なんてあったかなあ?って言ってたわよ。」
とにかくそこまで行ってみることにした。

切り返しなしに曲がるのがやっとの曲がり角を入ると、見るからに細い小路だ。低い軒が左右に迫る。教えられた通りに行くと、なるほどあった。頭を打ちそうなほど低い軒先の上、建物とは不釣り合いな真新しい看板が上がっていた。歩いてくれば、遠くからでも眼にはいるだろうが、狭い車窓からは難しかろう。後でもらったパンフレットには「公共交通機関で」と案内があった。

駐車場を探して町内を一周したが、月極ばかりで公共駐車場などどこにもない。路肩に停めようにもそのスペースがない。戦災に会っていないからか、家並みも全体に小ぶりで、昭和初期の面影を残している。道の突き当たりにお寺があった。塀の横に住職の車が停まっていてあと何台かの余裕がある。無理を言って少しの間停めさせてもらった。

正面に硝子戸を配した商家風の小体な家だ。玄関を入ると、黴臭い匂いがした。入ってすぐの左手には岩田準一の著作や論文が掲載された雑誌などが、硝子戸棚に収められていた。その隣には画家でもあった岩田が師事した夢二の掛け軸や色紙を収めた部屋。右手の土間には竈が昔のままに残され、当時の生活を偲ばせる。風俗研究家としても知られる岩田の家には当時の文化人から寄せられた書簡も多く残されている。南方熊楠や稲垣足穂をはじめ、柳田國男、与謝野寛など明治の文化人直筆の手紙が展示されている。特に熊楠の巻紙の手紙は長文で数メートルの長さというから呆れる。

中庭に出ると当時のままに再現された準一の書斎が目に入った。狭いが、庭からの照り返しで採光はいい。熊楠の家から移植した栴檀が枝を伸ばし、縁先に涼しげな陰を作っている。
隣の乱歩館の屋根に黒猫が顔を出した。「あっ黒猫。夢二の絵から抜け出したようね。」とはしゃぐ妻をしり目に、案内係の女性は「シッ、シッ」と愛想がない。「近くの飼い猫なんですが勝手に入ってきて荒らすので」と、露骨に迷惑顔だ。生活感を出した展示の仕方でケースに入れてない物も多い。爪研ぎなどされては困るのだろう。しかし、客の前で言い過ぎたと思ったのか、「はじめは可愛かったのですけどねえ」とつけ加えた。

乱歩は、一時鳥羽の造船所に勤めていたことがある。鳥羽生まれの準一とは当時からウマがあったらしく、鳥羽を離れた後も何度かこの地を訪れている。特に男色の研究を通じて生涯の友であった。乱歩館には準一が描いた『パノラマ島奇談』の挿絵や、乱歩の鳥羽時代の資料などが展示されている。祖母がよく知っていると話してくれた乱歩の妻、平井隆は坂手島の女教師だった。なかなか意欲的な人だったようで、乱歩が見初めたらしい。

案内の女性が乱歩が撮影した短編映画を上映してくれた。真珠島の海女を撮影したもので、字幕を入れて編集したのは乱歩自身だそうである。無論サイレントだが、手慣れた撮影ぶりで、土蔵に籠もってこんなものを編集しているところなど、乱歩は今でいうオタクのハシリじゃなかったのだろうか。

今日が初日というお目当ての幻影城は、東京にある本物よりはずっと小ぶりで、展示物も少なかった。土蔵に材をとった乱歩の作品を題材にした造型作品は、『屋根裏の散歩者』の一場面を模型で作ったものをはじめ妖しげな雰囲気を漂わせている。観光客らしい二人連れの女の子の甲高い話し声がなければ、もっとよかったのだが。カメラの電池が切れていて、一枚も撮れなかったのが残念だった。入場は無料。訪れる際は、公共交通機関が便利である。鳥羽駅から徒歩十分、とパンフレットにはある。場所を知らなければもう少しかかると思う。

pagetop
Copyright©2004.Abraxas.All rights reserved. since 2000.9.10