HOME | INFO | LIBRARY | JOURNEY | NIKE | WEEKEND | UPDATE | BBS | BLOG | LINK
 LIBRARY / REVIEW | COLUMN | ESSAY | WORDS | NOTES INDEX | UPDATING
Home > Library > Essay >0603

 2006/3/5 厄年

基本的には無神論者である。いや、そういうと語弊があるか。他の宗教を信仰する人々の神についてその存在についてとやかくいう気はない。自分自身について言えば、死んだらそれでおしまい。それ以上でも以下でもない。信じないのだから特に救われもしないだろうが、死んだら無に帰すると考えているものにはそれで何の不都合もない。

だから、自分の厄年についても世間が騒ぐような厄落としだの何だのを特にした覚えはない。ただ母親が気にするので、親孝行と思って厄除けで有名な近くの観音様にだけは参った記憶がある。祈祷料を払ってお祓いをすませると、自分の持ち物を一つ境内にある箱の中に置いてくる。厄はそれにくっついて自分から去るというまじないである。多くはハンカチのようなものを置いていくのだ。

今年は、どうやら長男がその厄年にあたるらしい。まだまだ元気な母が、長男がちゃんと厄落としをすませたかどうか気にするので、大阪にいる長男に電話をかけてみた。案の定、忙しいので替わりに参っておいてくれとのことである。自分のことはどうでも、子どものことになると気になるのは、世間の親と変わらない。で、代参することにした。

子どもの頃は、歩いていったくらいだから、散歩をかねて歩いてもよかったが、時節柄花粉が気になる。妻の車で出かけた。三月初めの午の日を初午というが、温かな春を感じさせる陽気に本日の四日を一日過ぎた五日だが着物姿の娘さんもいて、けっこう賑わいを見せていた。粟おこしをひねった形の「ねじりおこし」や、厄をはじき去るという言葉に掛けて、小さな猿をはじく「猿はじき」の玩具を持ち帰るのも昔と変わらない。

お参りを済ませ、お守り札を買い求めると、後は、長男の身につけたものを置いて帰らねばならない。家を出る前にハンカチがないかと探したのだが、服は何枚も置いてあるのにハンカチのような小物は残っていない。「これは、どうかなあ?」と、妻が出してきたのが、中学校の仮装行列で新撰組隊士に扮したときの鉢巻きである。額にあたる部分に「誠」の一字が書いてある。「これがいいよ。彼奴らしくて」と、持ってきたのだった。

先客は何をと見れば、やはりハンカチが多いようだ。その中にそっと鉢巻きをたたんで入れた。元よりこれくらいのことで災難から逃れられると思ってはいない。しかし、古くから伝わる民間信仰である。今とちがって、病気、自然災害その他、若者を襲う災難は比ぶべくもない。せめて神仏の加護でも頼らねばやってられなかったろう。縁なき衆生ではあるが、その祈りを笑う気にはならない。

なつかしさに、参道の露天商が売る「猿はじき」に手がのびかけたが、買ってどうするあてもないのでやめた。「味噌買うてこい。醤油買うてこい。雨が降ったら泊まってこい。」と歌いながら何度か弾き、最後の歌詞のところできちんと上の羽根飾りで止めるのが勘所だった。小さな子どもを連れた家族を見ながら、孫でもできたら買ってやってもいいかな、と考えていた。


pagetop
Copyright©2004.Abraxas.All rights reserved. since 2000.9.10