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北原謙二が死んだ。そう言っても何人の人が知っているだろうか。青春歌謡が全盛の頃、『若い二人』が大ヒットを飛ばし、一躍スターダムに登りつめた人だ。ちょっと鼻にかかった高音で、ビブラートを効かさずに歌う歌唱法が、他の人にはない独特のスタイルを保っていた。
60年代の初め、日本は戦後の復興期を終え高度成長期へ差し掛かろうとしていた頃である。戦前戦中の暗いイメージを吹き払おうとするかのように、明るいスタイルの曲が巷に溢れていた。新生日本を象徴するかのように「若さ」が価値あるものとして祭り上げられ、「若い根っこの会」などという団体の活動が盛んに紹介されたりした。映画や歌の世界でも若者の恋愛をテーマにしたものが多く取り扱われていた。
『若い二人』もよかったが、この人の歌う『北風』という曲が心に残っている。今では、それが、カントリー&ウェスタンの名曲だと知っているが、当時そんなことは知りもしなかった。テレビで歌手の歌う歌はみんな歌謡曲だと思っていたのだ。センチメンタルな歌詞とマイナーな曲想の多い歌謡曲の中で、『北風』は少しちがっていた。
失恋を歌っているのは同じでも、ややドライブのかかった曲には湿っぽさがなく乾いた悲しみのようなものがあった。それがアパラチア山脈の方から吹いてくる風とはつゆ知らず、「えくぼの可愛い子だったが」と気持ちよさそうに歌っていたものだった。サビの部分ではたしかに「ノースウィンド」と英語で歌っていたのだったが。
ロカビリー全盛期で、カントリー&ウェスタンのバンドでボーカルを担当していた若い歌手が次々とスカウトされ、歌謡曲を歌うようになっていったのだった。ボブ・ディランの『風に吹かれて』を初めて聴いたのも守屋浩からだった。後にフォークソングのブームが起きることになるのだが、そんなことは知らず新鮮な歌詞の内容にこんなことも歌になるのかと驚いたことを覚えている。
大学生時代に起きたフォークソングの一大ブームのせいで、ピ−ト・シーガーやカーター・ファミリーを知り、アメリカのトラディショナルフォークソングからブルーズ、カントリー&ウェスタンへと興味や関心が広がっていったと、思いこんでいたのだが、それよりはるか昔に『北風』に惹かれていた小学生の自分がいたのだ。
ずっと忘れていた曲だったが、北原謙二の名前と一緒に甦ってきた。英語版のCDも持っているのだが、この曲を歌うときは北原謙二の鼻にかかった声で歌いたくなる。ここしばらく歌など歌ったことがない。久しぶりに声を出すと、喉のところで何かが引っかかってうまく声が出てこない。それでも、誰も聞いていない車の中、平気でがなっていると次第に声が出てきた。歌っているのは自分なのに耳には往年の北原謙二の歌声が聞こえてくるのが不思議だった。
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