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Home > Library > Essay >0412

 New Year's Eve

やけに空が暗いなと思っていたら、雪がふってきた。みぞれまじりの重い雪は手に触れるとすぐにとけて水に変わってしまう。ずっと、暖かないい天気が続いていたから、今年はこれが初雪ということになるのだろう。去年や一昨年の十二月の文章を読んでみると、やはりこの前後にふっていることが分かる。暖かいとはいっても、ちゃんと季節は移り変わっているのだ。

去年は、この時期に大掃除で張り切って、何度もごみ焼却場へ走ったが、そう毎年ごみが出るものでもないらしい。今年は小掃除ですましておくことにした。大晦日に天気が悪いとかえって落ち着いてしまう。残しておいた玄関周りも雪が降っては仕事にならない。子ども部屋に掃除機をかけ、一晩だけ帰ってくる長男の布団に乾燥機をかけると、することがなくなってしまった。

妻は、できあがったばかりのお節を一足先に帰省している二男に持たせ、実家に届けに行った。いつの間にか雪はやみ、西の空には夕焼け雲が赤い。一応、古くからある鳥居前町である。年越し参りから三が日にかけては一年でもいちばん賑わう時期だ。雪の中の初詣というのも情緒があっていいものだが、せっかくの晴れ着が気の毒だ。晴れるにこしたことはない。

子どもの頃は歳の暮れの押し詰まった雰囲気が大好きだった。寂れたとはいえ旧街道筋。八百屋や肉屋、魚屋が立ち並ぶ通りでは大人たちの足どりが急にせかせかと気ぜわしくなり、人の往来も繁くなる。日が暮れかけると仕事を済ませた人たちが一年の垢を落としに銭湯にやってくる。除夜の鐘の鳴り出す時分になると、家の前を年越し参りに向かう人の足音が聞こえ始める。銭湯は疾うになくなってしまったが、参拝客の方は今も変わらない。

今年の年越しはこの前行った海の見えるレストランから、初日の出を見るのもいいな、と考えていたのだが、誰でも考えることはよく似ているらしい。混雑は必至という話だ。昨日、新しくコンピュータにステレオをつなぎ直し、音源にあわせてフロアタイプとブックシェルフのスピーカーを選ぶことができるようにした。いつも第九ばかりではつまらない。インターネットに古いジャズばかりを流すラジオ局がある。海の向こうのニューイヤーズイブの風景を想像しながら年を越すのも当世風で悪くないかもしれない。

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 双子座流星群

「ねえ、掲示板見た。Nさんが書いてくれてるよ。もう、読んだ。」
書斎の扉を開けるなり、妻がいきおいこんで聞いた。
「いや、なんて。」
「双子座流星群が見えてるんだって、今。」
そういうなり階段を下りていった。玄関の扉を開けて外に出て行く妻の足音が聞こえてくる。掲示板を開けてみた。八時から見続けて、何個か見られたけれど、雲が広がってきたので断念したという内容だった。窓を開けてみた。我が家の上空には雲ひとつない。

妻が何やら胸に抱えて再び入ってきた。子どもが小さい頃買った星の本と星座早見表だ。本の方は赤と青の色セロハンを張った眼鏡を通して見ると星座が立体的に見えるというすぐれものである。しかし、肝心の双子座がどのあたりにあるのかが探せない。星座早見表でようやく見つけた双子座は、カシオペアとオリオンに挟まれていた。

「オリオンは大きく見えてるの。これなら分かるかも。」
そう言うと、もう一度外に出て行った。いつの間に引っぱりだしたのか、ちゃんと皮のランチコートを着込んでいる。まったくこういうときの行動力はとても真似できない。歳をとるにつれ、目はすっかり悪くなった。以前も、外に出てみたが見つけられなかった。インターネットで検索すると、天頂近くに出現するとあった。月の光の少ない今夜はチャンスだとも。しかし、地方とはいっても町なかである。街灯の明かりが邪魔をするだろう。車で遠くまで走れば見られるかもしれないが、晩酌をすませている。暖かとはいっても十二月だ。夜の散歩は願い下げである。

そんなことを考えていると、階段を音立てて駆け上がる妻の足音が聞こえてきた。
「見えた。見えたわよ。三つまで数えた。見に来ない。」
あわててガウンを手に取ると、妻のあとについて外に出た。玄関先で、ニケがちょこんと首をかしげて見送っている。何が起きたんだろうという顔をして、とまどっているみたいだ。

空を見上げた。窓から洩れる光や電柱の街灯の明かりが目に入り、星など見えない。妻は表通りに出て行く。
「ほら、あの明るい星、あの近くに見えたの。」
たしかに一等星らしき星が一つ見える。しかし、いかにもまわりが明るすぎる。どこか近くに暗い場所は、と思いめぐらせていると、帰ってきた時に車をバックで駐車するのに弱ったことを思い出した。借りている駐車場には灯りがないのだ。

駐車場は暗かったが、夕方ほどではない。周りに灯りがつく前の一刻がいちばん暗いのだ。それでも街灯の真下で見るよりはよく見える。さっきの星を目当てにじっと目を凝らすのだが、しばらくそうしていると首が痛くなってきた。ほぼ真上を見るので首を九十度に曲げている訳だ。思いついて、愛車のボンネットの上に寝そべってみた。妻も隣に来た。幸い誰も通りかからなかったからいいが、さぞかしおかしな夫婦に見えたことだろう。

見続けていると、しだいに星は数を増してくるのが不思議だった。人は見ようとする物だけを見るという。寝転がって真上を見ていると、家々や街灯は目に入らなくなる。五分ほどもそうしていただろうか。そろそろ体が冷えてきたなと思った時だった。天頂部からはかなり離れた4時の方向にすっと動くものが見えた。あっという間だった。二十センチほどの細い光の糸が黒い傘の内側を滑るように流れ落ちた。一つ見つけると、あとはすぐだった。今度は9時の方向にまた一つ。

流れ星を見た時にそれが消えるまでの間に願い事を唱えると、願いが叶うという言い伝えがある。しかし、誰がいったいこんな短い時間のうちに願い事を考え、たとえ心の中にせよ唱えることができるだろう。まず不可能である。今回は、見えることが分かっていたから、願い事の準備は、皆おさおさ怠りなかったことだろう。しかし、唱えることができた人はいたのだろうか。

今、特にこれといって願い事はない。数個にせよ、流れ星を目にすることができただけで大満足である。満天の星空を天空翔て滑り落ちる流星の群れ。なんと豪奢な贈り物であろう。二人並んで一緒に夜空を見上げ、共に同じ流れ星を見たのだ。それ以上何を願うことがあろうか。Nさんに感謝し、満ち足りた気持ちで家に帰った。それにしても、Nさんはあのロータスセブンを駆って、文字通り降る星の下で流れ星を数えていたのだろうか。頭の中に人気のない草原に停まったセブンが浮かび上がった。たしかに星を見るにもオープン・カーは最適の車なのであった。


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