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Home > Library > Essay >0409

 印度料理

駅前に印度料理を出すレストランが店を開いたらしい。友だちから噂を聞いた妻は行ってみたくて仕方がない。なんでも、ナンが美味いそうだ。近頃では、冷凍のナンがいつでも手にはいるから、それらしいものなら誰でも食べることができる。しかし、焼きたてとなると、大きい町にでも行かなければ、まだまだ小さな田舎町では食べられない。

休日くらいはどこかに出かけてもいいようなものだが、年々それが億劫になってきている。通勤や通学に同じ道を通るわけだが、往きはともかく、時間のある帰り道でも、毎日同じ道を通ろうとするのが老化のはじまりだと何かの本に書いてあった。そういえば、子どもの頃はすぐに脇道や細道に入り込んでみたくなったものだ。知らない道を通り抜けて知った道に出たときのほっとした気持ちを味わいたくて、わざと知らない道をとったものだ。

未知のものに対する好奇心こそが若さなのだろう。知らない味に挑戦するより、馴染んだ物を食べていたい、という気持ちの方が強くなっているのはたしかだ。老け込んだことを悟られてはなるまい。「次の休みの日にでも行ってみるか」と言った、その日が今日である。ちょうど彼岸の中日。妻の実家の墓参りがてら、昼食に立ち寄ることにした。

旧国鉄の駅前。少し前まで、百貨店と大規模小売店が肩を並べ、集客競争をやっていた所だが、両店の相継ぐ撤退で駅前広場は閑散として人通りもない。オリンピックで金メダルを取った選手の凱旋パレードを祝う真新しい幟だけが、秋の陽を透いて目に鮮やかだ。店はすぐに見つかった。近くの駐車場に車を停めると店主らしき人が店の前で出迎えてくれた。

長身の店主は見るからに印度の人らしい彫りの深い顔立ちで、流暢な日本語を話す。本格的な印度料理は夜だけらしく、昼食は、カレーを中心にしたセットメニューになっていた。ナンがセットされた野菜カレーとチキンカレーを注文した。すぐにスープが運ばれてきた。チキンのスープだろうか、細かく刻んだ葱と玉葱、人参が浮かんでいる。どこかで味わった記憶のある味だが、それがどこだったか思い出せない。塩加減の程よい食欲を刺激する味である。

キャベツとレタスのサラダは、ドレッシングのせいか、これといった特徴のない味だったが、焼きたてのナンといっしょに運ばれてきたカレーは極上の味だった。たっぷり練り込まれたバターとマーガリンから照りの出たナンを千切ると、香ばしい香りが立つ。チキンカレーに浸して口に運ぶと、幾つもの香辛料が混じり合った独特の香りが鼻に抜ける。食べているときは全くと言っていいほど辛さを感じないのに、清涼でありながら、濃厚なカレーの風味が舌に残る。今まで食べたことのない味である。

「お口に合いましたか。」と、店主が話しかけてきた。彼はムンバイ出身で、この店を始めて、まだ三ヶ月。それまでは16年間大阪にいたそうだ。道理で日本語が堪能なはずだ。インドも広いから、「このカレーはムンバイの味ですか」と、聞いたら、このチキンカレーは、インドならどこでも食べられると言っていた。もっとも、辛さは日本向けに少し落としているそうだ。ナンは、厨房内の窯で、注文を受けてから焼いている。大きさは、はじめた頃より小さめにしたというが、妻は食べきれなくて持ち帰った。

今度は、夜来ることを約束して店を出た。空の色は、もうすっかり秋なのに、店を出たとたん首筋に汗が噴き出した。ハンカチで汗を拭うと、爽やかな風が襟頸を吹き抜けた。ひんやりとした風はたしかに秋のそれだった。

 彼岸花

稲刈りもすんだ田圃の畦に赤いものがちらほら目に留まるようになってきた。そういえば彼岸も近い。「暑さ寒さも彼岸まで」というのは、死んだ祖母の口癖だった。暑いにつけ寒いにつけ、何かというとすぐ弱音を吐く意気地なしの孫をはげますために、何度この言葉を呟いたことか。この年になると、暑い夏を乗り切り、明け方や暮れ方、野面を吹き渡る風に触れるたび、同じ文句を呟いている自分に気づく。

実際、昔の人はよく分かっていたものだと思う。暑い暑いと愚痴をこぼしていても、時が来れば自然は必ず秋を寄越してくれる。その前に台風や大水と、有り難くもない前触れをくれるにしても。稲刈りのことをこの地方では「田刈り」というが、その名の通り、畦まですっかり散髪をすませた田は、やがて来る冬を待つ用意は整ったというようにすっきりした顔をしている。その中に灯がともるようにぽつりぽつりと咲き出す曼珠沙華は季節の移り変わりを告げる点灯夫のようだ。

小津安二郎に同名の作品があった。小津のタイトルは無雑作につけているようでいて、日本の季節感を表す語彙をほとんど独り占めしている感がある。しかし、歳時記を開くまでもなく、誰もが知っている記号のようになってしまっている没個性的な単語に、ある一つのイメージを持たせることに成功したのは小津のネーミングセンスの賜物だったかも知れない。それまで、こんな題名、当たり前すぎて誰も自分の大事な作品のタイトルにしようと思わなかったからだ。

当たり前すぎると書いたが、彼岸花は別名「死人花」とも「毒花」とも呼ばれ、あまり人々に歓迎される花ではない。小さい頃、野遊びの帰り、そのあまりの鮮やかな色と形に魅せられ、両手にあまるほど手折って家まで持ち帰った。花瓶に挿して飾ろうと思っていたのに、案に相違して、いつも自分のすることをほめてくれる祖母が困った顔をしているのに気づいた。その花の別名を覚えたのは、その時だったかも知れない。

球根状の根の部分にアルカロイド系の成分があることが、毒花と呼ばれる所以なのだろうが、その根の部分は水にさらしてあく抜きをすれば貴重な澱粉質を含んでいる。田圃の畦道に目立つのには訳がある。飢饉の時の非常用の食料としてわざと畦に植えたものの名残だと聞く。そうまでして植えたものを、飢饉という思い出したくもない事態との関連がそうさせるのか曼珠沙華という優雅な名より、別名を呼ばれることの多い気の毒な花である。


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