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 2004/2/29 祖母

祖母の三十七回忌があった。寺は、家の前の世古を抜け、左に折れたところにある。冷暖房完備の立派な本堂には、善男善女の寄進による真新しい仏具が金色に輝いていた。住職が替わり、寺もすっかりきれいになった。小さい頃は、本堂や境内でよく遊んだものだったが。

百万遍や花祭り以外にも、和尚さんがしてくれる紙芝居や講話がおもしろくて、念仏婆さんであった祖母に連れられて、よく寺に出かけた。行事の際には当時はめったに食べられない鰻丼が出されることもあって、祖母は私を連れて行きたがった。私は祖母の大のお気に入りだったのだ。

祖母が生まれたのは、江戸川乱歩が『パノラマ島奇譚』を書くにあたってモデルにしたといわれる坂手島。三島が『潮騒』で描いた初島のモデルになった神島ほど陸地から離れてはいないが、大きさはよくにたもので、周囲四キロにも満たぬ孤島である。

子どもの頃の祖母は、お転婆で、遊動円木から落ちて額を割ったことや、港に浮かんだ舟の下を潜って通り抜ける競争で一等だったことを、よく聞かされた。娘盛りの頃の祖母については、あまり話を聞いた記憶がない。遊郭を営んでいた祖父と一緒になってからの話は時々聞いた。隣家の類焼にあって、三度焼け出された後、父が借金して建てた家は小さかった。大きな家が忘れられないのか、昔の話をするときはうれしそうだった。

祖母は私の母と血がつながっていない。母を可愛がってくれた先妻が死んだ後に祖父が連れてきた後添えである。どんなことがあったのかは知らぬが、親もとは名古屋に引っ越してしまい、ときおりそっくりの顔をした実兄がふらっと立ち寄ることがあった。競艇で負け、帰りの汽車賃を無心に来ていたということは、後の話で分かった。

男兄弟三人の中で、何が気に入ったのか、私だけは依怙贔屓ぶりが近所の話の種になるほど可愛がってもらった。実は、私が二歳の年に、流行り風邪をこじらせて姉が死んだ。祖母がいちばん愛していたのはその姉だったらしい。「こんな子が生まれんと、あの子が生きとったらよかったのに」と、私の顔を見てはよくぼやいていたそうだ。私は、姉の替わりだったのだ。

俗に「婆っ子の三文安」と言われる。依頼心が強く、自分勝手な性格に育ってしまったのは、共稼ぎの両親に代わって育ててくれた祖母の所為ばかりにはできまい。しかし、虫歯の多いのは、兄や弟に食べさせたくないので、夜、布団の中で食べさせられた菓子の所為だと固く信じている。

 2004/2/18 初午

道端に幟が立った。この季節になるといつも立つ、白地に山号寺号を染め抜いた幟を見ると、小学生だった頃の自分を思い出す。家から少し離れたところにある古刹に、この頃になると近郷近在から厄落としに多くの参詣の人が訪れる。ふだんは、訪れる人も稀な山の中の小さな寺の門前に、名物のねじり菓子をはじめとして、いろんな露天商が集まるその日は、年に一度の初午の日だった。

その年は、やっと子どもだけで行くことを許され、ふだんは手にすることもない百円札をポケットに入れ、勇んで友だちと出かけたのだった。あれでもないこれでもない、といろんな出店をのぞいているうちに、どうしたことかポケットから百円札が消えていた。あわてて、友だちと別れ、もときた道を引き返し、百円札が落ちてないかと探したが、見つかるはずもなかった。

すっかり意気消沈して家まで戻ったのだった。あまりに早い孫の帰りに訳を訊ねた祖母に、いきさつを話す頃にはすでに涙声になっていた。かわいそうに思ったのだろう、祖母は、自分の懐から、百円札を出し、もう一度行ってくるように言ったのだった。今度は手の中に握りしめ、急いでもとの場所まで戻ったのだが、友だちはすでに帰った後らしく、ひとり、たどり着いた果てが、大きな箱に入ったピストルの玩具が子どもの目を引きつけるように飾られている一軒の店だった。

三つの茶碗の中のどれか一つに硬貨を入れ、茶碗の位置を入れ替える。最初に入れた硬貨がどの茶碗の中に入っているかをあてたら、飾ってある商品のピストルがもらえるというあて物だった。一勝負は十円。子どもでも手の出る金額で、友だちの誰も持っていない拳銃が手に入るのだ。しばらく立ち止まってじっと観察していた。見ていると、どこに入るかは分からないほどでもない。

「坊や、お金はいらないから、試しにやってみるかい」
と、香具師が声をかけた。「うん」と、うなずいて、正面に進み出た。
「ここに入れるよ。」と、言いながら、香具師はゆっくり手を動かして、茶碗を右から左、真ん中から右へと移動させた。いくら動かしても、はじめに入れた茶碗から目を離さなければ、まちがえようもない。
「どうだ。どこにある?」と、聞かれて指さした茶碗を香具師が開けると、硬貨はそこにあった。

「いやあ、これはおじさんの負けだ。坊やすごいなあ。」
そう言われて悪い気はしない。二回目の試しにも勝つと、次は十円を出していた。ところが、速さはたいして変わらないのに、ここだと思った茶碗の中に硬貨の入っていたためしはなく、百円を使い果たすまで、一回もあたることはなかった。

残念賞の粗悪な鉛筆が十本、手の中に残った。肩を落として、とぼとぼと歩く帰り道、子ども心に我が身の情けなさが身にしみた。落とした百円はまだしも、後の百円は言い訳のしようがなかった。もう、その頃には相手のやり口も分かっていた。むざむざと子ども騙しの手に乗った自分の不甲斐なさに、涙も出なかった。人の眼を避けるようにして歩いた帰り道の長かったことは今でも忘れられない。

よほど懲りたのだろう。それ以来、賭け事、勝負事と名の付く物にいっさい手を出したことがない。競馬、競輪はおろか、パチンコ、麻雀、宝くじに至るまで、やろうという気が起きない。射幸心というものの恐ろしさを物心つくかつかないかの頃に知ったのが良かったのか悪かったのか、それは分からない。しかし、その後の人生に何らかの影響を与えたことはまちがいない。この季節になるといつも思い出す、苦い思い出である。


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