SKETCH OF SPAIN

 TOLEDO

リスボンからマドリッドまで飛んだ際、荷物が行方不明になってしまった。幸い妻の方は無事着いたので、さほどあわてることなく手配だけして待っていたら寝る前には届いた。中身も荒らされてはいなかった。単なる積み忘れだったのだろう。なあに、たいしたものは入っていない。着替えくらいなら現地でいくらでも調達できる。大事な物は手荷物にして自分で運ぶに限るのだ。

マドリッドで一夜を明かした後、車で一時間ほどの距離にあるトレドに向かった。トレドと聞いて、まっ先に思い出すのは、プロスペル・メリメの書いた『トレドの真珠』である。絢爛たる美文で、「トレドの真珠」と呼ばれる女の美しさを伝えるそのレトリックに舌を巻いた覚えがある。今試みにその冒頭の一文を引くとしよう。訳者は杉捷夫である。

「東の空の雲を破る太陽が西に沈む夕陽より美しいとだれが私に言うであろうか?数ある樹々の中で橄欖と巴旦杏のどちらがすぐれて美しいとだれが私に言うであろうか?(略)女の中でだれがいちばん美しいかだれが私に告げるであろうか?──私は女の中でだれがいちばん美しいか、君に告げよう。それはヴァルガスのオーロール、トレドの真珠である。」(岩波文庫)
文庫本で二頁少しという短編ながら、引き締まった構成と華麗な文体は名訳者を得て輝いている。今は、さすがにこういった文を書こうとは思わないが、一時期、杉捷夫訳メリメは聖書であった。トレドの名は、その絶世の美女とともに脳裏に焼きつけられていた。

 

念願かなって訪れることのできたトレドの街は期待を裏切らなかった。家々の壁も街路も石で覆われひんやりとした冷気が感じられる。街はまだ眠りから覚めたばかりで、多くの店の扉は閉まったままだった。朝の早い家だけが仕事の支度にかかっていた。小さな山一つを石畳で覆ってできたような街は、急な勾配を上るにつれて、家々の年代は古くなり、路は細くなっていくようだった。地図によると、この坂を上っていけば、カテドラルに行き当たるはずである。上り下りする坂道は曲がり、折れ、道ゆく者は永久にこの街から出さないようにたくらんでいるのかとさえ思われた。

 大聖堂



大聖堂の上には小鳥が飛びかい、鳴きかわしていた。あたりに人影はなく聖堂前の広場は静まりかえっていた。朝の光は塔の上の方にとどまり、フランス・ゴシックの様式美を誇るスペイン・カトリックの総本山は、まだ眠りから覚めやらぬ様子であった。

リスボンのテージョ川はここトレドではタホ川と呼ばれている。その川に周囲を囲まれた小高い丘にしがみつくようにして作られたトレドの街は天然の要害である。紀元前2世紀にローマ人が街を築き、5世紀には西ゴート人が侵入した。711年から4世紀間、イスラム教徒に支配されている間、街はアラブ・イスラムの色を濃くしていく。11世紀後半、キリスト教徒に再征服されることにより、このカテドラルが作られることになった。再征服されたとはいえ、町には多くのイスラム教徒たちが住んでいた。このゴシック建築は彼らの目には、どのように映ったのだろうか。

朝早い御堂の内部はほの暗く、ともされた蝋燭の灯りが揺らめいていた。振り仰げば、ステンドグラスからの光のなか、祭壇の上に聖母を取り囲む天使の群が浮かび上がった。覚束ない光の中にたたずむ者の目には、それは如何にも明るく感じられる。此処はまだこんなに暗いというのに。 

 サント・トメ教会


カテドラルからトリニダ通りを抜け、サント・トメ教会に出た。トレドを愛した画家にエル・グレコがいる。「ギリシァ人」というあだ名が、そのまま画家としての名となってしまったグレコだが、青年時代にトレドを訪れ、その魅力の虜になり、死ぬまでトレドに住み続けたという。そのグレコの代表作の一つ『オルガス伯の埋葬』が、プラドのような大美術館ではなく、サント・トメ教会のような小さな教会に展示されているとは思いもよらなかった。

絵や音楽は分かるのではなく感じればいいのだというような意味のことを言う人がいる。たしかにそうできれば、どんなに素敵だろうと思う。けれど、そう簡単にはいかない。絵も一種の記号だから、受けとる側に、それを解読するある種の力が必要になる。まして、それが宗教画であればなおさらで、描かれた植物一つとってみてもそこには寓意がある。それも知らずにいて、「この絵が好きだ」とは、なかなか言えない。だから、正直なところ、いくら好きでも近代以前の絵画は少々苦手である。

しかし、『オルガス伯の埋葬』には、何か牽かれるところがある。画面の構成は上下二つの部分にはっきり分かれている。上の部分は天国に召される魂を、下の部分は墓に埋められる肉体を描いている。様式的にも二つはまったくと言っていいほど異なっている。上部は、これこそグレコという署名つきの、すべてが上方に引き延ばされるような歪みを感じさせる例の描き方で描かれている。それに比べると、下部は、一見したところグレコの絵とも思えない冷徹な様式に貫かれている。甲冑を着たオルガス伯を二人の法衣を来た聖人が抱きかかえ、黒衣の知人たちがそれを取り巻いている。それらの人物すべてにモデルがあるという。それが、グレコをしてこういう描き方をさせた原因なのかもしれない。

すぐれた肖像画は、モデルの外貌を模倣するのでなく、人物の内面を写し取るとはよく言われることだが、オルガス伯その人はもちろん、左の聖ステファヌスの表情には、人間でありながら人間を超越した霊性さえ漂っているように感じられる。また、オルガス伯の鈍色に輝く甲冑とそれを取り巻く人々の黒衣と純白の襟飾りの対比に、死の栄光と生の冷厳さが対置されているようにも思える。人の「死」を描いてこのように悲嘆に満ちていながら透明、清澄な絵をほかに知らない。この絵を前にすれば、人は粛然として襟を正さざるを得ない。しばらくの間、この絵一点が懸けられた教会の壁面を前にして立ちつくしていた。

 アルカサル


 

 トレドは武具や甲冑作りで有名な街でもある。甲冑一式はとても無理な話なので手套だけを買い求めた。長男への土産である。二男にはモロッコで短剣を買ったので、長剣も考えたのだが、妻の「あの子には人を傷つける剣より自分を守る道具の方がよく似合う。」という言葉で、これにした。

タホ川の対岸に渡り、トレドの街を眺めた。家々や城、聖堂が鎧のように街を覆い尽くしている。長い間、この街はこうして自分を守ってきたのだなという感慨が心の中に湧き上がってきた。
 トレドは美しい街だ。しかし、スペインのどの街もそうだが影のある美しさである。ただ、その影は灰色をしていない。強い光が当たったとき必ず生じる宿命としての影である。見ていると、目を灼きつくすような強烈な光と影が、この国にはある。


PREV         HOME          NEXT

Copyright©2000-2001.Abraxas.All rights reserved
last update 2001.2.9. since 2000.9.10