MOROCCO

 

 RABAT

マラケシュで買ったカフタンを着て朝食に出かけた。ホテルのボーイに
「あなたは、ムスリム(イスラム教徒)か?」
と、真顔で聞かれて、何かばつが悪かった。無神論者だというのは、信心深い相手の存在を真正面から否定してかかっているようで具合が悪い。それに、そんなにはっきりしているわけでもない。儒仏道がない交ぜになった日本的な宗教観を人並みに所有しているというのが実態だろう。とはいえ、貧しい英語の語彙をどうひねくってみても、とっさにそんなことが言えるわけがない。大乗仏教の教義は信じがたいが、仏陀の説くところには共感を覚えている。
「ブッディストだ。」
と、できるだけ素っ気なくならないように言うと、少し残念そうな表情をして見せた。服装と宗教が分かち難く結びついている国では、気軽に当地の服を着るものではないのかもしれない。

 しかし、着てみると、これはなかなか快適な衣服だということがわかった。砂漠で生きるベドゥイン族が頭から手足の先まですっぽり隠れるような服を着るのは、その方が体と衣服のあいだに空気の層を作れるので、かえって涼しいからだと聞いたことがある。買い求めたのは、夏用の薄い布地で、ベドゥインのそれとは比ぶべくもないが、白い布は直射日光を遮り、広い袖口と、ゆったり作られた裾からは風が通り抜けて行く。周囲のよく似合っているという声にも励まされ、今日は一日この服でいることに決めた。もちろん妻も同じである。

 ムハンマド五世霊廟




首都であるラバトにはハッサン二世の父、ムハンマド五世の霊廟がある。小高い丘の上に作られたそれは、墓所というより宮殿のような建物だった。霊廟の門の前には白馬に乗った儀仗兵が右手に旗を掲げたままで身じろぎもしないで立っていた。この日の気温はおそらく40度近い。時間で交代するのだろうが大変な仕事である。霊廟はかつての遺跡の上に作られていた。儀仗兵の立つ門に続く塀は剥き出しの土壁で、剥落した部分には無数に穴があいている。その穴の一つ一つに鳩が棲み着いていて、思い立ったように飛び出しては宙を舞う。モロッコの鳩は白いものが多く、真っ青な空に映えて実に美しい。

 ハッサンの塔




建築途中で放棄されたとかで、未完の塔である。霊廟の白い色との対比が美しい代赭色をした塔は、未完ながらもイスラム世界第二の塔といわれている。ローマ時代の遺跡だろうと思われる円柱の一部が何かのモニュメントのように林立する広大な敷地の中を歩いて霊廟に向かった。アーチを潜って中にはいるとそこは回廊になっていた。床には大理石が敷き詰められ、周りの壁には籠目文様を組み合わせたアラベスクの色タイルがこれでもかというくらいの細かさで敷き詰められていた。これも大理石を張り巡らせた手摺りに凭れて吹き抜けの空間をのぞき込むと、半地下状に掘り下げられた広間の中央に王の棺が安置されていた。

 ドーム天井




振り仰ぐと外から見たときは四角錐に見えていた屋根がドーム天井に姿を変えていた。眩いばかりの黄金で描かれた幾何学模様を、ステンドグラスから差し込んでくる光が幻想的に照らし出していた。この世のものとは思えない。豪奢な家もあったものよと言いかけて気がついた。この世のものでないから棺があるのではないか。権力を握ったものは先代の王の墓や記念碑を豪壮華麗に飾り立てることで、自分の権威を誇ろうとする。これは洋の東西を問わず枚挙にいとまがない。それにしても、と思う。隙間なく空間を覆い尽くさねばやまないこの精神はいったいどこから来るのだろう。それも、徹底した幾何学模様である。偶像崇拝が禁じられていたことが抽象的な図形の組み合わせ模様を発達させたというのが一般的な説明だが、それだけが理由なのだろうか。幾何学、或いは数学には、世界が一つの原理から成り立っていることを明らかにすることに対する偏愛があるのではないだろうか。唯一神を崇める民族に共通する心性なのかもしれない。美しいのだが、見ていると目眩に襲われそうな気がして息苦しくなってくる。どこかに瑕瑾の一つもあれば救われるのだが。真新しいこの霊廟には望むべくもない。遺跡や、古い建築物には、時が与えた変化がある。建てられたときには、人智を尽くして完璧であったものが、黒ずみ剥落しているのを眺め、何かほっとするのは変だろうか。完璧なもの、永遠といえるものなどない。だから生きていけるような気がするのだが。

 ウダイヤのカスバ




ウダイヤのカスバを遠望するブー・レグレグ川の岸辺に下りた。対岸には渡し船を待つ人たちが並んでいる。さして広くない川にはまるでおもちゃのように楽しげな色を塗られた小船が日傘をさして人待ち顔に浮かんでいる。空の青と川の青とに挟まれて、丘へ丘へと上がっていく白いカスバの家並みが目に染みるようであった。

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