MOROCCO

 CASABLANCA

カサブランカとは、白い家という意味である。内陸部にあるマラケシュとは違い、ヨーロッパの影響を強く受けて作られた白い街、それがカサブランカである。映画「カサブランカ」は何度見たかしれない。テレヴィで放映された吹き替えのものや、後からフィルムに着色し、カラー化された作品はおろか、ウディ・アレンの「ボギー!俺も男だ」まで含め、見る機会があれば見た。センチメンタルだとは思う。雨で手紙のインクが流れていくところなど、時代がかっていて見ていて気恥ずかしいくらいだ。しかし、それでもいつも最後まで見ないではいられない。ひとつには、俳優の魅力があるのだろう。ハンフリー・ボガートの感情を抑えた声や表情をひそかに自分の手本にした人は多かったのではないだろうか。子どもの頃、NHK教育で「アフリカの女王」を見たのがボギーを見た最初だった。いっしょに見ていた父親が、「本当は、もっと格好のいい役者なんだ。」と、しきりに弁護していたのを覚えている。父の頭の中には「カサブランカ」のボギーが棲みついていたのだろう。後年「カサブランカ」を見て父の言っていたことが分かった。しかし、ボギーの映画の中で「アフリカの女王」は好きな映画の一つだ。

 帽子


旅行中、食事の席で隣り合った年輩の婦人に服装をほめられた。白い麻の上下と、パナマの組み合わせがお気に召したらしい。近頃ではとんとお目にかからなくなったということだった。男が帽子をかぶらなくなってどれくらいたつのだろう。実を言うと、帽子が大好きなのである。クローゼットの中にかぶらない帽子がいくつも掛けてある。かぶりたいのは山々なのだが、妻にとめられている。似合わないというのだ。確かに野球帽は似合わない。それは認める。けれども鍔の広いものはそれほどひどくはない。ただ、ほかの男が、そういう帽子をかぶらなくなったから目立つだけだ。それで、ふだんはいっしょに出歩くときにはかぶらないのだが、今回は暑いところに行くことでもあり、晴れてお許しがでたというわけである。
「帽子、ほめられたよ。」と、妻に話したら
「お父さんを思いだして懐かしかったのよ。」と言われた。あの婦人の父親なら明治生まれではないか。男の帽子が復活するのを夢見る今日この頃である。 

 ハッサン二世大モスク

ハッサン二世大モスクは新しいモスクである。大西洋の中に突きだすように建てられ、礼拝堂の中には2万5千人が、広場には8万人の巡礼が集まることができる大きさを誇る。アーチや門には精緻な細工が施されているが、それらは、フェズの職人の手になるという。海の上に建っているのだから、モスクの後ろには空しか見えないようにあらかじめ計算されている。モハメッドを象徴する緑色をアクセントに使いながら、白い壁が青い空に映える様はひときわ印象深いものがあった。

 礼拝堂



礼拝堂の中は、まだ内装工事の途中で、高い足場の上で、タイル職人たちが仕事の真っ最中であった。それでも信徒以外は入れないためになのか、いかめしい顔をした門番が立っていた。妻は、覚えたての挨拶をしてみる相手にこの門番を選んだようだった。
「サラーム・アリクム(あなたに平安がありますように)」と、妻が言うと、
「アリクム・サラーム」と、にっこり笑いながら返事してくれた。妻が喜んだのは言うまでもない。
大勢の信者が入れるモスクなのだが、それでも入りきれない人たちは、広場に集まってお祈りをするのだそうである。この日もちょうどミナレットに取り付けられたスピーカからお祈りを勧めるアザーンが聞こえてきた。けれども、仕事中はお祈りをしなくても許されているとかで、座って祈る姿を見かけることはなかった。

 リックスバー


夕食後、街に出た。歩いていけるくらいの所にホテル・ハイアットリージェンシーがある。その中に「カサブランカ」に出てきたリックの店を模したバーがあると聞いたので、早速行ってみることにした。豪華な入り口を入ってすぐの所に「バー・カサブランカ」はあった。確かにそれらしく作ってはあるが、映画のリックの店とは、明らかに違っていた。まあ、それは仕方がないかもしれない。「カサブランカ」という映画のシーンのほとんどはリックの店が舞台である。したがって、奥にあるカジノのほかにも、サムがピアノを弾いているコーナーや、そのほか、様々なセットが使われている。それらを同一平面上に配置するとすれば、新しい店を一軒作らねばならなくなる。いくらハイアットリージェンシーでもホテルのバーひとつにそれだけのスペースを割くことはできない。こぢんまりしてしまうのも当然なのである。

カクテルの名が凝っていた。「リックスブルームーン」を頼んだ。妻が選んだのは「アズタイムゴーズバイ」。日本語なら「時の過ぎゆくままに」である。こんな時のために持ってきていた一番ドレッシーなワンピースを着た妻は、すっかりバーグマンになりきっていた。それなら、とピアノ弾きを探したのだけれど、あいにく休憩中とやらで、おなじみの曲は聴けずじまい。ちょっとがっかりだった。しかし、もしピアノ弾きがいたとして、彼はリクエストを断りはしなかったろうが、内心はうんざりしたことだろう。おそらく、このバーを訪れる客のほとんどが、同じ曲名を告げるはずだから。中にはほろ酔い加減でピアノの所まで来て彼に耳打ちした客もいたかもしれない。
「その曲は弾くなと言ったはずだぜ。サム。」とね。
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