MOROCCO

 MARRAKESH

カサブランカ空港からバスに乗り、マラケシュに向かった。空港でモロッコの通貨に両替をした。1DH(ディルハム)は、約13円くらいだった。現地ガイドはアブドゥという元教師の青年である。

とにかく延々と続く枯れ草の草原。時折草を食む羊の群。木らしきものは道の両側に植えられた胡椒やユーカリの木くらい。人は木陰に寝そべって、何をするのでもなく日を過ごしているかのようだ。時折、驢馬が飼い主から離れて、これも何をするでもなく銅像のようにじっとひとところに止まって遠くを見ている。濡れているような驢馬の瞳は、この乾ききった土地では救いである。

周りに何もない、ただ道だけが真っ直ぐに通っている。そんなところで、道端に果物を山盛りにして売っている男を見かけた。こんな所でわざわざ車を止めて果物を買おうという酔狂な奴がいるものかと思い少々おかしかった。ところが、いるのだ。後日わざわざ走っている車を止めて果物に手を出したのは、同じバスに乗っている客だった。

単調な風景である。行けども行けども乾いた土地が続くばかりで、景色に変化がない。しかも暑い。目にとまる人や動物が、じっとしているのは怠惰なのではなかった。この午後の日差しの中でむやみに動けば体力を消耗してしまうことを知っているからなのだ。

日本人は水と身の安全はただで手に入ると思っている、とよくいわれる。昨今では、その神話も少々崩れかけているが、他郷にあれば懐かしく思い出す。ここでは、搾りたてのジュースは飲んでもよいが氷は入れるなと注意される。氷は溶ければ生水である。現地の人は慣れているが、旅行者には免疫がないからだ。そんなわけで、渇きを癒すには果物を食べるか、シディ・アリという名のミネラルウォーターを飲むしかすべがない。生ぬるいペットボトルの水に飽きた頃には、車を止めてでも果物に手が伸びるという次第。

 ジェマ・エル・フナ広場

マラケシュとは「茶色の街」という意味だそうだが、街にはいるとその意味がよく分かった。建物の色がすべて赤茶色をしているのだった。明るいうちに街に着けたので、旧市街に足を運んだ。

ジェマ・エル・フナとは、アラビア語で「死者の集まり」という意味で、この広場は昔の処刑地の跡だそうだ。写真で見ても分かるとおり、今ではありとあらゆる人や物が集まってくる広場となっていた。蛇使いや猿回し、それに革袋に水を詰めた水売りなど、衣装からしてアラビアンナイトの世界そのものである。

 大道芸人



カメラを向けるとモデル料を請求されると聞かされていたので、極力カメラを向けないようにして歩いていたのだが、何のことはない。大道芸人達は、こちらが日本人だと見てとると、カメラを向けようが向けまいが、近づいてくる。何処に行っても同じで、よほど金離れがいいと思われているのだろう。頼んでもいないのに芸を見せられてはたまらないので、向こうの方へ行こうとすると、また別の芸人が待ちかまえている。次々と立ち現れる物売りや芸人達の間を歩いているあいだ、妻は傍にぴったりくっついて離れなかった。できることなら、日本人の顔を取り外して、気ままに歩いてみたいものだ。

 スーク



広場の北側には一間くらいの間口を持つ店が、びっしりと軒を並べ、革製品や金属器、その他あらゆる日用品を売る店が集まっていた。靴なら靴、衣服なら衣服を扱う店がそれぞれ一画に集まって大きな市場を形成している。こういう市場のことをスークと呼ぶが、ここは世界最大の規模を持つスークなのだそうだ。

 屋台店



もうかれこれ夕刻である。買い物に疲れた人は、広場の真ん中にいくつも店を出している露天のレストランで食事をとっている。クスクスやケバブ、それにどう見ても羊の脳味噌とおぼしきものも並んでいた。ちょっと食べてみたい気はしたのだが、先刻までの緊張がまだ解けていなくて、椅子に二人並んで腰掛ける勇気がなかった。

日はすっかり傾いてきたというのに広場の賑わいは増すばかりであった。モロッコという異郷の世界が見せる生の横溢にいささか圧倒されていた。ここには生きている人間がいるという感が強い。大阪にも東京にも人はたくさんいる。しかし、多くの人はそこでただ忙しそうに行き違い、すれ違っているばかりに見える。ここは違う。生きるというシンプルな目的に向かって人々はこの広場に集まってきている。

ヨーロッパの街にも人々が集まってくる広場がある。入り隅の空間ができるのは同じである。違うのは、中央にはモニュメントや噴水が置かれ、人々はむしろ壁に沿って店を並べるカフェの椅子に腰掛けることが多いところか。そこには、ゆったりとした時間が流れ、人々は自分の一日が奏でる音楽の中に休止符を記すようにそれぞれの位置で息をつく。

このオアシスの街の広場には人々の熱気が渦巻いている。音と香りが渾然一体となって人々を包み込む。ヨーロッパの広場が、休んだり憩いを求める場だとしたら、モロッコのそれは、動いたり交歓を求めたりする場である。祭りでもないのにこの人出の多いこと。人々は生きることに倦み疲れていない。毎日の生活は、楽しい休日を迎えるために仕方なく働くつまらないものではない。働いて、食べて遊ぶ。そのことが何の断絶もなくつながっている。人々の着るものは少し疲れ、くたびれているように見える。けれども、人々の表情は生き生きとしている。ジェマ・エル・フナ広場は、今では、生きている者たちが集う場所なのである。

 クトゥビアの塔



修復のための足場がかかっていてその美しさを堪能することはできなかったが、古都マラケシュのクトゥビアの塔は壁面の装飾の美しさで有名である。高さは70メートル。モロッコのモスクに建てられたミナレットは、円柱ではなく直方体をしているのが特徴である。周囲には樹木が多く植えられ、マラケシュが一大オアシスであったことを思い起こさせる。ようやく涼しさを増した風に誘われてか、街の人々も連れだって散策に出てきていた。

 新市街



ホテルは新市街にあった。小ぢんまりした部屋は、白い壁と濃い海老茶色のカーテンやベッドカバーが落ち着いた雰囲気を醸し出していた。アーチ型の窓の横にはバルコニーがあって外に出ることもできた。

 ファンタジア



夕食の後、郊外で開かれている野外のショー「ファンタジア」を見に出かけた。話の様子からサーカスのようなものかと思っていたら大違い。学校の運動場の数倍はあろうかという馬場の周囲に天幕を張った席が設けられ、そこで食事や酒が振る舞われる。天幕の中では、様々な民族衣装を着た踊り子たちが、部族によって異なる衣装を身に纏い、次々と登場しては踊りを見せてくれる。外では、男たちが馬や駱駝に乗って銃を撃ち、戦闘場面を再現するという趣向である。モスクやミナレットをかたどったイルミネーションの他には篝火があるだけで、舞台は暗い。銃の音や馬の蹄の音が反響し、実際の何倍もの軍勢が動いているような気にさせられる。憎い効果である。ベリーダンスや駱駝の試乗というアトラクションもあり、なかなか楽しませてくれた。会場から一歩外に出ると、周りは漆黒の闇。久しぶりに明かりのない夜というものを体験した。子どものころ蛍狩りに出かけた夏の夜を思い出した。

 メナラ庭園と泉亭



夜もまだ明けやらぬ頃から、アザーンの響きで目を覚ました。コーランを唱える声が暗い街の通りに流れていた。それまであまり感じていなかった異郷にいる事実が改めて思い起こされた。

この日は、マラケシュの郊外にあるメナラ庭園に出かけた。大きな池かと見まがうほどだが、人工のプールである。イスラム勢力がスペインに攻め入るには、ジブラルタルを越えねばならない。嘘かまことか、そのための練習用のプールなのだそうだ。周りに繁る椰子の姿にオアシスを実感した。この潤沢な水は、アトラス山脈から引かれているという。イスラムの文化程度の高さは寺院建築や装飾だけにあるのではない。確かに絨毯や銀器の細工も見事なものだが、灌漑施設のすばらしさは、それらを越えてあまりある。水をどのように使うかは文化の質を定める。各地に残る水道橋に見るローマの土木技術とともに、ムーア人の灌漑技術の高さが印象に残る今回の旅である。

 旧市街

 アグノー門



昨日に引き続き、旧市街を歩いた。旧市街の入り口には、ゲリーズ産の青灰色の石でできたアグノー門が聳え立っていた。イスラムの建築は、だいたいが中に比べて外側は素っ気ないものが多いのだが、街の入り口に設けられた門は例外で、街により様々な意匠が凝らされている。この青みがかった石の門も砂漠の砂が吹きつけるときには赤く染まるのだという。

 コウノトリ



門をくぐると、朝の街は、物売りや買い物をする人が行き交う、ごくごく当たり前の親しみやすい顔をしていた。赤茶色の壁の上には緑色の瓦を敷いた家が多い。イスラムの世界では、使われる色がだいたい決まっている。それらには象徴するものがそれぞれにある。因みに緑はムハメッドの着衣の色とされ大事にされている。家々の煙突の上には大きなコウノトリが巣を営んでいる。白い羽根に黒い縁取りが美しいコウノトリは幸せを運ぶ鳥として大事にされている。翼を広げると、本当に大きな鳥で、悠々と飛ぶ姿が印象的であった。

 バヒヤ宮殿



モロッコのアルハンブラとも言えるバヒヤ宮殿を訪れた。王が愛妃バヒヤのために建てたという宮殿で、ショーン・コネリーとキャンディス・バーゲンが共演した映画「風とライオン」のロケにも使われたという。映画は見たことがあるのだが、どの場面だったかは思い出せない。この映画に限らず、モロッコは、多くの映画のロケ地として使われている。最も、そのすべてがモロッコとして描かれているのではない。映画のロケ隊の入りにくい土地の代わりをつとめていることも多い。ある時などはチベットとして描かれていたりもした。

バヒヤ宮殿はさほど大きくはないが、細部の意匠が美しい。窓の鉄格子に絡まる優美な唐草文様の鋳鉄の細工や板戸に描かれた花をモチーフにした絵模様に王の寵姫に寄せる愛が感じられた。庭には果実のなる木が幾種類も植えられていた。木の葉は陰を作り、その実は乾きを潤したことだろう。乾いた土地に生きる者にとって何が一番の贅沢かを物語っているようだ。

 土産物店


マラケシュではちょっと面白い店に入った。狭い入り口を潜ると階段が地下に通じていた。中は思ったより広くて、店いっぱいにあらゆる物が所狭しと並べられていた。もちろん観光客相手の土産物店なのだろうが、その品揃えが半端じゃないのだ。アリババが、「開けゴマ」と呪文を唱えて入った洞窟のように思えたほどだ。ダガーというのだろうか、三日月型の短剣や、錫や真鍮でできた食器類。それに、カフタンやジュラバといった民族衣装がアンティークショップとブティックを一緒にしたような店の中に犇めきあっていた。高い天井から吊り下げられた奇妙な形をしたランタンや毛織物の類に頭をぶつけないようにしながら、おもちゃ箱をぶちまけたような店の中を物色して回った挙げ句、二人用のカフタンと子どもに短剣を一つ買った。「アラビアのロレンス」でピーター・オトゥールが腰に下げていたのと同じ形の短剣である。

値段の交渉が面白かった。値段などまるであって無い物のようだ。いくらだと訊くと相手は自分の欲しい値を言う。それでは高いとこちらも自分の好きな値を言う。後はその間で両者が納得のいく価格を見つければ交渉は成立する。気に入らなければやめればいいまでのこと。時間さえあれば、どれだけでも続けていられるゲームのような物だ。そういえば、日本も「正札の店」という定価販売が主流になるまでは、こういう商売の仕方が普通だった。値段の交渉にかかる時間を無駄な物として省略しだした頃から、物を買うという行為が味気ないものになったのかもしれない。そんなことを考えたほど、面白い体験であった。

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