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 2005/7/26 レジメンタル・ストライプ

歯医者で診察を待つ間、読んでいた雑誌が夏の海外旅行を特集していた。どうやら行き先はイタリアらしい。リゾートなら、あれこれという持ち物や服装が写真入りで詳しく紹介されている中に、気になる記事があった。ダークスーツに合わせるネクタイとして、レジメンタル・ストライプは避けるのが賢明と書いてあるのだ。

レジメンタル・ストライプというのは、ネクタイの定番。右上から左下に斜めに縞模様の入ったあのネクタイを指す。アメリカ大統領をはじめとして、テレビでもお馴染みのごくごく一般的に選ばれるネクタイの柄だと思っていた。レジメンタルというのは、連隊を意味する英語で、所属する連隊ごとに決まった縞の組み合わせや色があるのは知っていたが、それが今でも意味を持っているとは不勉強にして知らなかった。

考えてみれば、イタリアは枢軸国の一翼を担った国で、日独とともに英米と戦った国である。ヨーロッパ戦線に無縁で、英米の兵士ともまともに顔を合わせていない日本とは違い、イタリアは第二次世界大戦で、連合国と相対峙している。60年経ったとはいえ、イギリスの連隊を示す色柄が気になる年配の人もまだまだ健在である。できれば、ペイズリーか小紋の柄を選べというアドバイスは、そのへんのことを考えたにちがいない。

この前の戦争のことなど、すっかり忘れ、朝鮮半島の人々や中国大陸の人々の反日感情に苛立ちを隠せない気分の人々がこの国には多い。おそらく、多くの観光客が中国や韓国に旅行するとき、ネクタイの柄はおろか、自分たちの振る舞いに対する両国の思惑など歯牙にもかけないのではないだろうか。

欧米に対する気遣いの半分ほども、アジアの隣国に対してもてるなら、対日感情もこうも悪くはならなかっただろうに。言葉や風習のかなりの部分を共有する近隣諸国に対する軽侮の念はいつから始まったのだろうか。おそらく、明治時代、日露戦争における勝利が大国意識を抱かせ、脱亜入欧のかけ声とともに今にいたる西欧よりの意識を強めたにちがいない。

それにしても、本当にレジメンタル・ストライプは、いまだに帰属する連隊を示す指標であり続けているのだろうか。そして、イタリア人にはそれが意味を持つのだろうか。同じ枢軸国のドイツ首相あたりも、レジメンタル・ストライプのネクタイを締めている写真を見たことがあるが、ドイツ人は何とも思わないのだろうか。一度訊いてみたいものだ。

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 哀悼永島慎二

永島慎二が死んだ。手塚治虫がやっていた『COM』という雑誌を店頭で見つけて、買って帰ったのは、高校生のころだった。創刊されて間もないころだったのか、それまでにない新鮮なマンガ雑誌だった。少年マンガでもなく、大人のマンガでもない。今でいうヤングアダルト路線をねらった企画が新鮮だった。売れっ子のマンガ家が自分の書きたいものを書いているという感じが雑誌から伝わってきて、ゾクゾクしたものだ。

石森章太郎(当時)の実験的な作品「ファンタジーワールド・ジュン」、手塚治虫の「火の鳥」といった力の入った大作に混じって、ダンさんという売れないマンガ家を主人公にした私小説的なマンガが連載されていた。その頃、新宿をにぎわしていた若者風俗から名を借りた、その名も『フーテン』というのが、はじめて読んだ永島慎二の作品であった。

妻子も顧みず、独り陋巷に暮らし、自分の仕事に没頭するというのが、日本の私小説作家の類型だが、どうやらダンさんは、それをマンガでやろうとしているようだった。本人は真剣でも純文学とマンガはちがう。モダン・ジャズの流れる深夜喫茶に入り浸り、ハイミナールをボリボリかじってラリっているフーテン相手におだをあげている中年マンガ家には、そこはかとない悲哀感と滑稽感が漂っていた。徹夜明けの新宿の空を舞う鳥の姿や、始発電車が高架を走り抜けていく音に、高みに憧れながら地を這う虫でいるような自分の境遇が重ね合わされ、強い共感を覚えたものだった。

喫茶店「ポエム」のマスターや、円空仏愛好家の緑川氏といった、およそ漫画的世界から遠い登場人物の造型が強いリアリティを持って迫ってきて、同時代を生きる都市生活者の喜びと悲哀がひしひしと伝わってくる。マンガというより映画や小説に近い感興を覚えながら毎月話の続きを読むのを楽しみにしていた。

主人公が立原道造の『ゆふすげびと』の詩を呟いたり、ラテンやシャンソンの名曲を下敷きにした作品があったりと、大人の世界を垣間見させてくれるマンガ家は、あの当時他にはいなかった。貸本屋時代の劇画の匂いを濃厚に漂わす『ガロ』というライヴァル誌はあったが、ファン層が全く異なっていた。永島のマンガにも、つげ義春に通じる自虐的なところはあったが、土俗的なつげとはちがって、都会的な乾いた悲しみのようなものが感じられた。

基本的には短編作家の資質の持ち主であったろう。『漫画家残酷物語』の解説で、有馬頼義の作品世界と並べ論じられていた記憶がある。一話一話の完成度が高い分、連載という形式で漫画を書いていくのは我が身を削るような思いであったのではないかと想像される。一般的な人気を得てからの『柔道一直線』のような作品はキャラクターデザインや描線に、プロダクション・システムを感じさせる機械的な匂いが感じられ、違和感を持った。永島慎二が描く必要があったか、疑問が残る。それが商売というものだと言われるなら何も言うことはない。勝手なファン心理であることは分かっている。

マンガ界におけるマイナー・ポエットというあたりが永島慎二を評するにあたっていちばん落ち着きがいい響きを持つ言葉だろうか。自作シリーズに「黄色い涙」という名を冠していた。売血によって生活費を得る路上生活者の血のことを「黄色い血」というのだが、感傷性も多分に含んだ自作マンガの量産をアイロニカルな意識で命名したものでもあったか。NHKが永島作品をモチーフにした作品を短期シリーズ化したことがあった。そのタイトルがたしか「黄色い涙」であったと記憶している。佐藤春夫の『殉情詩集』から詩を採った小椋桂の主題歌が心にしみた。巧いものだと、舌を巻いたが、永島はどう思っていただろうか。自分の感傷癖を指摘され、苦笑いでもしてただろうか。永遠の『旅人くん』となった、ダンさんの冥福を祈りたい。

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