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Home > Library > Column > 0505

 中国の煤

妻が注文していたコペンのアンテナが届いた、と販売所から電話があった。それを引き取りがてら、どこかに行こうと家を出た。細長いノーマルのアンテナは電波を集めて来るには重宝だが、何かに引っかかったりしたら折れ曲がってしまいそうなほどに華奢だ。D社には、別の車用のアンテナで、もっと短いものがある。それがコペンにも流用できることを、妻はコペン仲間に教えてもらったようだ。

何かというと改造したがるお仲間にとって、何もいじくっていない妻の車は、話題のタネらしく、一つくらいは変化をつけたいのだそうな。取り付けが終わってラジオを聴いてみると長さは短くても電波を拾うのに支障はないようだ。そのまま田舎道に入って、さてどこに行こうかと考えた。主要道はどの道もほとんど走っているので、なかなか行くあてがない。とりあえず隣町に向かって走り始めた。

隣町の大きな公園に隣接して立つ「子どもの城」という施設で何かをしていたことを思い出した。展示のはずだが、何の展示なのか思い出せないまま目的地に向かって車を走らせた。日曜日の公園は子ども連れでにぎわっていた。広い駐車場ではフリー・マーケットも開かれていて、洋服や日用品が敷物の上に並んでいた。「これくらいなら、うちでも店を出せるね」と、妻に言うと、「そうね。ただでもいいから持っていってほしいものがあるわ。」と言った。背中に冷たいものが走った。

会場について思い出した。「グリコのおまけのコレクション」だった。一階ホールに昔懐かしいグリコのおまけが時代別に展示されていた。物不足の時代を反映して造りの粗末な物ばかりだが、当時の子どもはそれで充分だったのだ。どれだけ贅を凝らしても所詮おもちゃはおもちゃ、である。それで遊ぶためには想像力が必要なのだ。物が粗末な分、想像力だけはいっぱい働かしていたのが昔の子どもだ。今の子は、想像力を働かせる余地もないほど作り込まれた道具を日常手にしているから、ちょっとした想像力すら働かせるのにたいへんな労力がいる。将来を考えた時、子ども時代の過ごし方としてどちらが恵まれていると言えるだろうか。

オープンで走っていて、途中何度か咳き込んだ。妻もよく似た咳をする。先日の新聞に中国から大量のすすが大気中に放出されている、とあったのを思いだした。高度成長期の日本に四日市ぜんそくが起きたように、経済の発達がめざましい中国では、大量の工場から毎日煤煙が吐き出されている。それが海を渡って流れ込んでくるのだ。すすが咳の原因かどうかは分からないが、花粉の次がすすでは、オープン・カーにとってはやりきれない事態が続く。

英国人から見ると今の日本の状態は、かつてのイギリスを思い出させるものらしい。その日本人から見る時、今の中国の勢いは、かつての日本のそれだ。しかし、日本と中国では国の大きさが違う。中国の煤塵が引き起こす環境問題は世界規模になるのではないか。公害克服のノウハウは、日本が深く傷つきながら学んだことである。靖国問題や教科書問題で角突き合わせているばかりが能ではない。自衛隊の派遣以外にも世界に貢献できることがあるのを見せるいい機会ではないだろうか。



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