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 追悼 高田渡

高田渡が死んだ。56歳というのは近頃では早死にと言えるだろう。最後までステージに立ち続け、コンサート先の釧路で病院に運ばれて死んだというから、いかにもこの人らしい死だ。そう思えば早すぎる死を悼みこそすれ悔いは残らないのではなかろうか。

もう何年も前から酒浸りでいつ死んでもおかしくない状態が続いていたのだ。ところが、まわりのミュージシャンが彼より早く死んでいったこともあって、あれほど好きだった酒を断ち、奇跡的に復活したのが数年前。コンサート中に眠ってしまったという伝説さえある彼が元気なライブ活動をはじめたのには、まわりにいた誰もが驚きとともに喜んだのだった。

それから、また少しは酒も飲んでいたようだから、肝臓が悪化したのかどうか詳しい死因は新聞には載っていなかったので知る由もないが、内臓にはかなりガタが来ていたのではないだろうか。山之口獏やウディ・ガスリーに憧れた高田渡はフォークシンガーというより放浪詩人といった方がより本人の肖像に近い。

「自衛隊に入ろう」が、当時ブームになった反戦フォークの代表作となったが、他の生真面目なプロテストソングや、きれい事ばかりお題目を並べたようなメッセージソングの溢れる中で、「自衛隊に入ろう」は、諷刺が冴えていた。あまりの切れ味の鋭さから切られた自衛隊の方が皮肉に気づかず、PRソングにしたいという申し入れを行ったという伝説まである。その後、誰かが気づき放送禁止歌の仲間入りをすることになる。

自作の詩や曲もあるが、彼の真骨頂は他人の詩を、アメリカのトラディショナルフォークソングやブルース、マウンテンミュージックのメロディに乗せて語るように歌うそのスタイルにあった。初期の明治の演歌士添田唖蝉坊の詩から始まるその世界は、日本の明治時代の民衆の鬱屈した魂とアメリカの大不況時代の民衆の嘆きが見事なコラボレーションを見せて聴く者の胸に迫る。その後も、ローランサンやプレヴェールのようにポピュラーな詩人の詩や、有馬敲、吉野弘、それに先に挙げた山之口獏などの日本の近代詩人の詩を、自家薬籠中のものとした土臭いメロディーに乗せて、ファンの耳に届けてくれた。

ライブコンサートの曲と曲の間に挟まれる語りは、飄々としていながら、時に鋭い皮肉を聴く者に浴びせ、高田渡健在なりと思わせたものだった。多くの仲間に愛され、団塊の世代から現代の若者にまで幅広いファン層を持つ高田渡は、高石友也や岡林信康など同時代の多くのフォークシンガーが、時代の波をかぶって、そのスタイルを変えていくのをよそ目に、独自のスタイルを変えることなく現代でも歌い続けることのできた強靱な個性を持つ稀有な歌い手であった。

元気なときのライブ録音を聴きながら在りし日の姿を思い出した。今はない三条の本屋で立ち読みする後ろ姿。ギターのハードケースを肩から紐でぶらさげて現れた京大西部講堂。立命館大学の楽屋でうどんをすすりながら弾いてくれた「アイスクリーム」。武蔵野たんぽぽ団当時のジャグバンドの愉しさ。そして糀の木湖畔で加川良を紹介したときの反骨ぶり。どれも懐かしくやさしい高田渡だ。最も愛した曲「生活の柄」を聴きながら冥福を祈ろうと思う。

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