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 ラフマニノフ

明け方、ニケに起こされて、何気なくテレビをつけるとデヴィッド・リーンの『逢びき』をやっていた。古いイギリス映画だ。モノクローム、スタンダードサイズの画面は近頃のハリウッド映画とはちがって必要以上の刺激がなく起き抜けの気分に馴染む。イギリスの田舎の映像はヒッチコック映画でもよく出てくるが、なだらかな傾斜を描いてそのまま水辺に下ってゆく小川だとかその川に架かる石積みの橋だとか飾らない風景が心に浸みる。

ストーリーは前に見て知っている。映画は終盤に差し掛かっていた。偶然の出会いから互いに惹かれ合うものを感じるようになった二人だが、出会うのが遅すぎた。別れることを決め、これが最後という日、駅での別離のシーンで聞き覚えのある曲が流れてきた。ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番だった。前にも見ているはずだが、その時には気づかなかった。ストーリーを追うのに夢中になっていて気がつかなかったのかもしれない。あるいは、年をとってドラマに感情移入できなくなった分、批評的な見方が育ったのかもしれない。

そういえばこの間、深作欣二監督の『忠臣蔵外伝四谷怪談』を見ていたときにも、よく似たことがあった。佐藤浩市演じる伊右衛門が映るたびにバックで聞き慣れた旋律が響くのだ。若い頃からマーラーが好きで、何度も聴いた交響曲第一番『巨人』である。沈鬱な曲想が虚無的な浪人に合うと思ったのだろうか。それとも深作監督も、マーラーが好きだったのか、本当のところは知る由もないが、元禄時代の江戸の町に流れるマーラーというのは、ちょっといただけなかった。

同じマーラーでも、もともと主人公がマーラーをモデルにした作曲家というヴィスコンティの『ベニスに死す』のような場合には、有名な五番のアダージェットがたゆたうように画面いっぱいに流れても違和感なく聞いていられる。あるいは、ケン・ラッセル監督の『マーラー』のように作曲家本人を主人公にした映画なら勿論のことである。マーラーを使う必然性がそこにはある。

そういう意味では英国が舞台の『逢びき』とロシア出身のラフマニノフはあまり関係がない。作曲者に関係なく、既成の曲を単なる映画音楽として使ったケースだが、ピアノが奏でる情熱的なフレーズは二人の感情の起伏を巧みに表現し、不自然さを感じさせなかった。はじめて見たとき曲に気づかなかったのは、音楽が映画の中に、うまくとけ込んでいたことを物語っているのかもしれない。

『ベニスに死す』で使われたことによって、マーラーのアダージェットは、それまでのクラシックファンだけでなく、一般の観客にも知名度を高めたと聞いている。ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番もポピュラーな人気を誇る名曲だが、『逢びき』がその人気に火を点けたのかどうか、ちょっと興味深いものがある。



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