Summertime in Italy

 VERONA

川沿いの道を、車はゆっくり走った。川の畔に植えられた並木の陰が、川面から跳ね返る光線をやさしく遮っている。川を挟んで向こう岸に中世の物語に出てきそうな城と橋が見えてきた時、ああ、この町も若い頃に来たかったなと思った。橋の手摺りや街灯の優美な造りと、城郭上部のV字型に切り込まれた戦闘的な造りとが対比を構成し、いかにもロマンティックである。

人は、知らず知らずのうちにまわりの環境の中で形作られていくものだが、その一方で自分だけの世界を育んでもいる。現実的には貧しく非力であったから、空想を好み、現実的な話より遠い異国の物語の方を好んだ。TVもない頃、自分の頭の中にだけ描かれていた見たこともない街や人々は、本の挿し絵が唯一の手掛かりという粗削りなものだった。海外を旅することができるようになると、好んで地中海やアドリア海の周りを経巡っているのは、自分の中に作り上げた世界の裏打ちをしているのかも知れない。

「シェイクスピア物語」を読んだのは小学校の頃。『ヴェニスの商人』『リア王』と並んで『ロミオとジュリエット』が入っていた。ゼフィレッリの映画や、最近では『恋に落ちたシェイクスピア』が印象深いが、シェイクスピアが二人の悲劇の舞台にしたのがヴェローナの町だった。

 ロミオの家

ロミオの家あまり人通りのない裏通りのような所だった。長い石塀の向こうに屋敷があるのだろうか。伝えられる所によれば、悲劇の主人公の一人、ロミオの生まれたのはこの家ということになる。もっとも、シェイクスピアは、ヴェローナを訪れてはいない。作家が、その戯曲を書くにあたって参考にした話の主人公とした方が正確だろう。

事件の起きたのは1302年。当時のイタリアは皇帝を支持する一派と教皇を支持する一派で対立抗争が続いていた。ジュリエッタの家は皇帝派、ロメオの家は教皇派と、お互い対立しあっていたのが、悲劇を招いたのである。約300年後、シェイクスピアによって、自分たちの事件が戯曲化され、こんなにも有名になるなんて二人は知る由もなかった。蛇足ながら、イタリアでは、ロミオは車のアルファロメオと同じようにロメオ、ジュリエットはジュリエッタと発音するのが正しいらしい。ジュリエットだと男性になってしまうということだ。

 ジュリエットの家

ジュリエットの家カプリーティ家の紋章が彫られた石造りのがっしりしたアーチを抜けると、四方を蔦の絡まる壁に囲まれた中庭に出る。正面にジュリエッタ像が置かれ、観光客が一緒に写真に収まろうと順番を待っていた。ブロンズ製のジュリエッタの右胸の部分だけが真新しく輝いているのは、そこに触れると幸せになれるとかいう言い伝えのせいだろう。しかし、少し考えてみれば分かると思うが、二人の恋は互いの死によって終わったのではなかったか。ジュリエッタの像に、人を幸せにしなければならない道理がない。自殺を認めないカソリックの家に生まれた二人が天国に召されたとも思えないし、バルコニーのある壁にもこの家を訪れた人の名前がびっしりと書かれていたが、いったい何にあやかりたいというのだろうか。

 シニョーリ広場

シニョリー広場
教皇派と皇帝派の対立は、ロメオとジュリエッタにだけ災いをもたらしたわけではなかった。その頃、フィレンツェで教皇派との抗争に敗れたダンテは、追撃を恐れ北イタリアに逃れていた。ダンテをかくまったのが同じ皇帝派のヴェローナの領主スカーラ家であった。

現在は県庁舎として使われている、かつてのスカーラ家の王宮に見守られるように広場の真ん中に立っているのがダンテの像である。

 エルベ広場

エルベ広場市庁舎や県庁舎、評議員の回廊などに囲まれたシニョーリ広場が、どちらかといえば堅苦しさを感じさせるのに比べ、壁に壁画の残る14世紀の商人の館などに囲まれるエルベ広場は、肩肘張らない気易さが魅力的だった。古代ローマ時代の公共広場跡に作られたというだけあって、細長い敷地内には、八百屋をはじめとする食料品は言うに及ばず、衣料品やその他の生活雑貨等を売る屋台が、所狭しと店を並べていた。

パスタ好きの私のために、妻はいつもソースの材料になるトマト探しに苦労している。日本の店で売っているトマトでは甘さが足りないようなのだ。今回のイタリア行きが決まった時点で、イタリアのトマトを食べ、その味を知ることが妻の旅の目的の一つになった。これまでも、店を見つけると、トマトを探したのだが、果物は多いのに、なかなかトマトが見つからなかった。それがエルベ広場の屋台には、たくさん並んでいたのだ。

まずは、小さめの丸いトマトが何個かつながっているのを買った。広場の水飲み場で洗って、早速味見。生温かい皮に歯をあてると、日向臭い匂いといっしょに昔懐かしいトマトの味が口の中に広がった。他の種類はないかと別の店をのぞいていると、缶詰のラベルで見かける細長いトマトを売っている店を見つけた。これだ、と思って1個だけ手渡すと、店の人はいやな顔もせず、秤に乗っけて値段を出してくれる。昔は日本でもこうやって何でも売ってくれた。イタリアに来て、買い物の楽しさを思い出した。

また、水飲み場にとって返し、味見の続きだ。妻は真剣な顔をしてトマトを囓っている。しばらくすると分析が終わったのか、こちらを見て言った。
「甘みは思ったほどでもないけど、果肉が多くて水気が少ない分、ソースにすると濃厚になるのね。これで、よく分かったわ。」と、満足した様子だった。帰国後の楽しみが一つ増えた。

 アレーナ

アレーナ1世紀、古代ローマ時代に建てられたアレーナだが、驚くほど、当時の様子を今にとどめている。この円形競技場は現役である。7、8月に、ここで行われる野外オペラを目当てに世界中から観光客が集まってくる。前回来たときには、ローマのカラカラ浴場跡で『アイーダ』を見ることができた。野外オペラの楽しみは、劇場公演では難しい本物の馬や駱駝、時には象までが登場することだ。今回は残念だが、ヴェローナに宿を取っていないので観劇はできない。劇場の前には、おそらく『アイーダ』のものと思われるピラミッドやイシス像などの大道具が準備されていた。機会があれば、この次には、ぜひ見てみたいと思った。
 
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last update 2001.8.30. since 2000.9.10