ポポロ広場

ポポロ広場は、地理的にも町の中心に位置する。ダンテの墓から細い路を通ってすぐにこの開けた空間に出ることができる。いつも思うことだが、壁の迫る小路と見晴らしのいい広場との組み合わせが街を呼吸させている気がする。狭い小路ばかりでは息が詰まるし、だだっ広く開けた空間ばかりでは欠伸が出てきてしまうのだ。一歩建物の中に入ると、内部には、また中庭があり樹木が植えられていたりもする。こうした都市空間の有り様は、日本では京都の町屋に通じるものがあるように思う。
コリント式の円柱が印象的なポポロ広場だが、ヴェネチアの支配を受けていたときには、円柱の上にヴェネチアの象徴である黄金の有翼の獅子が飾られていたという。今では、その代わりに別の像が飾られているが、面従腹背というか、他国の支配を受けながらも、本質的なものは見失わずにいるという精神の在り方に逞しさを感じる。
こういった同郷意識をイタリアでは「カンパニリズモ」というが、セリエAの熱狂を見ても分かるように国家として統一された後もこの国にはそれが根強く残る。この名称は、各コムーネを象徴する鐘突き塔(カンパニーレ)に由来する。ローマ帝国の崩壊以来1400年もの間、都市国家が覇を競った名残りであろうか。イタリアもまた統一された国家が突き進んだ挙げ句、無惨な敗北を喫するという苦い記憶を持つ。それに比べれば、比較することさえできない長い歴史を持つ都市国家に愛着を感じるのは無理のないことかも知れない。
ラベンナのような小さな街を歩いていると、特にそういう土地に対する愛着というものに共感することができる。自分の目で見て回れる範囲なら愛することが自然にできる。それを超えてしまえば、見も知らぬ者同士を束ねるための強引な物語が必要になるだろう。幻想の国家を物語る国史こそ、健全な愛郷精神が国家主義に趨るときに陥る陥穽である。
ラベンナでは学生のために無料自転車駐輪場を方々に設置している。自分も学生だったらこんな街に住んでみたいと思った。狭い道には車の騒音がなく、人は歩いて買い物ができる。古い街は不便なことも多いだろうが、あえてそれを守ることによって、かえって快適な都市生活を送ることができることもある。古い物の中に含まれている智慧をいかに汲むことができるかが問われているのである。
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last update 2001.8.24. since 2000.9.10