Summertime in Italy

 NAPOLI

ナポリと聞くと思い浮かぶのは、細い小路に軒を連ねたアパートの高い階の窓から窓へ張り渡されたロープにまるで万国旗のように幾重にもつるされた洗濯物の旗の波だ。いずれは映画か本で作られたイメージが刷り込まれているのだろう。とにかくナポリに着けば、すぐにもそういう光景が目に飛び込んでくるものだと思いこんでいたのである。

ところが、サンタ・ルチア港近くを歩いていて目に止まるのは、広々とした通りに並ぶ高級ホテルや政府の役所といった豪壮華麗な建物ばかり。そのあまりに立派な景観に「これがナポリか?」と、首をひねったのが本当のところだ。前回のイタリア旅行で訪れることができなくてくやしい思いをしたのは、こんな街並みではなかったはずだったのだが。

後で分かったことだが、自分勝手に思い描いていたナポリの街並みというのは、今も古い建物の多く残るスパッカ・ナポリ界隈のことだった。下町の雰囲気を残す庶民的な町だから、外部から訪れる観光客でにぎわう港近くの表通りからは見えないところにあったのだ。

それなのに、なぜナポリといえば、洗濯物の波なのかといえば、それがいちばんナポリらしいイメージを醸し出しているからだろう。立派な建築なら、イタリアにはごまんとある。教会も絵画も彫刻もそうだ。地中海を我が物顔に走りまわったヴェネチアやピサのような海洋都市でもない。フランスのアンジュー家、ブルボン家、スペイン等によって統治され続けてきたナポリにしてみれば、王様といっても、その時その時強い者がその位に着くだけのこと。次々に変わる統治者の顔色をうかがいながら、自分たちの生活をしたたかに守り続けてきたのがナポリの人たちではなかったか。

王によって統治されているうちは、まだ良かった。パトロンがついていたから、放っておいても富はそちらから流れ込んできた。問題はその後である。北部の都市が中心となってイタリアが統一され、南部は繁栄から取り残されていく。あまり働かず、歌って、食べて、恋愛にばかりうつつを抜かしている。比較的勤勉な北から見た南イタリアの姿はおよそこういったところだろう。スパッカ・ナポリが象徴するのはそういうイタリアのイメージである。

けれども、イタリアを代表する、ピザやスパゲティは、この地に始まる。歌を愛し、食を愛するからこそ人生は楽しい。食べるに困らなければ、それ以上なにを働く必要があるだろう。洗濯物の波の下には、生き生きと生活する人間の暮らしがあるのだ。

夕食を食べに入ったリストランテの前で、日本なら中高生ぐらいのいい年をした男の子が数人、ゴムボールをけって遊んでいた。一見すれば陽気なようでもあるが、することがないので暇をつぶしているようにも見えた。働かないというのも、それはそれで、案外辛いことなのかもしれない、と思ったりもしたのであった。

 ナポリ港界隈

 卵城




12世紀、ノルマン王によってサンタ・ルチア港の埠頭にこの城を築くにあたり、基礎の中に卵を埋め込み、「この卵が割れるとき、城はおろか、ナポリの街にまで危機が迫るだろう」という呪文がかけられたということから卵城の名がついたといわれている。

 海から見たナポリの街




有名な「ナポリを見てから死ね」という言葉は、卵城から見たナポリの景色についていわれた言葉だそうだが、今は特別な許可を得ることなくして中に入ることはできない。船が港に着くあたりで町の方を見ると、ちょうどよく似た風景を見ることができる。

 サン・マルティーノ僧院




ナポリ市街を見下ろすヴォメーロの丘の上に14世紀、アンジュー家によって建てられた。17世紀に全面改築され、現在は国立博物館になっている。

 カステル・ヌオヴォ




アンジュー家出身のシャルル1世がフランスのアンジェ城をモデルに建てた城。15世紀にはスペインのアラゴン家のアルフォンソ1世が王になり全面改築された。ヌオヴォとは新しいという意味だが、卵城に比べて新しく作られたのでそう呼ばれている。

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last update 2001.8.8. since 2000.9.10