Summertime in Italy

 CAPRI

ベヴェレッロ港から出るカプリ島行きのジェット船に乗り込んだのは船が出るほんの間際だった。あわてて甲板に上がると、椅子はすべて半裸の白人観光客でいっぱいだった。確かにカプリ島は避暑地かもしれない。けれども船の出たナポリの港では、誰も水着で歩いてなどいなかった。海の上に出た途端、この人たちはシャツを脱いでしまったのだろう。北の方から来て太陽に飢えているのだろうか。それにしても気の早いことだ。

どうにかやっと二つ分の空席を見つけ、後ろを振り向くと、ナポリは早遠ざかりつつあった。卵城の上から見たナポリの景色を見るには少し遅かったかもしれない。しばらくすると前の席に座った上半身裸のサングラスの男が後ろを向いて誰かと話をしだした。イタリア語だから聞いても分からないのに妙に耳について仕方がない。そのうち、なんだか変な気がしてきた。

乗客は盛んに身振り手振りを交えて話をしていると思っていたが、あらためてよく見てみると日本のものとはちがうようだが、どうやら手話を使っているようだ。サングラスの男がガイドから聞いたことをみんなに手話で通訳する。すると、それを見た人たちが近くの仲間に手話で伝える。さっきからの不思議な雰囲気の原因は話しているのに声が聞こえないことだったのだ。

 青の洞窟

一時間足らずで、船はカプリ島のマリーナ・グランデという港に着いた。白亜の断崖がそびえ立つ入り江には、大型ヨットが幾艘も碇泊し、水着の男女が日光浴を楽しんでいた。まさに避暑地という絵である。なるほど、ここでは水着の方が普通で、きちっとした服装の方が場違いなのだ、とようやく納得がいった。桟橋に下りた足で少し小型の船に乗り換えた。二、三十人も乗れるかという大きさだが、甲板の上に天幕が着いていて日除けの役割を果たしているのが何よりだ。欧米人には皮膚癌の心配など無用なのだろうか。

断崖に沿って船は滑るように走っていった。船が港から離れるに連れ、水の色が変化しているのに気がついた。それまでは、まだ少し緑色をしていたのだが、ここに来て、本当に藍色に近い青に変わっていた。かつて初めてイタリアを訪れたとき、その空の青さに驚かされたものだったが、海の水がこんなに青いものだとは、この歳になるまで知らなかった。手を浸ければ染まってしまいそうに深い青だった。

 小舟

洞窟の前には私たちが乗ってきたのと同じ小型船がすでに泊まっていた。いや、正確にいえば、波間に揺れていた。エンジンを切った船は、島にぶつかっては帰ってくる波に翻弄されるしかないのだろう。さかんに上下動を繰り返していた。酔いそうだなと思った。早く岸に着けてくればいいのにと思うこちらの気持ちを知ってか知らずか、船はいつまでも岸に近づこうとしない。

そうこうしているうちに公園の池によくある貸しボートくらいの船が何艘も近づいてきて、ようやく分かった。海の上で船から船に乗り換えるのだ。上天気だが、波はある。タイミングを外すと、小舟はずいぶん下の方に行ってしまう。思い切って乗り込むと、船頭が怒ったような口調で何か言っている。どうやら、船底に座れといっているらしい。やはり水着で来るのが正解らしい。いやいや下にべたっと座った。艫と舳先に二人ずつ、カヌーに乗るように足を伸ばして乗り込むと足を動かす余裕がない。窮屈な姿勢のまま船は洞窟に近づいていった。

 洞窟

入り口に近づいて、はじめて船頭の注意した意味がよく分かった。洞窟の入り口の高さは1メートルあるかなしか。波が高くなったときはその半分ほどになる。昨日も天気はよかったのだが、波が高くて中には入れなかったという。現金なもので、そう聞くと、さっきまでの不満は解消され、幸運だと感じるようになってくるからおかしい。先に入っていた船が何艘か出るのを待ち、いよいよ私たちの船の番だ。船底に仰向けに寝るよう乗客に注意しつつ、船頭は入り口に張られたロープを巧みに手繰りながら一気に滑り込んだ。

洞窟の中は高さ15メートル、奥行きは約50メートルほどあるそうだが、真っ暗で何も見えない。先に言われていたのを思い出し、すぐに入り口の方を振り返った。するとどうだろう。入り口近くの海が、今まで見たこともない色に光っているのが見えた。外で見た海の色とはまったくちがうコバルトブルーの光が海の底から湧いてくるようだ。「これが青の洞窟か」と、あらためてその幻想的な光景に見とれた。洞窟内の波は穏やかで、船頭は櫂を動かしながら、舟唄を歌い始めた。歌声は、洞窟内の壁に反響して、よく響いた。

 帰れソレントへ

洞窟を出ると、断崖に申し訳程度に張り出した桟橋で船を下りた。チップを受け取ると、船はまた次の客の方に漕ぎ出していった。断崖の上まで続く長い石段を上ると、小さな駐車場に出た。振り返ると、さっきまでいた船溜まりが眼下に小さく見える。

カプリ島は、港のあるカプリ地区と、西側にあるアナカプリ地区に分かれている。待っていたミニバスに乗って、島のもう一つの中心地アナカプリに向かった。車一台すれ違うのがやっとという細道から、はるか海の彼方に歌に歌われるソレント半島がぼんやりと霞んで見えた。

丘の上のレストランでは浅蜊のスパゲティと鱈に似たあっさりした味の魚の香草焼きを食べた。『青の洞窟』という地ワインがあるというので頼むと1リットル瓶で現れたので驚いた。どうやら、イタリアのテーブルワインはリットル単位で供されるらしい。白ワインを注文するとしっかり冷やしてくれてあるのがうれしい。軽い口当たりについ杯がすすんだ。

カプリ地区に戻り、船を待つ間店をのぞいた。妻の母が好きだという『帰れソレントへ』の曲が入った寄せ木細工のオルゴールを買った。一度耳にすると、しばらくはそのメロディが離れない。まして、ナポリへの帰りの航路には右手にその地が見える。潮風に紛れ、そっと口ずさんでいた。
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last update 2001.8.12. since 2000.9.10